ウソツキ忍者の独断と偏見に基づく感想・考察

読んだ本や、見たアニメについての感想

ヒトをモノとして扱う時代―――『モノ・サピエンス』を読んで①

人間が物質化・単一化している現代社会について書かれた本。
著者は岡本裕一朗(哲学・倫理学者)。
光文社新書
2006年第1刷。



「モノ化」する人間

「モノ化」とは

「モノ」は「ヒトと対比される対象」という意味がまずある。つまり、人ではないので人によって商品や道具として利用されるものである。

もう1つの意味は「物神化」される対象である。人がそれに対して価値があると信じる対象だ。典型的な「物神化」されるものは「お金」であろう。

最後に、「mono=単一化」という意味だ。資本主義社会の下、どのん商品も「お金」という普遍的価値基準によって一元的に評価される。それゆえに単一化が起きるということだ。

上記の結果(人が「モノ化」される)によって最終的には「使い捨て」られる運命にあると著者はいう。


まとめると、
①人がモノ(商品、道具)として使用される。
②人は「物神」として使用される価値があると認められる。
③価値を測る共通尺度(例えばお金)によって単一化されていく。

結果、使用され役目を果たせば「使い捨て」られる。

といった具合だそうだ。

「超消費社会」ではモノは使い捨てられる

必需品(生活に必要なもの)でないモノをたくさん消費する社会が「消費”者”社会」である。
「消費”者”社会」では「すべてをモノとして消費する社会」であるから、その意味でこれを「超消費社会」と呼ぶことを著者は主張している。

この社会において重要なのは「欲望」である。欲望は欲求とは違う。どう違うのかというと、「欲求」は生存に必要なもの(食べたいなど)であるのに対し、「欲望」は生存に必要のない欲求(”美味しいもの”を食べたいなど)である。

消費の変遷として著者はこのように示す。

「見せびらかしの消費(縦方向の差異)」

「見世物としての消費(横方向の差異)」

「さりげない消費(中心軸が差異から格差へ)」

「ブランドも使い捨てされる流行の戦略へ(差異の管理)」


この変遷の”内容”自体には大した重要性はない。大事なポイントは「変化」していること自体にある。
生産する側は、消費する側の欲望を読み取り供給を行う。しかし、この行為自体も消費者の欲望に影響を及ぼし、消費者の欲望が変化する。そのことによって、また、生産する側も供給行動に変化をつける。そしてまた・・・と続いていくのだ。同時因果関係として変化が変化を呼ぶ。その結果あらゆる消費が流行の変化(使い捨て)となるのだ。

「モノ化」する体

いったい、ブルセラのどこが「衝撃的」だったのでしょうか。
それは、「パンツを売ったとしても、なぜそれが悪いのか、だれも論理的には示すことができなかった」という点にあります。当時、指揮者といわれる大人たちがブルセラ少女たちにお説教をするテレビ番組を見たことがありましたが、彼女たちに「どうして悪いことなの?」と反論されたとき、大人たちは説得的な議論を示すことが出来ませんでした。「パンツ売るなんて恥ずかしいし、とともフシダラよ」などといったところで、何の答えにもなりません。
(P.63)

それぞれ仕事の内容によって報酬は違いますが、そのでれも「カラダ(労働力)を売る」ことで得られたお金です。
援助交際」も、こうした「カラダ(労働力)を売る」ことに対する報酬と考えられるでしょう。
(P.66)

というのも、援助交際の論理には、J・ロックやJ・S・ミルの思想が知らず知らずのうちに援用されていたからです。
(略)たとえば、ロックの思想に「労働価値説」がありますが、これは「自分のカラダをもとにして、そこから労働によって得られたものはじぶんのものである」という考えです。
(P.67)

ロックやミルの考えを、通俗的な言葉で表現すると、いわゆる「自己決定論」となります。「自分のモノやカラダについては、他人に迷惑をかけない限り、自分自身で決定できる」―――この原則は、日常生活のほとんどの場面で力をもっています。それなのに、この原則が「援助交際」に適用されると、大人たちは批判するのです。不思議ではないでしょうか。
(P.69)

レンタル業という点から見たとき、援助交際には何が待ち受けているのでしょうか。
(略)あるいは、新たに参入する者に客を奪われ、一気に時代遅れになることもあります。旬の時代はそれほど長くは続きません。いずれにしろ、レンタル品として、いつかは役に立たないときが来るのです。
(P.73)

もちろん、「自己決定」によって援助交際に走った少女たちは、自分が「使い捨て」の対象になったとしても文句はいえません。なぜなら、それが「超消費社会」における「正しい結末」だからです。
(P.74)

「超消費社会」における、カラダを売るということに関して書かれていた部分をいくつか抜粋した。雑ではあるがまとめると、


批判する大人「カラダを売るのはみっともない!」

それは(”論理的な”)答えになってない

だから、援助交際する人達は「超消費社会」の論理に則ってカラダを売る

「正しい結末」として「使い捨て」られる

といったところだと思われるが、まず著者の説明は現代社会ではカラダを売る行為がこのようなプロセスを経ているという「単なる説明」でしかない。つまり、これも大人たちの説教と同じく何の「答え」にもなっていないのだ。
もしこれが「いずれ使い捨てられるからカラダを売るのはダメだよ」ということを、それとなく暗示して道徳的な訴えを示唆しているとしても、論理的な「答え」にはなっていない。なぜなら、カラダを売らなくても、どちらにしろ旬を過ぎたときに「売るための価値」というのは無くなっているからだ。それなら「売れる間に売っておいて稼いだ方がいい」ということにしかならない(「援助交際」をしていた人は「若いころ援助交際して稼いだんですよ」などと自分から言いふらしたりしないのでバレなければ客観的には同じだ)。

①カラダを売るなんてみっともない!
②いずれ使い捨てられる(ただの経過説明)
③使い捨てられるからダメ!

これら3つは、どれもが「答え」にはなっていないのだ。
では、「カラダを売っても良いのか?悪いのか?」に対してどのように答えることができるのだろうか。
結論としては、良いとも悪いとも答えられない。なぜなら「問い」が真でも偽でもなく「無意味」だからだ。
正しい答えが存在しないのは、「問いかけ」自体が”無意味”だからなのだ。「問い」が「”論理的”な問い」として成立していない、だから「論理的な答え」も存在しないということだ。
言葉としては「カラダを売っても良いのか?悪いのか?」と声に出したり、文を書いたりはできるが「問い」としては成立していない、この「問い」は論理的には「真」でも「偽」でもなく、無意味なものなのだ。
ウィトゲンシュタインの言葉を借りていえば「語り得ぬものについては沈黙しなければならない」ということになる。
「カラダを売っても良いのか?悪いのか?」とは「(論理的には)語り得ぬもの」なのだ。
では、肯定派も否定派も「沈黙しなければならない」のか?
その通り。ただし、より正確には「”論理的には”沈黙しなければならない」ということだ。
つまり、”道徳的・倫理的”には語り続けなくてはならない。
かくして、カラダを売る行為への非難が「論理的な答えになってない」とする批判は妥当ではないといことが分かる。
そもそも、この「問い」に対する「答え」が”論理的”である必要が最初から無かったのだから。

以前、河合隼雄が(何の本だったかわ忘れたが)以下のような趣旨で述べていたのを読んだ気がする。
「物事には理由があって悪いことと、理由がなくて悪いことがある」

カラダを売る行為を非難する立場の人たちは後者(理由がなくて悪いこと)という意見なのだ。
著者の陥っている間違いは「論理的な正しさ」であらゆる問題を判断しようとする姿勢にあるように思われる。
「論理」や「客観性」や「意識」といった理性的なものは、人間にまつわる問題の全てをカバーしているという保証はないのだ。取り扱う問題や場合によっては「感情」や「主観性」や「無意識」といった非理性的なものの方が判断の根拠として妥当性をもつこともある。

結局のところ、この本の著者は「論理で扱えない問題」を「論理的に」扱おうとしてアポリア(哲学的困難)に陥ってしまっている。前提条件に対して根本的な錯誤をしていたが故に、「問い」が(論理的に)成立していると思い込んでしまったわけだ。

「カラダを売っても良いのか?悪いのか?」を、現代のような豊かな時代に問うのか、戦時中のような貧しい時代に問うのかでも意味が全然ちがってきてしまう。
字面の上では同じ言葉であっても状況や文脈によって全く意味が異なってくるのだ。
問題をとりまく状況や文脈によって(論理的にではなく)倫理的・道徳的に判断を下していくしかない。
「(論理的に)正しい答え」など存在しないのだから探しても無駄である。必要なのは「妥当(だと思われるよう)な倫理的・道徳的な決断」を下すことなのだ。

「モノ化」する労働

かつてバブル経済真っ只中で若者の就職状況が活況を呈していた頃、フリーターはカッコイイ生き方だともてはやされていたらしい。
しかし、今や「自分探し」をする若者だけでなく「定職から排除された」中年フリーターや熟年フリーターも珍しくは無くなった。フリーターは短期雇用、または非正規雇用の一種としての失業者予備軍となっている。
これも人間を「モノ(労働力)」として扱う「モノ化」だという。

企業の本音として、

だれかを正社員として長期雇用すれば、企業は月々の給与以外にさまざまな経費(ボーナス・社会保険・年金などの福利厚生費)を負担しなければなりません。その一方で、非正規社員に対しては、こうした経費を負担する必要がありません。ですから、同じ仕事ができるならば、企業にとって非正規の雇用はきわめて安上がりの方法だといえます。
(P.85~P.86)

これは企業にとって、非常に都合のよい状況ではないでしょうか。景気がよくても非正規雇用でまかなえるわけですし、契機が悪くなれば簡単に人員削減(使い捨て)できるわけです。フリーターが「社会の安全弁」と呼ばれるのは、このあたりに理由がありそうです。
(P.88)

著者は、上記のような労働に関する分析を行っており、非正規雇用の拡大を促すための法的な規制緩和にも言及している。
そして、この背景には「自己決定」と「自己責任」という考え方がコインの裏表のように分かち難く結びついたものがあるという。
ただし、両者をストレートに結び付けるのではなく、行為(フリーターを選んだ)の結果にどれほど責任があるかは、別途に議論しなくてはならないと述べてもいるが、基本的な姿勢としては、

消費者社会では、原則としてどんなものも消費の対象となりますが、何を選択するかは各人の自由です。そして、この選択によって、いかなる結果が生じても、本人の責任になるのです。それが、90年代以降、「援助交際」や「フリーター」、そしてそれを下支えする「自己決定」や「自己責任」の思想を通して見えてきた、「ヒトのモノ化」の結果なのです。
(P.91~P.92)

このような見方をしていようだ。

まず、「援助交際」も「フリーター(非正規雇用)」も同列に扱っている点がおかしい。
援助交際」に関しては、一時期マスコミがやたらと大げさに取り上げていたから話題になっていただけで、実際には”社会現象”と呼ぶに値するほどの広がりはなかった。その辺の女子生徒や女子学生の多くが「援助交際(事実上の売春)」をやっているわけがない(当たり前だが)。少数の者が行った珍しい事だからこそマスコミも大げさに取り上げていたのだ。
一方、「フリーター(非正規雇用)」に関しては、この本の出版当時(2006年)にしろ、現在(2020年)にしろ、規制緩和の結果による法的な後ろ盾もあるなかで大規模な人数(2006年:1677万人、2019年:2165万人)となっており、もはや一律に、個人の責任としては還元できない”社会現象”となっている。

「社会現象」は、社会を構成する個人の総和に還元できないものである。社会はあまりにも「複雑」であるため、要素還元主義的な分析方法では通用しない振る舞いとして表れるものなのだ。
著者は一応、「行為の結果にどれほど責任があるかは、別途に議論しなくてはならない」とは述べている。
しかし、これは飽くまでも個人の「自己決定」と「自己責任」の間において”どの程度”の結びつきの妥当性を認めるかという話でしかない。
正規雇用に関する規制緩和を行った法改正という「社会制度」という側面や、諸個人に還元できない「社会現象」という側面までは射程の内に入っていないので、その点が不十分であり、踏み込みが浅いと言わざるを得ない。

どうやら、この本の著者は、論理的に、明晰に、客観的に、要素還元的に、諸個人の総和として、社会現象を分析することが可能であり、また、それだけが正しいと信じているような印象を拭えない。

神聖な処刑から忌むべき刑罰へ―――『刑吏の社会史』を読んで

中世ヨーロッパの影である刑吏などの賤民の生活に踏み込んだ本。
著者は阿部謹也歴史学者)。
中公新書
1978年初版。



賤民

名誉を持たない人々

中世ヨーロッパ社会には「名誉ある人々」と「名誉を持たない人々」によってなりたっていた。
「名誉を持たない人」は「権利を持たない人々」とほとんど同義であるが、厳密には違っている。

中世ドイツの法典ザクセンシュピーゲル・ラント法の注解によると、3段階ある。

(1)裁判能力を持たないこと
(2)財産処分能力を持たないこと
(3)生命・財産に対する権利を持たないこと(つまり、法の保護を奪われていること)

となっているようだ。

通常、「名誉を持たない人々」とされる賤民は(1)の裁判能力を持たないとされており、これは自己の権利を自ら守ることが出来ないことを意味する。

「名誉ある人々」は各身分の内部で社会集団に分かれ、共同体が形成されていた。共同体は原則として対内的には平等であり、対外的には排他的である。
賤民は、各身分の外に置かれ共同体からも排除された人々である。

W・ダンケルトの分類によると、
死刑執行人、捕吏、獄丁、看守、廷丁、墓掘り人、皮剥ぎ、羊飼いと牧人、粉挽き、亜麻布織工、陶工、煉瓦製造人、塔守、夜警、遍歴薬師と奇術師、山師と抜歯術師、娼婦、浴場主と理髪師、薬草売り、乞食取締夫、犬皮鞣工、煙突掃除人、街路掃除人、などであり、性格は異なるが、ユダヤ人、トルコ人、異教徒、ジプシー、ヴェンド人などのキリスト教社会秩序の外に立つ人々も同じ扱いを受けていたようだ。

刑吏や捕吏のように国家秩序の維持に欠かせない仕事や、衣服・食料の供給、衛生、清掃、医療など社会生活に必要不可欠な業務を担っている人々である。
このような人々と蔑視し、極端な場合には飲食も共にせず、言葉も交わさないように暮らしていた社会とはどのようなものだったのだろう。

出産と埋葬

刑吏の妻が産気づいても近所の人は誰も手伝ってはくれなかったそうだ。理由は、刑吏の家族に手を貸せば「名誉ある市民」も賤民に落ち同職組織から除名されるからである。

また、死後その棺をかつぐ者もいなかったようである。理由はまたもや、刑吏の棺をかつぐことは直ちに賤民に落ちることと見なされていたからだそうだ。

特権

皮剥ぎも刑吏と同様に賤民とされ、他の社会階級から接触を忌避されていた。
1733年のブランデンブルクでは、灰色の上着と灰色のボタン、赤い尖った帽子を身につけることが命ぜられていたようだ。
しかし、重要な役割を担っていることもあり独占営業の特権を与えられていた。
特権の最大のものとなる内容は、一定地域内に他の皮剥ぎの営業を認めない禁制権とその地域内の家畜すべてに対する処理権の2つだとされている。

ペットのような愛玩動物でも皮剥ぎに委ねねばならないため市民からの不満も大きかったようである。
しかし、だからといって勝手に動物の死体を自宅などに埋めてしまうと皮剥ぎの特権侵害となり、自宅の戸に皮剥ぎのナイフと突き立てられた。それは「この家の主人が皮剥ぎの仕事を侵した」ことは全市民に告げていることになり大変不名誉なことであったが、その家の者が引き抜くことは出来ない。なぜなら、そのナイフに触れると賤民に落ちたと見なされるからだ。そのため皮剥ぎに賠償金を支払ってナイフを抜いてもらうしかないシステムとなっていたようだ。

刑吏の場合だと、自殺者の死体の傍に立って処刑用の剣をのばして円を描くと、その中にある物はすべて刑吏の所有物となったらしい。


神聖な儀式から賤民の仕事へ

処刑は神聖な儀式

処刑は元々、司祭や貴族などが行う崇高な行いだとされていたようだ。
そもそもキリスト教受容以前のゲルマン諸部族は、処刑自体を刑罰だと認識してはいなかったようだ。
司祭の聖別された手が神々を汚す者を贖罪の犠牲として聖なるオークの木に吊るして捧げる高貴なものとされていた。
1298年にガンス・ツー・プトリッツ伯は盗賊騎士を自らの手で絞首しているし、メクレンブルク公ハインリッヒも盗賊を処刑している。他にもブラウンシュヴァイクリューネブルク公オットーなど高位貴族で処刑を自ら失効することに異常な執念を燃やした多くの例が残されているそうだ。彼らは称賛こそすれ、その行為によって賤民に落ちたわけではない。

血縁者による復讐

中世後期にいたるまで血縁者による復讐の慣習は階級を問わずヨーロッパ各地に残存していた。
血縁者による復讐において相手を殺しても加害者は賤視されるということは全くなかった。
また、殺人、強奪、盗みなどの場合、被害者やその縁者が犯人をしょけいしたり、強姦の場合、犯人に杭を打ち込む処刑が執行されるときの最初の杭を打ち込むのは被害者であったそうだ。
これらの場合でも執行者が汚れるということは全くなかったのである。


転換についての諸説

ベネッケやマイヤーのいうローマ法の継受では、刑吏への賤視が一般庶民まで広まっていたことを説明できない。
皮剥ぎ業を兼ねたという考え方についても、それ以前から刑吏が賤視されていたため理由にならない。
また、グリムによる、他の人を殺す職業だから蔑視されていたという説明も、軍人などはむしろ英雄視されている点で反論されている。
ケラーは、金のために戦った職業的戦士を刑吏の前身とみて説明したようだが、ダンケルトが言っていたようにこれらの説明は2次的なものである。

著者は、神聖な職務から卑賤な職業への転換を「人間と人間の関係の世界において刑罰が何であったか」を考えてはじめて答え得るものだと主張する。


刑罰とは何だったか

現在の私達が考えている「刑罰」と中世ヨーロッパの人々の考える「刑罰」は大きく異なっていたようだ。
犯人がどのような事情で、どのような動機によって犯行を行ったのかは問題とされず、生じた結果だけが問題とされたらしい。
大事なのは、その犯罪によって生じた秩序に対する傷を治すことに合った。
古い時代においての法は特別な部門ではなく、方向づけられた秩序あるすべての生活の関係全体であり、それがいつ成立したのかも分からないが、その秩序は自明で申請にして犯すべからざるものであった。

要するに現代の私達から見て、呪術的な儀式めいたやり方であっても、定められた罰が行われればよかった。
それをすれば(個人を倫理的に裁くのではなく)当時の人々にとっては乱された秩序を回復されたと見なされ、世界は元の秩序を取り戻したことになるのだ。

中世盛期にいたるまで人間と世界との関わり方は神的・呪術的な関係で貫かれており、行為(犯行)と結果との因果関係は理知的に捉えられてはいなかった。人々はいわば非合理的・呪術的な思考世界の中に生きていたのであって、それはその限りで宗教的な世界でもあった。アハターは「宗教と法とはかつて同じものであった」といっている。
(P.40)

近代的な「個人」とか「因果律に基づく合理性」とか「理性によって導かれる倫理」というものがないので、犯人自体への関心や、犯行という結果を引き起こした原因や、犯行に関する倫理的是非など、は問題とされなかった。
とにかく大事なのは、犯行によって乱された秩序を回復させることだった。

「秩序を回復」といっても人が殺されたり、ケガを負わされたり、物が盗まれたりした時、”客観的に”みて元の状態に戻すというようなことを意味するわけではない(というか現実的に不可能だ)。
殺人や傷害や強盗に関わった何か(犯人など)を「何らかの罰」を行うという呪術的・宗教的な手続きによって世界の秩序は回復されたと主観的に見なすことなのだ。
その「主観」は単に個人のものではなく当時の人々に広く共有された信仰である点が理解できれば、中世の刑罰に対する意味をイメージできるかと思う。

本来絞首は不名誉な「処刑」ではなかった。自ら絞首して九夜風の強く当たる木にぶら下がっていたろ言う嵐の神ヴォータンへの供犠であった。
(略)この絞首という儀式によって不純な犠牲者も純化され、神との結合によって聖化されたのである。したがって、盗人にとっては絞首されることは彼の権利でもあった。
(P.56)

都市の発展・キリスト教受容

12世紀~13世紀以降、ヨーロッパ社会は商業の復活を契機に遠隔地商人を主体としながら、地域間交易の中心となる都市が交通の要衝に生まれてくる。
人々は森を支配する霊や水の精への恐れを抑えて、道路や河川を経済・行政上の利益のために十分に利用し始めた。

また、キリスト教の受容にともなって平和観も大きく変化していった。
古ゲルマン社会においての国家や人民団体が守ろうとしていた平和と違って、一神教であるキリスト教の終末思想に裏付けられた普遍的平和概念であった。平和の根源は神とその代理人である皇帝あるいは教皇にあるとされる。
とはいえ、これが民衆生活に対してもたらした変化は緩慢なものではあったということも述べておく。

これらは人々に対して刑罰に関する価値観に大きな変化をもたらした。

まず、都市の発達は自然と強く結びついていた霊的なものを追いやって、以前のような呪術的なやり方での世界の平和(秩序)の回復の道筋を閉ざすことになる。

そして、キリスト教の受容により、それ以前まであった神々への供犠という意味合いが強かった処刑は否定された。なぜなら、一神教はそれ以外の神を認めないからだ。
供犠として畏怖すべき処刑は、キリスト教の浸透によって神聖な行事としての性格を失い、「畏れ」が消えた後には「恐れ」だけしか残さなかった。
このことにより、処刑は神聖さを剥奪された「恐れ」の対象として忌むべきものとみなされるようになったという。
かくして13世紀以降の社会史的状況の中で刑吏は賤視される存在へと転化してゆくことになったのである。

刑吏による拷問

ゲルマン法には元々、拷問はなかったそうだが、ローマ法の影響で裁判制度の改革が進み取り入れられるようになる。
この拷問は容疑者を虐待するのが目的ではなく、証言に対する「清め」という意味があったらしい。

しかし古代ギリシアにおいても古代ローマにおいても拷問は自由人に対してではなく、主として奴隷に対してくわえられた手段であった。自由人の証言はそれとして信用されたが、奴隷の証言はそのままでは信用されず、拷問によって肉体を痛めつけ、「清めてから」はじめて信用しうると考えられていたからである。だから奴隷が証人になったときには刑事事件でなくても民事事件でも必ず拷問されたという。
(P.150)

たとえ「清め」のためだとしても肉体的に痛めつけることには違いない。しかも、ゲルマン人にとっては民衆の法意識に根差さない異質なやり方である。このため、刑吏は恨みと恐れの眼差しを受けることになったようだ。

国家権力の代行者

民衆は国家権力の具体的顕現としての処刑処刑の執行に対して無意識のなかで激しい反感を抱いていたと考えられる。しかも裁判手続きを経て行われる処刑に対しては抗議の声をあげることができなかった。
(略)この時代の民謡には民衆の英雄となる犯罪者がしばしば登場する。明らかに民衆の認めがたい犯罪の場合も観衆は受刑者に味方することが多い。特に女性や子供が処刑される場合それが著しかった。
(P.162~P.163)

領域国家が形成され、刑事法の改革が行われていったとき、古来からの慣習法に配慮はされていたものの、完全に民衆の満足のいくものとなるわけではなかったようだ。
そのため、権力の代行者としての処刑執行人である刑吏は、一太刀で首を刎ねるのに失敗したりすると、受刑者に不必要な苦しみを与えたとして怒った観衆から石を投げつけられたり襲われることもあったようだ。
このような形で権力への不満が刑吏へと投影され蔑視はさらに大きくなっていったものと思われる。

身体感覚に関する知的雑談―――『話せばわかる!』を読んで

養老孟司と16人の知識人・文化人の対談本。
著者は養老孟司(解剖学者)、他16名。
清流出版。
2003年第1刷。



身体感覚の変化

養老:(オーストラリアの)キャンベラで16年間、日本人のホームステイを受け入れているおばあさんが「私の家に着いた途端、一切外へ出なくなった子がいた」と言う。聞いてみると「広すぎる」と。そこで海へ連れていったら治ったらしい。日本と違ってオーストラリアは空が非常に広いから、一種の広所恐怖症だと思う。

岩合:空の青さも、グラデーションがないような青さですね。日本だと下の方はかすんでいますから。

(P.9)


その土地の環境や風土は、人間の身体感覚に強い影響を与えるようだ。
そのような経験をすれば、普段の生活に戻っても世界の見え方が新しいものになっているかもしれない。

種の分類と系統関係

養老:その典型例がホッキョクグマ(白熊)です。非常に新しいことが分かっていて、系統では、おそらく最後の氷河期に適応してヒグマから分かれている。すると、あちらこちらに生息するヒグマ同士のほうが、白熊の親戚のヒグマより縁が遠い場合があるのです。種の分類と系統関係は違うと言える。
(P.13)


種としては「ヒグマ」同士でも、系統関係をみるとホッキョクグマのほうが近い関係にあることもあるらしい。
そういえば、別の本で読んだことがある(あいまいな)記憶だと、系統上、チンパンジーはゴリラよりもヒトの方が近い関係にあるらしい。毛に覆われた体などを見ると私達人間は「チンパンジーとゴリラ」⇔「ヒト」という見方をしがちだが、生物学的にはむしろ「ゴリラ」⇔「チンパンジーとヒト」となっているらしい(多分)。


イルカの交信

養老:イルカの親子ではコミュニケーションはどうなっているんですか。哺乳類で重要なのは触覚ですが。

神谷:イルカの子供も口を直接つけて吸うのではなく、母親が海中に放出した濃い乳を飲むんです。哺乳類の親子は乳を吸うこともあって、体の接触を求めますね。毛を介して外部刺激を受容するわけで、体毛を欠くイルカとではだいぶ違う。

養老:(略)聴覚だけでコミュニケーションしているのではないか。(略)。

神谷:シャチがグループで行動している最中の音を収録して分析する研究が進んでいますが、グループによって固有の交信をすることが分かっています。いわば、なまりです。つまり、種に共通な交信とそのグループに特有な交信の2つを持っているんじゃないかと。

(P.29~P.30)


シャチにも方言というか「なまり」のようなものがあるというのは面白いと思った。
コミュニケーションに関して、種固有の共通の身体感覚から規定をうけつつも恣意的な独自性が種内に現れるようだ。必然的な要素と偶然的な要素が重なり合った上にコミュニケーションの形式が出来上がっているのだろう。

身体表現の重要性

神谷:結局、言葉に頼りすぎているから誤解が起こってしまう。

養老:これは現代社会を考えるうえで重要なことだと思うんです。日本の社会で”不信”が生まれてくるのは、ひょっとしたら、身体表現が通じなくなったときではないか。親と子、教師と生徒、医者と患者との間でも、動物同士として身体表現で話が通じていれば、不信感などは生じない。だが一旦うまれてしまったら、本来言葉では補えないところにあるから、どう説明しても、どこまでいっても平行線になる。

神谷:ということは、現代人にとって、動物と話すことは更に困難になってしまったわけですね。

養老:動物とのコミュニケーションから、いわば人間に対する反省材料が得られます。ただ私はチンパンジーに言葉を教えるといったことは好きではない。動物には言語を使わずに、猫とその飼い主のように無意識下の身体表現を用いたコミュニケーションにんるかと思います。

(P.33)


身体表現(無意識)⇔言語(意識)として見ており、コミュニケーションは言語のみで成り立っているのではなく、無意識下の身体表現も重要な役割を果たしている。
論理によって了解されることを成り立たせるための足場となる前提条件は、おそらく無意識下の身体表現によっているのだと思われる。
人為と自然、意識と無意識、理性と野生、言語と身体表現などの対立項において、片方(言語)のみに価値を認めるのでなく、もう一方の側の価値も見直すことによってコミュニケーションの”不信”を解決する糸口が見つけられるのではないだろうかと思われる。

人間とは歩く動物である

養老:例えば、歩くのは人間の特徴です。速く走るのは苦手だけれど、長距離を歩くのは動物の中で1番得意なのです。そういうことはほとんど教えられませんね。(略)

田部井:人間は走ることではなく歩くのに向いている。そう痛感しながら、山を登っているのです。

養老:だから、アフリカで発生して南アメリカまで行けたのです。あれは歩いて行ったに違いない。アジアを通って北米を経てアメリカ大陸の南の果てまで。

(P.45)


長い時間をかけて歩いたからこそ遠くまで行くことができたということだろうか。
人間は走ることよりも歩くことを得意とする動物らしい。
そういえば、『ヒト―――異端のサルの1億年』島泰三中公新書)には、日本人の近縁として南米パラグアイの先住民グアラニ人がいると述べていた。パラグアイはブラジルとアルゼンチンの間くらいに位置する国で、日本からはほとんど地球の裏側にあるといえる場所だ。そんなところまでよく行きついたなと驚かされる。

風土と身体感覚

温度や湿度は身体感覚に強く影響を与える。外国人が特に嫌がるのは日本の湿度だという。

立川:日本では、それをしのいでいく知恵が一種の文化みたいになったんでしょうね。

養老:それを「豊葦原の瑞穂の国」と表現したのは、僕は大陸人じゃないかと思います。日本人が書いたにしては当たり前すぎる。大陸はカラカラに乾燥していますから、日本がいかに湿気ているかがよくわかるはず。

立川:それにおどろいたということだと言われるのですね。

養老:はい、日本を「秋津島」というのも同じです。それで、トンボのことを「アキツ」と言いますが、トンボが多いことも日本の特徴のひとつです。

立川:日本にはなぜ昆虫が多いのですか。ヨーロッパはあまり虫が鳴いていないと聞きます。やはり湿度のせいでしょうか。

養老:それと、あとは地形ですね。高低差があって地形のひだが細かい。だから、様々な虫がそれぞれに適した土地を選んで生きているけるということです。

(P.48~P.49)

人間だけでなく虫などのあらゆる生物が、その土地の温度や湿度、地形などの影響をうけ生態や、あるいは文化的なものを作り上げているようだ。


イメージの固さ

立川:(略)私はよく医学部の学生に「これから言う字の入った熟語を書いてみなさい」と言うんです。例えば「血」という字。「血管」、「血圧」、「血糖値」、「血液型」あたりまではすっと書くんですが、そこで止まってしまう。
こちらとしては「血色」とか「血潮」という言葉をかいてほしい。それで、話はやや飛躍しますが、患者の血色、顔色を見ないような医者になってしまうのではないかと、心配している。これは”血”という言葉へのイマジネーションの問題です。

養老:それは現代社会そのものの傾向ですね。

立川:言葉に対するイメージも本当に固いですね。

(P.55~P.56)


なるほど、「血管」「血圧」「血糖値」「血液型」などは科学的で客観的な言葉だと思う。
それに対し「血色」や「血潮」は主観的で身体感覚的な言葉だ。
数値化可能で客観的判断が可能な語彙が多く出てくる一方で、「血色」や「血潮」などの感覚的(主観的)な言葉は出てきにくいようだ。これは現代社会における、(内なる自然としての)身体を軽視する傾向の現れと解釈することも可能ではあると思える。


作品と作者の分離

養老:まだ人間と作品が分かれていないのですね。むしろ、その問題として扱ったほうがよいのではないか。特に日本の場合は、描かれたものは別のもの、著者と作品は別のものだという意識があまりない。

竹宮:私もどちらかというと、自分の作品のファンに遠慮しているぐらいですから。その人達が作っている世界というのがあるのですね。ですから、自分のものだからといって、あれこれ言う権利はないだろうと。

養老:そうです。(略)「文は人なり」と言うけれども、この格言も、うっかり使うと危ない。「書かれてしまったものは仕方ないから、俺は関係ないよ」と(笑)。

竹宮:私も「責任もてません。そのときの私はもういません」と、よく言っています。

(P.107)


これはロラン・バルトのいう「作者の死」と似ている。
「作者の死」とは、作者がその物語の解釈を決める最高権威(神)ではないとする考えかで、作者の意図を重視する従来の作品論から読者・読書行為へと焦点を移したという考え方である。
竹宮の述べた「その人達(読者)が作っている世界というのがあるのですね。」と同じような意味だと思う。


忘れる感覚と忘れない感覚

語学や音楽において長い間そこから離れていると忘れてしまう技能や感覚があると共に、体で覚えていて忘れないものもある。

養老:忘れてしまったことと全く忘れたわけではないことがあると思いますよ。聴き分けることは忘れていないはずです。それが自分の能力になっているから気が付かないだけで。いま整理の実験から様々なことが分かってきています。目もそうですが、小さいときに頭を固定して縦縞しか見せなかった猫は横縞が見えなくなるとか。

中村:可哀そうに。先生のように解剖のお仕事をしていると、猫も人間も単なる実験の対象としてしか目に移らないのではないですか(笑)。

養老:大丈夫ですよ。演奏会と練習を分けるように、精神状態を切り替えるようになっていますから。白衣を着るのはそのための儀式でもあるのです。

(P.124)


「猫も人間も単なる実験の対象としてしか目に移らないのではないですか(笑)。」、これはもちろん冗談であろうが、解剖学者は、実際にそのような誤解も受けることがあるらしい。可哀そうに。
面白いと思ったのは、白衣を着ることが精神を切り替えるための儀式となっているというところだ。身体の延長としての衣服に社会的な意味合いが付与されているのだろう。


自分のリズム

岩城:ウィーンフィルなどのベテランプレイヤーになると、「今日は天気が悪いし、曲も年寄りが多いから、あの曲のあの部分のテンポをちょっと遅めにしよう」と。店舗は毎回違う。気候、気圧からホールの状態まで関係してくるから、2度と同じことは出来ないはず。逆に1秒も狂わないのはおかしいんじゃないかと思います。

養老:要するに自分のリズムで勝手にやっている。リズムのいろいろな感覚に共通するところがあるんです。(略)頭の中で全体を統合する基本になるのはどうもリズムみたいなものらしいです。それが識には典型的に表れているような気がしまして。

岩城:よく作曲家とケンカになるんです。「この2小節は店舗92で、ここからは110」細かく指定する人がいて。その通りになんかできっこない。それより、アレグロモデラートと一言書いたほうがかえって正確です。(略)。

養老:リズムのほうに人間を合わせろというのは、戦争の時に「靴に足を合わせろ」と言うのに近い。そういう社会の中では若い人は自身がなくなってしまうのではないか。だから資格を求める。芸大もそうですが、国家資格みたいなものに学生は寄る。早く自信を持ちたいという真理ではないか。今の社会は1人1人に居場所を与えるのではなく、”場所”が先に会ってそこに人間を合わせるシステムだ。

(P.129~P.130)


天気や客層、気候や気圧、ホールの状態によってテンポを変えていくのは、やはりプロはすごいと感じさせられる。
また、環境状態と共に、曲の演奏は指揮者や演奏家の個性によっても独自の味が出るのだろう。
決まりきった型に人間を押し込めて合わせるのは不自然なのだ。やはり、身体をもった存在として、他者とは交換不可能な固有性を考えなくてはならない。


聴く力

天野:新聞の電話取材を受けたことがありましてね、雑談風の話の中で、僕は「あいつはオッチョコチョイというか、バカというか・・・」と、愛情をこめてしゃべったんです。ところが、翌日の新聞にぼくの意見がのっていたんですけど、「あいつは馬鹿である」とかいてあるんですよ。あれにはびっくりしましたね。音を聞いていれば明らかに冗談で言っているという響きがあるのに、「バカ」をそのまま「馬鹿」と聞いてしまう。

養老:耳が素直じゃないんです。自分の意見に会うことしか聞いていないのでしょう。

天野:特にジャーナリストがやりそうだけれど、自分がもつ仮説を補強するために人の意見を聞いている。

(P.157~P.158)

音声で話をしていると抑揚やリズム、声の調子なども非言語的な身体感覚の情報として、入ってくる。
しかし、新聞記者などの聞き手の側が、自分の意見を補強するものしか受け入れないという身構えをもっていると、その身体表現としての「声」が歪められて受け取られてしまう。

体で伝えていく

天野:僕は、たまに絵本を書くんですけど、子供って絵本を読んだ後、それが良い絵本であればあるほど、読んだ後に少しボーっとしているんです。僕らがいい映画を見た後、しばらく誰とも話したくないようなものですね。でも、その間に自分の体の中では何かが起きている。いま見た世界を、自分の心の中に養分として貯蔵する作業をしてるんですね。ところが大抵のお母さんは、「ボーっとしてないで、次の本を読みなさい」と言う。それと、幼い子に本を読んで聞かせるときも、棒読みスタイルでなってないんです。要するに、親が子供に体で何かを伝えていくという部分がなくなっているんですね。そういう点では、目よりも耳のほうが原始的な力をもっているんでしょうね。

養老:いわゆる、心の底に届くというか・・・。

天野:そうですよね。近頃は、そういう体で伝えていくという機能が落っこっちゃっているのかな。

(P.159~P.160)


本でも何でも単純に知識や情報だけをインプットしているのではない。体で何かを伝えていく、体の中で新しく何かが起きているということを忘れてはならない。運動だけでなく読書もまた、身体的な体験なのだ。

多層的な現実を見直すために―――『「子どもの目」からの発想』を読んで

児童文学の分析を通して人間の心の奥深さに接近を試みた本。
著者は河合隼雄深層心理学者)。
講談社+α文庫。
2000年第1刷。




児童文学

子供のための読み物ではない

児童文学は子供のための読み物だと思っている人が多いと思う。
だが、著者はそうではなくて、「子どもの目」と通して見た世界が表現されている文学だと主張する。
大人になっていくうちに身につけた意識、理性、合理といった「マジメ」な在り方では見逃してしまう大事なものを訴えかけているのが児童文学なのだ。
人間の無意識に存在している奥深い意味を見逃さずにキャッチするには「子どもの目」を通して見るしかない。
そのために児童文学は大きな価値をもっている。大人こそ「子どもの目」を通してその意味の深さを見つめなおさねばならない。

二重の意味

著者は『ヒルベルという子がいた』を取り上げ、マジメな大人は大事な意味を見逃すことを示している。

ヒルベルは9歳の男の子で、浮浪児や、親の手におえなくなった子を一時的に収容する「ホーム」にいる。
(略)このホームにはじめて務めることになった若い女性のマイヤー先生とヒルベルの最初の出会いは印象的である。
(略)彼女がたんすの戸を開けると、ヒルベルは裸で、パンツをボールのようにまるめて持っていた。ベットにいくようにやさしく接するマイヤー先生に対して、ヒルベルは丸めたパンツに小便をひっかけると、それを彼女の顔をめがけて投げつけたのである。先生はたじたじとなりながらも、少年を叱った。しかし、その後、先生はヒルベルを好きになった。
(略)自分の世界に侵入しようとする相手に対して、ヒルベルはもっとも適切な対抗手段をとった。つまり、パンツの弾丸を投げつけたのである。しかし、これはヒルベルのしたことの唯一の意味であろうか。
小便も大便も、あるいは唾なども、子どもにとっては自分の一部であり、自分の分身である。ヒルベルの鋭い直感は、この新任の女の先生を見たとたん、自分の分身を投げかけるに値する人であることを見てとったのではなかろうか。
かくて、小便でぐしょぬれになったパンツは、二重の意味をこめて先生に投げかけられたのである。これに対して、マイヤー先生は見事に反応した。
(略)ヒルベルの勢いにたじろいで逃げだす人もいるし、管理人のショッペンシュテッヒャーさんのようにヒルベルをなぐり倒す人もいるだろう。
(略)もうひとつのタイプの人たちは、子どもを憎んではならない、受け入れねばならないとマジメに信じている。彼らはヒルベルの弾丸をくらったとき、心の中に生じる怒りを無理やりに押さえようとする。この苦しい仕事のためにエネルギーが消費され、ヒルベルの意味深い信号をキャッチする余裕がなくなる。
(P.19~P.22)


少し長くなったが引用した。
上記のように児童文学は「子どもの目」を通して見ると意味深いものが表れていることに気づかされる。

さらに著者は、ヒルベルが裸であったことについて、このような解釈を行っている。

ヒルベルがマイヤー先生との最初の出会いにおいて、真っ裸であったことはきわめて象徴的である。ヒルベルは現実の表層を覆ている常識という衣服を取り去って、異次元の現実を大人たちに露呈する役割を持っているのである。
(P.30)

子どもの目は大人の目のように常識によって曇らされていないので、現実の多層性を見抜く力を持っている。
そこに児童文学の存在意義があるのだ。

うそつきでいたずら者でも大切

カニグズバーグ作『ジョコンダ夫人の肖像』には、レオナルド・ダ・ヴィンチに関する2つの疑問に答えを示した。
2つの疑問とは、王侯貴族から肖像画を描くようせがまれたとき、何故よりにもよって名もなき商人の2番目の妻(モナ・リザ)を描いたのか。もう1つは、ウソツキで泥棒までする少年を長い間自分の傍におき遺言に書き残すほど大切にしたのか、である。
カニグズバーグの回答は、この少年サライこそ、ダ・ヴィンチが不朽の名作「モナ・リザ」を書き残す道を用意した人間なのだという。

学者達と議論した後、ダ・ヴィンチは自分は彼らほど本を読んでいない。本を読むことは大切だとサライに言うと少年は、本ばかり読んで現実を見ていないことをなじる。「あいつら、馬に小便ひっかけられたって、どうして濡れたのか、本で見なくちゃわからないのさ、なんだい、あいつら―――」といった具合である。レオナルドは頭を振り上げて笑った。

ただ、最後に、サライがレオナルドに対して持つ意味を、ベアトリチェがいみじくも言い表している言葉をしょうかいしておくことにしよう。彼女はサライに対して、「おまえのレオナルド先生は、おまえのもっている何かを必要としているのよ。おまえの粗野なところと、無責任さが、必要なの。」と言う。彼女はレオナルドには「荒々しい要素」が必要だと言うのだ。
(P.35~P.36)

抜き書き

印象に残った部分だけ抜き書きしていく

車椅子で出かける「わたし」をじろじろと見る人に、「わたし 宇宙人と ちがうでェ」、「怪獣でもないで」とプロテストする。これを読んで、われわれは今江の言う通り「背筋がきゅんと」なるのだ。素晴らしい文学はわれわれの身体にまで作用を及ぼすのだ。
(P.40)

すべての素晴らしい作品は、その底に何らかの叫びを内在せしめている。と言えるかもしれない。ただ、その叫びは生のままで読者に投げかけられるのではなく、作者の人格を通して濾過され、作品となって、人々に語り掛けられるのである。やはり、書くということは大変なことなのだ。
(P.44)

著者は「それでは自分の体験を書いてごらんなさい。(略)」と言ったことがある。
実際に書いてみると「書くこと」がどれほどむずかしく、苦しいことであるかわかるであろう。自分が「体験」したと思っていること、自分が「知っている」と思っていることが、どれほど不明確であるかが思い知らされるであろう。
(P.47)

作中の人物はそれほど簡単に、作者の意図通りに動くものではない。ここに、創作することの不思議さがある。
(P.50)

ところで、作者というものは、自分の作品中のすべての人物を愛すべきではなかろうか。(略)俗人は俗人なりに、悪人は悪人なりに、その存在の根っこまで、できる限りかかわるのを放棄しないことを愛というのではなかろうか。
(P.52)

相手が子供だということは、大人よりも油断がならないのである。
(略)
わたしが5さいのとき
おとうさんと
おかあさんが
ふうふげんかをしました
でもいまは
そんなことは
わすれています
きょうは 土よう日
あしたは 日よう日
あさっては 月よう日です

どんな大人だって、(略)詩の終わりの3行に、このような表現を出来る人はまずいないだろう。
(略)こうして書かれてみると、それは千鈞の重みを持って迫ってくるのである。
(P.55~P.56)

「人間にとって大切な『個』としての感情を強めるには、その人が守ることを誓った秘密をもつことが一番いい方法である」と分析心理学者ユングは、その『自伝』の中で述べている。そして、このような秘密を持つとき、「多分生涯において初めて、自分自身が主人であると思い込んでいた自分のもっとも個人的な領域の中に、自分よりもより強力な他者の存在することを、目の当たりに顕示されることになる」と述べている。
(P.67~P.68)

人間は新しい変化を体験するためには、相当な苦しみを味わわねばならないのである。
(P.112)

「善意」に取りつかれた人は、他人の気持ちを推し量ろうとすることがない。
(P.114)

彼は戦争に行き、弾丸に当たって、真っ二つに引き裂かれてしまったが、奇跡的にその両方の半分が生きながらえ、その上、片方はまったくの善玉、他の片方はまったくの悪玉になて存在することになったのである。
(P.127)

悪と切り離された「まったくの善」というものはしばしばひとりよがりになる。
(P.129)

ベンとハワードが歩いているところなのだが、ベンとハワードの影の間に、ひとつ小さい影が描かれているのに気づかされる。
(P.132)

「もう1人の私」としての影との接触をうっかり断ってしまったために、大変な悲劇が生じたものである。
(P.134)

このあたり「灰色の男」の手法はまったく巧妙である。お金に比べれば影などまったく非現実的であると思わせて、まず影を手に入れ、続いて、影に比べると、たましいなど目には見えないし、わけのわからぬものだからという論法で交換を迫ってくるのである。
(略)「灰色の男」の道理に従う限り、何も問題はないどころか、それをしない人こそ、馬鹿げているとか、時代遅れとかいわれるのではなかろうか。
(P.137)

それに立ち向かおうと決意するとき、「影」は人格化され、対決し得る対象としての形態をとりはじめ、「もう1人の私」としての姿を明らかにしてくるというのだ。
(P.142)

ここにアイデンティティの難しさがある。それは飽くまで独自でありつつ、他と繋がっていくものでなくてはならない。
この問題の一番わかりやすい解決は、大切な秘密をわけもってくれる他者を見出すことではないだろうか。実際、我々は大切な秘密ほど、誰にも言いたくない気持ちと、誰かに言いたい気持ちとの両方を味わうものである。このとき秘密を分け持ってくれる人は、その秘密の異議がわかり、その秘密を保持してくれる人でないと駄目である。
(P.163)

しかし、このような危機も、ジョージの必死の叫びによってのりこえられる。「ぼくの体ベンジャミン君、ぼくはお前さんを人間にしたい。ぼくが誇りをもって中に住んでいられるような人間に。」とジョージはベンに向かって叫ぶ。
(P.172)

マクシミリアンはその中で、父親の良さを段々と見出していく。
父親の良さを一言で言うと、「・・・のふりをしない人」だった。偉そうなふり、何かを知っているようなふり、親切そうなふり、そんなことを彼は全然しなかった。
(略)このブレザーは彼のアイデンティティを守る鎧のようなものである。しかし、その鎧によって、彼は本当に人と人とが肌で接するという機会を奪われてしまっているのではなかろうか。
(P.175)

しかし、死者の目を逃れることは可能であろうか。
(略)我々が必死になって、何かのふりをしても、死者の目はそんなのをすぐに見透かしてしまうだろう。
(P.181~P.182)

それは、昔話がいかに荒唐無稽に見えながらも、人間の心の成長の過程を深い層で把握したことが描かれているのだ、という認識である。
(P.227)

子供の詩が素晴らしいからといって、子供に詩を書かせればいいというものではない。このような詩が生まれてくるためには、そのような表現を可能にするような場が与えられなければならない。
子供の全く自由な表現を受け入れる先生の態度がなかったら、決してこのような詩は生まれなかったであろう。
(略)このような詩を見ていると、これほど多くの子がこれほど知恵に満ちた言葉を語りながら、どうして大人になっていくと面白くなくなるのだろうかと思われてくる。おそらく大人になるための「教育」というものが、このような言葉を圧殺してしまう力を持っているからではないだろうか。
(P.242~P.243)

つまり父親というのは常に現実規範の体現者の面をもって現れますから父親不在の設定がここで行われているのは意味深いと思います。
(P.252)

それから「鳥を捕る人」。私の想像、ファンタジーになりますが、この鳥を捕る人は、人間たちのたましいを掴まえている人という印象を受けました。
(P.258)

「(略)あれは本当に静かで冷たい。僕はあれをよく見て心持を鎮めるんだ。」
このような直接的に悲しいとか寂しいとかいう表現だけではなく、読んでいる私達がもっと透明な悲しさ寂しさを感じる、絶対的な孤独を感じさせるところがいっぱいあります。
(P.262)

そして誰にも見えないように窓の外へ体を乗り出して、力いっぱい激しく胸をうって叫び、それからもう咽喉いっぱい泣き出しました。

これはあの透明な孤独とは異なり、”この世の”悲しみの表現である。
(P.264)

自我を確立しようとする人は、他人―――それも親しい人―――との分離を体験しなくてはならない。それは悲しく寂しいことではあるが、決して避けることのできないものである。この孤独に堪え得る人は、分離した相手と今までとは異なる次元での関係を再び作り出すことができる。
(P.280)

夢の中では、弟の洋が洋次郎の兄になっていて、その”兄”に向って洋次郎は、「洋”にいちゃん”、おっちゃんはひょっとすると火星人・・・」と話しかけるのだ。佐脇さんの存在は既成の秩序を顛倒させる。兄が弟になり、弟が兄になる。そして、彼はこの世とは異なる秩序を持った世界に住んでいるのである。
(略)トリックスターは策略に富み、行動力、破壊力があり、秩序の破壊者となるが、それによってこそ新しい秩序がもたらされることにもなる。それは低次元においては、単なるいたずら者であるが、高次元においては、英雄または救済者に近似するものとなる。
(P.284)

この物語におけるヨハネスは、多くの点で佐脇さんと類似している。まず、父親の死後、子供達を助ける「忠臣」であること。行動力や策略に富んでいて、トリックスターのお得意である「変装」に巧みであること。主人公を女性と結び付ける重要な役割を演じること。真実を語ることによって、ヨハネスは石化し、佐脇さんは命を失うこと、などである。
(P.286~P.287)

神様であるイソポカムイは目が見えにくいために起こった滑稽な失敗を語って、我々を笑わせてくれます。(略)私は、神様が自分の滑稽な姿を、人間の愚かさの映しとして、またはその拡大図として示してくれているのではないか、と思うのです。
イソポカムイは何も燃えていないのに、我が家が火事だと思いこんで失敗をしました。しかし、多くの人間は自分の家に火がついているのも知らず、のんきに暮らしているのではないでしょうか。
「私の家が火事?馬鹿なことを。見てごらん、何も火は出ていないよ」とその人は言うかもしれません。ところが、実は家の中は「火の車」であったり、子供が「焦眉の急」の中で思い悩んでいた、あるいは奥さんは帰りの遅い夫に対して「怒りの炎」をもやしているかもしれないのです。
イソポカムイは親切にも自分の失敗談を語って笑わせながら、「人間たちよ、あなた達はよくものがみえていますか」、「家の中に火が燃えているのを見落としていませんか」と呼び掛けているのです。
(略)この世の現実は、大人が思い込んでいるほど決まりきったものではなく、それは実に多層的であって、見る見方によっては実にいろいろな姿に見えるのではないでしょうか。
(P.322~P.324)

このお話で「笑い」が生じることも大切なことです。「アッハッハ」と笑うとき、我々は何かが「開ける」のを感じます。それまで、決まりきったものとしていた単層の世界が、今までも考えてもみなかった次元へと開けていくのです。
イソポカムイは自らを笑いの対象とし、大声で笑わせながら、笑った人地に次元の異なる世界の開示を試みようとしているのです。その笑いによって、人間たちの持つこだわり、たとえば、誰の獲物が大きいか小さいか、けんかでどちらが勝つか、などということが一瞬のうちに解消し、そうだ、我々はもっと広い世界に生きているのだということが自覚されるのです。
(P.324~P.325)

戦時と平時と国際法―――『国民のための戦争と平和の法』を読んで②

国連や国際法、そして戦争と平和について書かれた本。
著者は小室直樹(法学博士)と色摩力夫(元外務省官僚)。
総合法令。
1993年初版。




警察と軍隊

国家権力の内部での位置づけ

「軍隊」は、半ば自律的なプロ集団として、時の政府からある種の距離をおいている。従ってこれを名実ともに統制する必要がある。「政治的統制」とか「文民統制」とか呼ばれているのがそれだ。

「警察」は、政府と一体で、行政機関の1つである。

権限の規定

軍隊の権限は「ネガ・リスト」方式で規定される。これはしてはいけない、あれは禁止だというように禁止項目以外のことなら行っても良いという規定のことだ。戦時国際法には縛られるものの「原則無制限」といわれるほど自由な行動が認められるのは、軍隊が動くときというのは平時の法秩序が乱れている時であり、また海外などの未知の地域情勢の下での活動が想定されているからだ。

警察の権限は「ポジ・リスト」方式によって規定される。これはしていい、あれはしていいというように許可されたことだけを行っても良いという規定のことだ。「原則制限」といわれるほど不自由な規定は、まず、警察の行動は軍隊とは違い国民に対して向けられるものであることが挙げられる。また、活動は平時の法秩序が保たれている状況が想定されているからだ。

活動の目的

「軍隊」の活動目的は国家の防衛である。軍隊の力が向けられるのは国内の国民ではなく、外国に対してなのだ。
それだけに軍隊を法的に規制するのは戦時国際法(の戦時法規)ということになる。ゆえに平時国際法のいう「主権侵害」の問題は起こらない。

「警察」の活動目的は治安の維持であり、酷な方の執行である。警察の力は国家の領域内にいる人に対して向けられる。
つまり、警察が国外で公権力を執行するとそれは「主権侵害」となる。主権侵害は国際法上、重大な違反であり、あってはならない。

任務の基本的性質

「軍隊」の機能は、もちろん「軍事的(ミリタリー)」な任務である。

「警察」の機能は、「文民的(シビル)」な任務である。

このような違いは国際社会のどこへ行っても1点の疑いも有り得ないことだ。


自衛隊の問題

自衛隊については、国の「交戦権」を放棄しているので「この点が外国の普通の軍隊との違いである」(林法制局長の国会答弁)と言われているようだ。
しかし、自衛隊は国内法でいくら規制しようが、海外では普通の軍隊として遇されているし、「交戦権」は個人にとっての「人権」に匹敵するもので、国家にとっては恣意的に放棄し得ない固有の権利だと考えられている。
つまり対外的には自衛隊は「普通の軍隊」であると世界は見ているし「交戦者平等の原則」の適用は当然とあると考えられている。
しかし、国内法上、自衛隊は本当に軍隊にふさわしい法的構造を与えられているかというと、否である。
それは「ポジ・リスト」方式が採用されている点だ。これは法的秩序が保たれた平時に国民に対して向けられる力を規制するための方式であって、軍隊にに対しては本ラインら「ネガ・リスト」方式が採用されていなければならない。
日本では「軍隊」と「警察」違いをわきまえていないために「戦時」と「平時」の振る舞いや対応に関する考えにおいて大きな混乱を生じさせることが多い。


国連の本質

ポイント

(1)連合国側が第二次世界大戦後の現状を維持するために作った国際機関である。
(2)アメリカ主導の下に設置され、大国一致の原則で運営されている。
(3)建前としてもユニバーサルな機関ではない。
(4)国連は「世界連邦政府」の第一歩ではない。
(5)各加盟国が一般的な政治的了解を相互に模索する場であって、それ以上のものではない。
(6)国連憲章は戦争を否定していない。


国連設立の法的根拠である国連憲章が成立したのは1945年6月26日だった、つまり終戦以前だということだ。
ゆえに第二次世界大戦後に設立されたものではない。
さらに、国連憲章が署名された1945年6月26日のサンフランシスコ会議には5大国によって招請され50か国が参加しているが、その条件は枢軸国(日本、ドイツ等)に宣戦布告したという既成事実である。

つまり、連合国(United Nations)が敗色濃厚な枢軸国に対抗してせんそうを遂行し、勝利を得た後には戦後の国際政治を牛耳るために、ことさらに終戦の前に急遽設立を企てた国際機関が「国連(United Nations)」なのだ。


訳語

「United Nations(ユナイテッド・ネイションズ)」を訳すなら本来、「連合国」となるべきだ。
だが、日本では”国際”連合と訳されてしまった。この訳が意図的なミスリードを狙ってのものなのか、それとも単純に理解不足からそうなったのかは分からない。しかし、どちらにせよ結果としては、「国際連合」という訳語は日本人に対して国連の本質を見誤らせてしまう効果を発揮した。
日本人の中の一定割合の少なくない人々は、国連のことを、国家の上位機関だとか世界連邦を志向するものであるとかの勘違いを今でもしているようだ。
実際は、5大国が拒否権という特権をもった戦後体制を維持するために始まった機関であり、現在は国家間の意見調整を行うための数ある場の中の1つにすぎない。

国連は国際社会そのものではない

「国際社会」は、そこにあるものです。即ち、自然の如く、人間に対して所与としてあるものです。「国連」は、そこにある国際社会の中で、人工的に作ったものです。「社会(ソサイエティ)」と「結社(アソシエーション)」とを混同してはいけません。
(P.181)

何らかの目的の下で、意識的に結成された機能体として存在しているのが国連である。
一方、国際社会というものはいつのまにか自然に出来上がっていた場である。すべての国々が存在し、友好的であれ敵対的であれ互いに関係を持ちながら活動する場、それが国際社会だ。
実際、国連には多くの国々が加盟しているが、すべての国々というわけではないし、加盟条件なども存在する。
やはり、国連は社会ではなく結社なのだ。

公開外交の場

国連は、各加盟国が一般的な形で政治的了解を模索するための常設的な場である。
その特徴的な機能としては「公開の議論」という点が指摘できる。

国連には、大中小、または機能に応じて、いろいろなフォラムがあります。それらに共通して、外交の手法としては、1つ特異な性格があります。それは、公開の議論です。「公開外交」の場なのです。
(P.185)

公開で、しかも多数で議論するため「大衆討議」という形をとる。そのため率直で本音の議論をするのには向いていない。
だからこそ東西冷戦の時代は米ソは、自国の立場の宣伝のために国連を使うことはあっても、重要な問題の交渉は直接行いっていた。肝心の問題の核心については必ず国連の外で直に駆け引きをしていた。
また、「サミット」というものもある。経済大国の首脳が集まり、それぞれの国民経済や政治の運営方針を協議するものだ。
このサミットも国連の枠外で行われており、討議は非公開である。

国連での公開外交というと何だかともて善いもののように見えてしまうが、実際のところは大衆討議でしかなく、自国の立場の宣伝やプロパガンダに陥ってしまうリスクを抱えている。
とはいえ、宣伝のすべてが悪というわけでもない。他国の(建前としての)立場を知ることもできるし、そこから本音を察することもできるかもしれない。また、自国の立場を(建前として)伝えることで遠回りに本音を読み取ってもらえるかもしれない。
常設され、各国の代表がいるため、目立たぬ形で隠密に会って秘密外交の場として利用することもできる(おそらく昔から各国が行っているであろう)など利用価値はあるのだ。

大事なのは国連の本質を誤解しないことである。国連は平和の機関でもないし、国連憲章は戦争を禁止しているわけでもない。また、国際社会そのものでもないのだ。

国連憲章

国連憲章は、「国際平和及び安全の維持」という目的を達成するために、究極的にはどのような手段を想定しているかについて4つの「武力行使」を明示的に認めている。

(1)国連自身の武力行使
(2)敵国条項の発動
(3)個別的自衛権の発動
(4)集団的自衛権の発動

国連憲章には、過去の戦争についての言及を除けば、「戦争」という語を使用していない。しかし、「空軍、海軍又は陸軍の行動」とか、「軍事措置」とか、「国際的強制行動」とか、「武力攻撃」とか、いろいろな表現を用いている。
いずれもが結局は「戦争」を意味する言葉であることは疑いの余地はない。


国際法

社会と個人

「個人的なもの」や「個人間的なもの」とは全く別の次元に「社会的なもの」がある。
どうしても個人には還元できない社会的なもの、所与として暗黙のうちに、無意識に了解されている、人々に共有された慣習がある。個人の立場から見れば合理性はないことが多いが、それらを人々が共有することで社会を成立させているような前提条件、それが慣習だ。
国際社会も本質は慣習だと著者は述べる。

国民社会の構成要素が個人であるのと同じように、国際社会の構成要素は国家である。つまり、国際社会は個人か構成されているわけではない。

「社会は個人の総和ではない」、この考え方は簡単には理解しにくい。
それよりも、個人の総和が社会だとう考えの方が俗耳に入りやすいだろう。
「社会の1人1人が良くなれば社会も良くなる」「社会の人々がみんな富めば社会も富む」などだ。
しかし実際には、「社会の1人1人が悪いから、社会が良くなる」「社会の人々がみんな富めば社会は貧しくなる」ということも有り得るのだ。

このことを最初に発見したのはマンデヴィルだ。
彼の主張の要約は「個人の悪徳は、全体の美徳である」となる。
個人が悪徳(私利私欲の追求)に励むと、その結果、神の見えざる御手に導かれて、最大多数の最大幸福を実現する。
これがアダム・スミスに始まる英国古典派の根本思想となる。

また、「個人を富ます貯蓄は、社会を貧しくする」ということについても「個人の総和が社会ではない」ことを示している。
個人が貯蓄を増やせば、それだけ消費が減る。消費が減れば、それだけ有効需要も減る。その結果、GDPは減って社会全体は貧しくなる。
これらは「合成の誤謬」と呼ばれることも有る。



慣習

慣習の根源は「過去」にある。慣習の体系が各人の生まれる前から準備されているからこそ、平穏な社会生活を営むことが出来るし、平和が保たれ、その上各人がささやかながら特定の分野で創造的活動に従事することが出来るのだ。

国際法は慣習法

国際慣習の中でもっとも拘束力が強いものが「国際法」である。
国際法は慣習が必ず成文化されているということを意味しているわけではない。条文として書かれていなくなくても「慣習」として実体があるなら「不文法」として国際法が存在していることになる。
条約などの国際約束は、それを結んだ国家の間にしか効力が発生しない。

国際法の諸原則

国際法は本質的に慣習法である。
②条約の解釈の基準は当事者の立法の意志である。
③疑わしきは「主権」に有利に解釈されなければならない。
国際法には「事情変更の原則」という特異なルールがある。
⑤「法」というものの大前提には「合意は遵守せらるべし」という原則がある

成文法と慣習法

刑法や民法や商法などは、成文法と慣習法の絡み合いになる。
憲法国際法は本質的に慣習法である。
さて、どのような違いがあるのだろうか?

例えば、刑法や民法などで違反者が続出し取り締まることが現実的に不可能になった場合、その法律は無効となるかどうか。
答えは、無効とはならない。
条文が存在する限り、刑法や民法などは生きていると見做される。

では、憲法国際法について誰も守るものがいなくなったとき、その法は無効となるか。
答えは、無効となる。
憲法は失効した。無くなった。改正された。破棄された。と見做される。


戦時国際法

国際法の分類

国際法には①平時国際法と②戦時国際法の2大分野がある。
そして、戦時国際法には3つの分野がある。
(1)戦争法
(2)戦時法規
(3)中立法

「戦争法」は、戦争という制度全体にかかわる法だ。

「戦時法規」は、実際の戦争において「交戦国」及びその個々の「戦闘員」が守るべき規則である。害敵行為の手段の制限と、戦争犠牲者の保護という2つの柱からなる。

「中立法」は、地球上の一角に戦争が起こった場合、中立を維持する国に適用される権利と義務のルールだ。

戦争とは

戦争の目的は、敵を殲滅し抹殺することではない。
国際紛争の解決手段として時刻に有利な解決の条件を作り出せれば必要にして十分なのだ。
戦争の結果、相手国の国家意思を自国に有利な方向へコントロールできればそれでよい。

戦時法規は、戦争によって無益な殺傷に歯止めをかけるべく、国際社会が大昔から現実的で地味な努力を続けながら、ともかくたどり着いた戦闘のルールの総体なのだ。
しかし、人道主義がいきすぎると軍事的必要と衝突するし、軍事的必要がいきすぎると人道主義と衝突してしまう。
大事なのは、ルールとして誰も守らない、または、守れない法を作っても無意味だという点である。
国際法は、憲法と同じく本質的に慣習法であるから、守られていないという実態があると、法として廃棄されたということになるからだ。

国連幻想と戦争―――『国民のための戦争と平和の法』を読んで①

国連や国際法、そして戦争と平和について書かれた本。
著者は小室直樹(法学博士)と色摩力夫(元外務省官僚)。
総合法令。
1993年初版。




国際連合

国連のエッセンス

国連の正体は何か。
(1)軍事同盟である。
(2)アメリカのものである。すなわち、国連、国際連合(The United Nations)とは、アメリカ中心の軍事同盟です。
これが国連の本性ですが、米ソ冷戦を利用して、その本性をずっと隠しおおせてきた。
(P.6)

国連の本性は、機能的に言うと、さらに重大な本性は、
(3)欧米流の「正義」を、誰にでも無理強いする。
この本性です。
アメリカの政治学者ラスウェルは「正義は危険である」と言いました。ラスウェルだけでなく、多くの政治学者が同様の事を言っています。
(略)自分が奉ずるイデオロギーだけが絶対に正しく、他のイデオロギーは絶対に誤りである。
必ず、こうくるのです。
(P.8~P.9)

さきに、「正義は恐ろしい」と言いました。が正義とともに、誠意も恐ろしい。
(略)自分が相手のために誠意をもってやってやっているんだと信じ込んだら最後、相手の気持ちや望み、相手の状況が目に入らなくなってしまいます。相手が、迷惑がりでもしたら、それこそたいへん、聖なる怒り(sacred wrath)が相手に向けられ、相手が悪魔に見えてきます。宗教戦争における異端者のように。
(P.14)

今でも、日本人の間では国連を理想的な平和のための組織だと思い込んでる人が多いかもしれない。
実際は軍事同盟であり、しかもアメリカのような大国の強い影響下にある組織なのだ。
さらに、その機能としては、いわゆる「先進国」の価値観(自由、平等、人権、民主主義)というを「正義」押し付ける働きをしている。当事国の歴史や文化に基づいた価値観を考慮していない。
(日本も含めた)先進諸国は「誠意」をもってやっているだけに、なおタチが悪い。


ハマーショルドの6原則

PKF(国連平和維持軍)は局地戦争を仲裁するために暫定処置として発明されたものだ。
借りのものであるので正式の法も制度も整備されてはいないが、原則が何もないというわけではない。
ハマーショルドの6原則というものがあったそうだ。

①紛争当事者の同意
②中立の厳守
③内政不干渉
④安全保障理事国からはPKFを派遣しない
⑤PKFは各国から平等に構成する
武力行使は自衛のためにかぎられ、自衛権発動のため条件を厳重にしておく

となっていた。
しかし、ソマリア内戦では、これら諸原則は守られることはなかった上、PKFが米軍の指揮下にあることも明らかになった。


国際連盟国際連合は違う

国連は平和的手段によって解決が出来なければ、軍事的措置によって解決する。つまり、戦争を行う組織なのだ。
その説明としては、国際連盟の失敗を繰り返さないためだとされている。
国際連盟第一次世界大戦に対する反省を契機に誕生したが、独自の軍事力を行使するようにはできていなかった。
そのため国際連盟は、第二次世界大戦の勃発を阻止するために何の役にも立たなかった。
この教訓に鑑みて、国際連合は軍事力を持つことで、侵略者、平和を破壊する者を軍事的に阻止できるようにした。

この説明は完全に間違いではないが、正確というわけでもない。

国際連盟が軍事力をもたず第二次世界大戦の勃発を阻止できなかったことや、国際連合が軍事力を持っていることは正しいが、上記の説明だと国際連盟国際連合が組織として連続性を持っているかのように見えてしまう。
実際には国際連盟の後継として国際連合があるのではなく、全くの別組織なのだ。

国際連盟は建前としてではあっても一応ユニヴァーサルな機関を志向していたが、国際連合の方はそれを目指してもいないし、その準備もない。

押さえておかなければならないのは国際連合は、国際紛争を解決するための手段として、究極的には軍事力に拠らなければならないということに気づいたという点だ。


安全保障理事会と拒否権

国連が戦争をするかしないかは安全保障理事会が決める。
どの国のどのような行為が「平和に対する脅威、平和の破壊又は侵略行為の存在」なのかは、安全保障理事会が勝手に決める。
安全保障理事会は15の国連加盟国からなるが、その中でも5つの常任理事国に付与された「拒否権」は大きな力がある。

つまり、国連は軍事力を持ち、その力の行使は大国の意志によって恣意的に振るわれ得るものだということだ。
国連は国際社会の総意を体現するものでもなければ、中小国たちの同意を得て形成された国家の上位機関でもない。


平和主義者が戦争を起こす

PKOは戦争

Peace Keeping Operationを「平和維持”活動”」なんて訳すのが間違っていると著者はいう。

”Operation”とは作戦(活動)。せめて「平和維持作戦」と訳せば意味はスッキリします。正訳は「平和維持戦争」です。
作戦(オペレーション)をして血を流さないですむなんて思うことは、血を流さないで手術(オペレーション)をするということと同じです。
(略)平和を維持するためには戦争が必要である。
これ、実に、国際政治学の大定理でしょう。
(P.72)

国際紛争を解決するためには”最終的な手段”として「戦争」が必要になる。平和とはそのように維持されているということだ。

平和主義者(パシフィスト)

「戦争よ無くなれ」とみんなが念じても戦争は無くならない。

平和主義者(Pacifist)が戦争を起こした。
これは、チャーチルの家言であり、色摩力夫氏が20年前から唱えられてきた説です。わたくしも同意。
(P.73)

「平和主義者」とは、第一次世界大戦第二次世界大戦との中間のときにヨーロッパで跋扈した輩である。
何が何でも戦争反対。「戦争」と聞いただけで条件反射する。
そのような人達が多数派を占めていたためにヨーロッパではナチスの台頭を許してしまった。
ヒトラーは平和主義者の主張を逆手にとって武歩を進めていった。

再軍備宣言、ラインラント進駐、ザール併合・・・・・・オーストリア併合。
第三帝国は伸展に発展を重ねる。
チャーチルは、一撃を加えて、ヒトラーを打倒することを主張しました。
もし、ヒトラーがラインラント進駐したとき、フランス軍が動員していたならば(このとき、フランスの軍事力行使は、ヴェルサイユ条約によって合法的であった)、ヒトラーは没落していたであろう。
今や、これは定説です。
が、当時、ヒトラーヴェルサイユ条約蹂躙を、武力で阻止しようとした国はありませんでした。
ヨーロッパ諸国においては、平和主義者の勢力が強すぎたからでした。
(P.75)

事態の深刻さの度合いが小さい内に戦争をして問題を解決しておくことが、後々の大きな戦争を防ぐことになるということが歴史的に実演されていたということだろう。上記の例で言えば、平和主義者のせいで第二次世界大戦を未然に防ぐチャンスを失ってしまった。
ヒトラーは、平和主義者に対して「戦争をする」と脅せば、どんな要求でも通ることを覚ったのだ。

チェコスロバキアの要衝ズデーテン・ラントを要求した際にも、イギリスの首相であり平和主義者のチェンバレンは、戦争をしたくない一心で、それを受け入れてしまう。歴史上有名なミュンヘン会談でのことだ。

1940年にフランス軍がドイツ軍に完敗して降伏した時、チャーチルは言ったそうである。
この戦争はすでに、1938年、ミュンヘン会談において敗けていたんだ、と。
もう少し早くヒトラーに戦争を仕掛けていれば、第二次世界大戦はしなくてすんだであろう。

ケネディは若いころミュンヘン会談について論文を書いていたほどだという。
ミュンヘン会談の教訓を学んでいたケネディは、「戦争をする決意こそが平和をもたらす」と論じている。
実際に、この教訓を生かして、ケネディキューバ危機の際は圧勝する。

キューバ危機以後のアメリカはずっと、全面核戦争の準備を怠らなかった。もちろんソ連のほうでもそうだった。
その結果、米ソの間に核戦争はついに起きなかった。核戦争も辞さないとの決意こそが核戦争を食い止めた。

戦う決意をすれば平和が得られ、平和を唱えると戦争になる。これが国際政治の大定理である。


戦争の本質

戦争は文明の産物

「戦争」は、人間の破壊本能が剥き出しになって、やたらと殺し合うといった野蛮状態に陥ることではない。
「戦争」とは文明的制度の1つだと著者はいう。

戦争は、人間が長い歴史を通じて考察してきた制度の1つなのです。文明の生み出した一種の果実です。それは、「国際紛争の解決のための1つの手段」であり、しかも、その「最終手段」であると定義することができます。ここに、戦争の文明史的本質があるのです。
(P.95)


戦争は悲惨な状況をもたらすことは誰もが知っている。古今東西、戦争をなくしたいと思う人々はたくさんいた。
しかし、過去も現在も戦争はなくなっていないし、近い将来みついても戦争が無くなるような兆候はみられない。
これは、私達人間がもつ戦争忌避の気持ちが不十分だからでもないし、努力が足りてないからでもない。
戦争という制度の文明史的本質を十分理解して、それを踏まえた努力をしていないからであると著者は主張する。

では、戦争の文明史的本質とは何か?

①戦争は個人の心の中の問題ではない。心の問題であれば願うだけでとっくに戦争は無くなっているはずである。

②戦争は制度であるがゆえに、社会的な問題である。個人の意向は直接関係がないし、個人が集まっただけで社会が形成されるわけではない(社会は諸個人に還元し得ない)。

特に②についての「全体>部分の総和」(社会全体は社会の部分の総和を上回るもの)という点は理解しておきたい。

社会が成立するには、多数の構成員がいて長期間の共同生活の結果、各個人の意向に分解しきれない何ものか、即ち「社会的なもの」が生まれてこなくてはなりません。社会的なものの本質は「慣習」です。社会には一束の慣習の体系が支配しています。慣習は非合理で横暴です。個人は慣習に反抗することはできますが、そうすると必ず多かれ少なかれペナルティを受けます。(略)慣習は不変不動なものではありません。変わりうるのです。
(略)より効果的な別の慣習を成立させて、古い慣習に置き換える他はないでしょう。古い慣習はいやだと言って否定するだけでは、問題は解決しません。
(P.97~P.98)

社会とは、ただ個人が集まっただけのものではなく、「社会的なもの=慣習=制度」の束なりによって1つの全体としてまとまりを持っている。
それを要素還元主義的な方法によって、諸個人の集合としてとらえると1つの社会全体としての振る舞いは見えてこないのだ。


戦争の区別

戦争の文明史的本質をずばり言い当てたのが、スペインの哲学者オルテガの、「戦争とは、国際紛争解決の最終手段である」という定義です。なお、ここで戦争という場合、「あらゆる戦争は、例外なく」と理解せねばなりません。文明論的見地からすれば、戦争を政治的理由で分類し区別するのはナンセンスです。
(P.99)

国際社会は1928年の「不戦条約」以来、戦争を区別するという過ちを犯してきたと著者は指摘する。
国際紛争解決の手段としての戦争放棄に例外を持ち出した。

(1)自衛のための戦争は当然除外される
(2)多数国間の安全保障のメカニズムによる武力行使即ち戦争もこの条約外にある。

簡単に言うと正しい戦争、正義の戦争はしてもいいということだ。
このことにより「戦争放棄」は全くの無意味なものとなっている。
まず、自国が行う戦争を「悪」や「侵略」だと言いながら始める国なんてない。どの国も「正義」や「自衛」のために戦争を始める。
さらに、ある戦争は「正義」や「自衛」で、また別のある戦争は「悪」や「侵略」であると決めつけてもいい特権的な機関は存在しない。諸国家を支配する上位の権力機構が存在しない以上、何が「正しい戦争」かを決めることは出来ない(国連は世界連邦政府ではないので「正しい戦争」を判断する権利はない)。
「主権絶対の原則」や「主権平等の原則」の支配する国際社会では、主権国家の数だけ正義がある。

戦争は、例外なく国際紛争解決のための最終手段であると明確に割り切らないと、戦争の本質を見誤ってしまう。

戦争をやめるには

戦争をやめるために、飽くまでも”理論上”の解答としてなら単純である。

(1)国際紛争そのものを無くす。
(2)戦争より合理的で実効的な別の解決手段を考案する。

(1)について、どんな社会でも人間が生きていれば、不和、摩擦、軋轢、もめごと、対立があり、家族、地域社会、国民社会、国際社会にも必ずこのような紛争が発生してまう。人が生き続ける限り紛争は無くならない。
では、(1)は空論なのかというと必ずしもそうではない。戦争という最終手段に訴える前に解決できれば良いのだ。
最も最悪なのは、紛争を解決せずに放置することである。これは戦争よりもひどい平和の破壊となる。
「紛争は解決せらるべし」とは文明の要請する至上命令である。したがって、国際紛争を最終手段(戦争)を用いる前の段階で外交などにより解決するよう努力することは、紛争当事者としても国際社会としても非常に重要なことなのだ(もちろん解決できない事もあるため、最終手段としての戦争の選択肢は温存されている)。

(2)について、現在のところ、戦争以上の合理的で実効的な紛争の解決手段は存在していない。
だからこそ、国際社会ではやむを得ず、かくも否定的でかくも悲惨な、戦争という手段を用いざるをえなかったのだ。
多くの人達が考えていることだと思われるが、見つかりそうな兆しすらないというのが現状だ。
世界政府が生まれたとしても解決はされない。なぜなら、その紛争は国際紛争から国内紛争に変わるだけだからだ。
最終的な手段として武力が用いられることに違いはない。
また、世界連邦の萌芽が「国連」だと考えている人もいるかもしれないが、それはとんでもない勘違いである。

物理学の発展―――『人物で語る物理入門(下)』を読んで

物理学に寄与してきた人物を取り上げながら科学の発展を見ていく本。
著者は米沢富美子(理学博士)。
岩波新書
2005年第1刷。



一般相対性理論

マックス・プランク(1858~1947)

すべての温度領域でのエネルギーの分布を「1つだけの式」で表現できないかを探していたプランクは折衷式の形を見つけ出した。これは「プランクの放射式」と呼ばれている。
自分が見つけた公式に理論的な意味を与えるため「原子論」に思い至る。
エネルギーの取りうる値を「等間隔でとびとびの値(つまり、最小単位がある)」として見ると、プランクの公式が見事に導かれた。
この考え方は「エネルギーの量子仮説」と呼ばれるようになる。
プランク自身は物質の連続性を信じていたエネルギー論者だったため、光の連続性を信じており「エネルギーの量子仮説」は便宜上導入したものであって、物理的実体はないと考えていたようだ。


光電効果

金属などの固体表面に光を照射すると、個体が光を吸収してその表面から電子が放出される。この現象を「光電効果」という。
注目すべき点は、放出される電子のエネルギーが、照射した光の<強さ>には依存せず、光の<振動数>に依存するという事実である。これは光が波だとする立場では説明がつかない。
アインシュタインは、プランクの仮説にしたがって「不連続な値」は振動数に比例すると考えると上手く説明できること見つけた。この不連続なエネルギーを持つ粒子を「光量子」または「光子」と呼ぶ。


ブラウン運動

エネルギー論者は原子論を否定する根拠の1つに「原子を見た人が1人もいない」というものがあった。
当時はナノメートルサイズを見ることが出来る顕微鏡がまだなかったのだ。
アインシュタインは、顕微鏡でも見られないナノスケールの原子や分子が、ミクロン粒子に衝突した結果、ミクロン粒子の運動が起こっているのだと考えた。
ブラウン運動を利用して、目に見えない原子の実在を検証する実験を提案したのだ。

ジャン・ぺラン

アインシュタインの論文を受けて、ペランは1908年に元素の存在を実験的に検証し、原子の実在性は誰の目からも疑いの余地がないことを示した。


マリアン・フォン・スモルコフスキー(1872~1917)

詳細なブラウン運動の理論は、アインシュタインに先駆けてスモルコフスキーが達成していたが、論文の発表は遅れた。
彼は、原子観の定着や統計力学の構築にも寄与しており、特に、温度や密度が平均値とズレた「ゆらぎ」があることを指摘したことは大きい。
この「ゆらぎ」現象に基づいて臨界蛋白光を理論的に解明し、また、「空がなぜ青く見えるのか」についてのジョーン・W・レイリー(1842~1919)の理論も実証した。


ジョージ・F・B・リーマン(1826~1866)

リーマンが体系づけた曲面上の幾何学を使って、アインシュタイン一般相対性理論を構築することになる。
アインシュタインは自伝のなかで、リーマン幾何学を紹介してくれたグロスマンに深い感謝の意を表している。


一般相対性理論

等速運動という特殊な運動を対象とした特殊相対性理論とは異なり、一般相対性理論では、加速運動なども含めた、すべての運動を考えた<一般の系>にも使えるものだ。

一般相対性理論は2つの原理に基づいている。
(1)一般相対性原理
(2)慣性力と重力の等価原理

一般相対性原理とは、「任意の系(等速運動の系、加速運動の系など)において、自然法則は同等である」ことを要請するものだ。

慣性力と重力の等価原理は「慣性力」と「重力」とが区別できないものであることを述べている。

質量をもつ物体から「重力」が働くのは、その物体が周辺の空間にひずみを引き起こす結果だと説明される。

特殊相対性理論からは「動いている時計は遅れる」という結論が出されたが、一般相対性理論からは「重力が大きいほど時計が遅れる」という結論が導かれる。

アーサー・S・エディントン(1882~1944)

光が太陽の近くを通る際に太陽の重力による時空のひずみの結果、経路が曲げられ恒星の位置がずれて見えるはずだということをアインシュタインは予言していた。
エディントンは、1919年に日食観測に出かけて、星の位置が予言通り見事にズレるのを観測した。
レンズによって光が曲げられるかのように、空間のひずみが光の経路を曲げることから、これを「重力レンズ」と呼ぶ。


量子論

アーネスト・ラザフフォード(1871~1937)

原子核の存在を実験的に発見し、それに基づいて原子モデルを理論的に考案した。
そのモデルは、原子の中心に原子核があり、その周りを複数の電子がまわっていると考えるものだ。

長岡半太郎(1865~1950)

ラザフォードの原子模型から8年前の1903年に、長岡半太郎は、「土星型原子模型」を提唱しており、これはラザフォードの先駆けにもなっていた。

ボーアによる新しい原子モデル

ラザフォードの原子モデルには、重大な困難がある。
回転運動をする電子は光を放出して次第にエネルギーを失い、やがて原子核に捕らわれて原子は崩壊することになる。
ボーアは、ラザフフォードのモデルに量子論を導入して軌道の半径もとびとびの不連続な値しかとれないと考えた。
電子が1つの軌道からエネルギーのより低い軌道に移ると、原子から光が放出される。一方、原子が光を吸収すると電子はエネルギーの低い軌道から高い軌道へ飛び移る。
原子が放出する光のスペクトルを「原子の線スペクトル」と呼ぶ。


ジョーゼフ・J・トムソン(1856~1940)

トムソンによって、電子は粒子の形ではっけんされた。
負の電荷を持ち、その電荷の大きさは観測される電気量の最小単位であることが示されており、「電気素量」と呼ばれている。


ルイ・ド・ブロイ(1892~1987)

ブロイは電子の波動説を提唱し、これを1927年に実験的に検証した。
電子以外にも、一般に原子スケールのミクロな粒子には波動性が付随することを提唱し、物質が持つ性質として「物質波」と呼ばれる。


対応原理

ボーアは、量子論的な物理量と古典物理学的な物理量ごが、同のような対応関係を持ち、どのような手続きでその対応がつけられるかを示す1つの指導原理として「対応原理」を提示する。


ヴェルナー・ハイゼンベルク(1901~1976)

ハイゼンベルクは、水素原子の線スペクトル「強度」の計算を研究する。
ボーアの量子論では、線スペクトルにおける「波長」は計算できたが「強度」に関しては古典力学を借用する形になっていた。
対応原理に則って、古典力学の方程式の中の「通常の変数」を「行列の変数」で置きなおし量子条件を加味して、水素原子スペクトルの「波長」と「強度」の両方の導出にせいこうした。


エルヴィン・シュレーディンガー(1887~1962)

シュレーディンガーは、ブロイの物質波のかんがえを更に発展させて、電子の運動状態を記述するための波動方程式を提案した。
量子力学における「波長」と「強度」が比較的簡単に求めやすい、基礎的な方程式となる。


ポール・ディラック(1902~1984

ハイゼンベルクの論文から、彼の仕事がまったく新しいパラダイムに属することを読み取り、オリジナルな理論として書き下した。
位置、運動量、エネルギーなどの「観測可能な物理量」に対するこの理論は「q数代数」としてしられるようになる。
また、シュレーディンガー方程式に欠けていた、電子のスピンを説明できる相対論的量子力学を提唱する。
そして、ディラックは「陽電子(電子とは電荷の符号が逆)」の存在を予言し、陽子の反粒子である反陽子の存在も示唆する。


カール・アンダーソン(1905~1991)

1932年、アンダーソンによって陽電子は実験的に発見される。

エミリオ・セグレ(1905~1989)、オウエン・チェンバレン(1920~2006)

1955年に、セグレとチェンバレンの2人は、加速器を用いて反陽子を発見する。


不確定性原理

ハイゼンベルクは数学と思考実験の両方から、粒子の位置とその運動量を同時に測定しようとすると、どうしても誤差が生じりゅしに関する情報が不確定になるという「不確定性原理」を発見する。

ピエール・ラプラス(1749~1827)は、「ある瞬間における粒子の位置と運動量が精密に分かっていて、かつ、この粒子にかかる全ての力を知ることが出来るなら、その粒子の未来における運動は、ニュートン運動方程式よって完全に決定される」と述べていたようだ。

だが、量子力学的な粒子に関しては、未来どころか、現在でさえも細部にわたって知ることが出来ない。しかも、現在と未来の因果関係は失われ、量子力学的な法則は「確率的」な性格を持つことになる。

そして、不確定性原理は、粒子の「<位置>と<運動量>」の間のみでなく、「<エネルギー>とそのエネルギーを測定する<時間>」の間にも成り立つことをハイゼンベルクは示した。

コペンハーゲン解釈

ミクロな世界では、物事の理解に不連続な考えが必要なこと、また物理量や状態が確率的にしか決まらないことなどが明らかになってきた。

粒子にみえたり波動にみえたりするのは、どういう観測をするかによって決まるもので、それらの側面が相互に補い合って真の姿が明らかになる。これをボーアは「相補性原理」として主張した。

ボーアの「相補性原理」とハイゼンベルクの「不確定性原理」を2本の柱とする考えかたを「コペンハーゲン解釈」という。


宇宙の果て

エドウィン・ハッブル(1889~1953)

ハッブルは、アンドロメダ大星雲内に見出したセファイド(変光星の一種)の解析により、地球からアンドロメダ大星雲までの距離を約90万光年と決定した。その距離が、私たちの銀河系の直径より大きいということは別の銀河であることを示している。それまでは私達の銀河が宇宙の全てだと考えられていたため、別の銀河があるということは驚くべき発見であった。

ヴェスト・スライファ―(1875~1969)

銀河系外の45個の銀河を調べて、ほとんどの銀河が地球から遠ざかっていることを発見した。

ドップラー効果

実は距離を測るよりも速度を測る方が容易なのだ。
波源と観測者が相対的に動いている時、波の波長がずれて観測される現象をドップラー効果という。
波源が近づいてくる側では見かけの波長は短くなり、波源が遠ざかっていく側では見かけの波長は長くなる。

ハッブルは、ウィルソン山天文台の大口径望遠鏡を駆使して星までの距離と星の速度の観測をした。
その結果、遠くにある銀河ほど早いスピードで遠ざかっていて、距離と速度は比例観家にあることを発見する。
この関係は「ハッブルの法則」と呼ばれている。
この事実は、「宇宙がいようかつ等方向的に膨張している」ことを意味している。


原子核物理学

ピエール・キュリー(1859~1906)

兄のジャックと共同研究を始め「ピエゾ(電圧)効果」と呼ばれる現象を発見。
これはイオン結晶に圧力をかけると誘電分極が生じ微量の電荷を測定できるというものだ。

ウィルヘルム・レントゲン(1845~1923)

レントゲンは、陰極線の研究中に強い透過性と写真感光性を持つ放出線を発見した。
この未知の放出線を「X線」と名付ける。

アンリ・ベクレル(1852~1908)

ベクレルはウラン鉱石を使った実験から「ウラン鉱石が透過性の放出線を出す」ことを見つけた。
ここで「放射能」が見つかっていたわけだが、ベクレルはその重要性に気が付いてはいなかったようだ。

マリー・キュリー(1867~1934)

キュリーは、当時あまり注目されていなかったベクレルの放出線を博士論文のテーマに選んだ。
ベクレルが「ウラン線」と名付けた「放出線」はウラン特有のものではなく、他の物質にも見出される一般的な現象だということを発見した。

ウォルター・ボーテ(1891~1957)

ボーテは、ベリリウム金属にアルファ線を衝突させると、ガンマ線より透過力のある粒子が出ることを示した。

ジェームズ・チャドウィック(1891~1974)

チャドウィックは、ボーテと同じ実験をし、この粒子は「中性子」であると主張して、すぐにその正しさを実証した。

J・ロバート・オッペンハイマー(1904~1967)

原子核は電子よりはるかに重いので、原子核の動きは電子の動きに比べてきわめて遅いに違いないと見抜き、まず原子核は止まっているとして電子のエネルギーを計算し、然る後に原子核の動きを計算するという手法を編み出す。
この理論は「ボルン-オッペンハイマー近似」と呼ばれる。

1928年には、「トンネル効果」と呼ばれる量子力学的な振る舞いを実際に見出す。