ウソツキ忍者の独断と偏見に基づく感想・考察

読んだ本や、見たアニメについての感想

生きる意味とは何か?―――ソードアート・オンラインIIの感想(18話~24話のみ)

24話すべてを1記事で書き切るのは無理そうなのでSAO二期で1番面白かったマザーズ・ロザリオ編のみ感想を書く。それ以外は別の機会にでもwwwあと、キリトと和人、アスナと明日奈、ユウキと木綿季とか書き分けるのめんどくさいので統一する。

「死銃事件」から数週間後の2026年1月。アスナリズベットたちから「絶剣」と呼ばれる凄腕の剣士がALOに現れたことを聞く。その剣士は自らの「オリジナル・ソードスキル」を賭け、1対1の「デュエル」の相手を募集しているらしい。
引用-Wikipedia

1.ユウキとの出会いで成長するアスナ

1.仮想世界を良く思わない母との確執

18話冒頭でキリトとエギルはSAO事件における攻略組のモチベーションは、家族のもとへ帰るという想いであったと話をしている中、アスナは自分の家が嫌いで現実世界にも仮想世界にも自身の居場所がないと感じていたことを語る。後にキリトと出会い、ユイも含めて一緒に暮らしていた第22層のログハウスが安心できる居場所となっていたようだ。ALOのアップデートに伴い、新生アインクラッドの第21~第30層が解放されたことで、かつてのログハウスをプレイヤーホームとして購入したアスナだが、現実の家では暗い雰囲気である。母親と食事中の会話でも、VRゲームのこと、学校のこと、結婚のこと、などで意見が衝突してしまう。


アスナ「仮想世界で友達と宿題やってた」

母「自分の手を動かさないとやったことにならない」

アスナ「みんな住んでる所が遠いから、あっちでならすぐ会える」

母「あんな機械つかっても会ったことにならない、あと、ネット越しじゃない家庭教師つけて良い学校に編入させるからね」

アスナ「転校なんてしない!」

母「あなたの学校なんて実際は、おかしな世界でずっと殺し合いをしていた子供たちを1箇所に集めて監視しておこうっていう収容所みたいなもんでしょ」

アスナ「私だって、その世界にいたんだよ」

母「その2年の遅れを取り戻すために編入させるし、誰にでも胸をはって誇れるキャリアを築くために良い結婚もさせます、あんな学校の子(キリト)は認めませんからね」

アスナ「母さんは亡くなったお祖父ちゃんとお祖母ちゃんことを恥じているのね、由緒ある名家にうまれなかったことが不満なんでしょ」

母激怒

大体こんな感じの会話の流れだったと思う。
仮想世界や、あの学校の生徒であるSAO帰還者達のこと、とりわけキリトのことまで否定されてしまった。自分にとって大切なものや大好きな人を貶されたアスナは、母親に自分自身を否定されたように感じたのではないだろうか。
一方、母親は娘のためと思って苦言を呈しているのにアスナは言うことを聞こうとせず心配ばかりかけている、その上に実家のことまで言われてしまった。この「実家について」が逆鱗に触れたようだ。おそらく母親にとって実家のことはコンプレックスを形成させるものとなっている(ここで言うコンプレックスは劣等感という意味ではなく心理的複合体)。この実家のことは、のちにアスナと母の心をつなぐ思い出として重要な役割を担う。

2.ユウキとの出会い

現実の問題に悩むアスナではあったが、第24層にある木の生えた小島にオリジナル・ソードスキル(11連撃)を賭けて対戦相手を募り、挑戦者全員を返り討ちにしている凄腕プレイヤー「絶剣」の噂を聞き挑戦してみることになった。何と驚くべきことに絶剣はキリトにも勝利している(しかも可愛い女の子だった)。
アスナは絶剣に勝つことは出来なかったもののオリジナル・ソードスキルを使用させるほどに善戦した。剣士としてのアスナの腕前を絶剣は称賛し「僕たちに手を貸してください」とお願いしてきた。なんでも、絶対に忘れることのない思い出を作るために、「絶剣のユウキ」がリーダーを務めるギルド:スリーピング・ナイツのメンバー(全部で6人)の名を「剣士の碑」に刻みたいらしい。全員の名を刻むためには複数PTではなく、単独PTでボス攻略を成功させなければならない。1つのPTには7人まで入れるので、アスナを加えて今度こそボス攻略を達成しようというわけだ。木の生えた小島での挑戦者募集は「ピピッと来る人」を探し出すために行われていたのだった。

3.ボス攻略成功!

ユウキ以外のメンバーも、かなりの実力者であり、ボス部屋に向かう途中の迷宮区を順調に突破して行く。しかしボス攻略はそう簡単にいくものではなかった。ボス部屋の前で、姿を隠しながら「仲間が来るまで待っていた」プレイヤー達をアスナが見破ったものの、彼らの本当の目的はスリーピング・ナイツの戦いを盗み見ることで、ボスの攻撃パターンなどの情報収集を行うことだったのだ。アスナはボス戦の中でそのことに気づき、攻略に失敗したあと街に戻されたユウキ達へ事態を告げる。第25層、第26層でユウキ達が負けた後、すぐにボスが攻略されたのも偶然でなかった事に思い至る。今回もダメだったと落胆するユウキ達に対してアスナは「まだ大丈夫、大規模な同盟でも平日の昼(2時半)に急遽たくさんの人を集めることはできない」すぐに準備して30分でボス部屋に戻ろうと提案し皆を励ます。到着すると、参加者を集めてる途中のギルドが「悪いな、ここは通行止めだ」とか言ってきて邪魔をされる。大人数を相手に戦うのを戸惑うアスナに対し、ユウキは覚悟のこもった言葉をかける「アスナ、ぶつからなきゃ伝わらないことだってあるよ、例えば自分がどれくらい真剣なのか、とかね」、ここからアスナも覚悟の決まった良い顔つきになる。だが更なるピンチ、後方から敵の援軍が到着して挟み撃ちにされそうになったのだ。この追い詰められた状況の中、ついにヒーローが現れる、そうキリトだ!高速移動で敵の援軍を追い抜き、彼らの前に立ちはだかったキリトはこう言う「悪いな、ここは通行止めだ」この場面のキリトは本当にかっこよかった。キリト(と少し遅れてきたクライン)の助けによって気力の高まったアスナは突進攻撃で敵プレイヤー達を蹴散らしボス部屋までの道を切り開く。さあ、再びのボス攻略戦!前回の(負けた)ボス戦から得た情報をもとにアスナが手際よく作戦指示を出していく。アスナはボスの防御行動をもとに、首の付け根にある宝石が弱点だと見抜いた。仲間である巨漢のテッチを踏み台にしてジャンプ攻撃を行うようユウキへ提案。ユウキはジャンプ攻撃を見事に成功させ、ついにボス攻略成功となる。今回の件でアスナの頼りになる姿を目の当たりにしたユウキは、彼女にとって最も大切だったある人物の面影をアスナへと重ねるのだった。

4.ユウキ達の秘密

剣士の碑に名前が刻まれたことを確かめたユウキは、アスナに対し「僕、ついにやったよ姉ちゃん」と無意識に言葉を発する。ボス部屋でもアスナを「姉ちゃん」と読んでいたと指摘されると、無自覚にアスナと姉を重ねて見ていた自分自身に驚き、戸惑ったユウキは動揺からか突如ログアウトしてしまう。あれから3日もログインしてないことを心配し、アスナはシウネーを訪ねるが「ユウキは再開を望んでいない、アスナのために」と言われる。なぜアスナの為なのか分からないままキリトに相談すると、飽くまでも可能性があるだけだが、日本で唯一メディキュボイド(医療用フルダイブ機)を扱っているという病院にいるかもしれないと教えられた(キリトは小島での対戦の際、ユウキのことに気づいていたらしい)。そこでアスナは深刻な事実を知ることになる。ユウキは出生時の輸血が原因でエイズに感染し、もう末期だという。病院の設備を利用してログインし、初めて会ったあの場所「木の生えた小島」でユウキから、スリーピング・ナイツのメンバーはヴァーチャルホスピスで知り合って最初は9人いたことや、ユウキの姉も含めた3人がもう亡くなっていること、次の1人の時にはギルドを解散しようと話し合ったことを聞かされる。だから最後の思い出として剣士の碑に名前を残したかった。迷惑をかけ嫌な思いをさせたことを謝るユウキに対し、アスナは出会えたことや手伝いができたことが嬉しいと伝える。その言葉だけで何もかも満足だというユウキから、他にやりたい事として「学校に行ってみたい」と聞き出したアスナは、後日キリト達の作った視聴覚双方向通信プローブ(カメラみたいな機械)をアスナの肩に乗せ、それを通して授業に参加し、放課後にはユウキが住んでいた家を見に行った。1年ほどしか暮らしていなかったが、父や母や姉と1日1日を大切に過ごしていた思い出を語る。当時、共に教会に通っていた母に対して聖書の言葉ではなく母自身の言葉が聞きたいという不満を抱いていたが、今日また家を見て「ママは言葉ではなく気持ちで包んでくれていた」「最後までまっすぐ前を向いて歩いていけるように祈っていた、ようやくそれが分かったよ」とアスナに告げる。一方、アスナは未だに自分の母親の声が聞こえないし、自分の言葉も伝わらない、ユウキのように強くなれないと打ち明ける。母親へぶつかって行くことを怖がるアスナに対しユウキは、教えてなかった病院まで追いかけて、ぶつかって来てくれたからアスナとも心が通じた、だから母親ともあのときみたいに話してみたらどうかなと提案する。ユウキに励まされたアスナは母親に想いを伝える決心を固める。

5.心を伝える

そしてアスナは仮想世界のとある場所で母親と話しがしたいとお願いする。仮想世界を良く思わない母親は「ちゃんと顔と顔を向かい合わせて出来ない話なんて聞く気はない」と言うが、「私が今、何を感じて何を考えているか、それを話すにはここじゃだめなの」「私の世界を母さんに見てほしいの」と短時間で済ませることを条件に何とか説得し、サブアカウントで母親にアスナのログハウスへ来てもらう。家の中から窓を開けて外を見るとそこには雪景色が広がっていた。

アスナ「どお似てると思わない」

母「何に似てるっていうの?ただのつまらない杉林…( ゚д゚)ハッ!」

アスナ「ね、思い出すでしょお祖父ちゃんとお祖母ちゃんの家を、わたし、宮城のお祖父ちゃんとお祖母ちゃんの家が大好きだった」

アスナが中一のお盆のとき、母親はどうしても出ないといけない法事のため京都の本家へ行ったのだが、アスナだけは宮城に来た、ここに母親が来られないことを謝るアスナに対し、祖父母はアスナの母への想いを語って聞かせたのだ。母さんは自分たちにとって大切な宝物なんだということ、村から大学に進んで学者となり立派になっていくのが嬉しいということ、それでもいつか疲れて立ち止まる時がくるかもしれないから、支えが必要になったら帰ってこれる場所を残すために家と山を守り続けていること。アスナは最近、この言葉の意味を分かってきたと言う、自分のために走り続けるだけではなく誰かの幸せを自分の幸せだと思えるような生き方もある、周りの人を笑顔にし、疲れた人を支えてあげられるような生き方がしたい、そのために大好きなあの学校で勉強やいろいろなことを頑張りたいと。アスナは母親にぶつかり想いを伝えた。この瞬間、雪の降り積もる杉林の中から2羽のウサギが姿を現し、そして駆け出して行った。そして、母親の目から涙がこぼれ頬を伝っていく。

母「ちょっと何これ、私は別に泣いてなんか」

アスナ「この世界では涙は隠せないのよ、泣きたくなったときは誰も我慢できないの」

母「不便なところね(´;ω;`)」

母親は「不便なところ」と言いはしたものの、この時点で仮想世界を嫌悪していた心に変化が生じている。今まで押さえつけていた、無意識で絡み合った感情(実家への想いという心理的複合体)を解きほぐし開放する場として、仮想世界の可能性を少しは認めることになったのではないだろうか。現実世界では素直に表すことが出来ない自分のデリケートな感情を、仮想世界だったからこそ表出することが出来たのだ。母親が無意識へと押さえつけていた「実家への想い」を象徴する雪景色と、アスナが母親に認めてほしいと思っている大好きな仮想世界は、ここにきてようやく重なり合い、母と娘の心が繋がり、通じ合ったのだ。翌朝、母親はアスナへ告げる、誰かを支えるためには覚悟が要ること、その為には先ず自分が強くならなければならないこと、そして大学に行くために今よりもっと良い成績をとることを。これらを条件として、今の学校に通うことを認められた。そして、おそらく仮想世界を否定するようなことも、もう言わなくなったと思われる(アスナが食事の時間など、現実の約束を疎かにしない限りにおいては)。
ちなみに、あの雪の積もった杉林の描写はよく出来ていたと思う。こじつけじみた私見であるが、雪景色から現れた2羽のウサギはそれぞれ、アスナと母親の弱くてデリケートな心の隠喩(メタファー)のように思えた。ウサギは臆病で繊細(デリケート)な生き物である。2匹のウサギが姿を現して、一緒に駆け出していく様子は、心の通じ合ったアスナと母親のこれからを象徴するもののように思えた。

6.別れの時

難病のせいで、いつか辛い別れが来ることを定められている為に、今まで他のプレイヤー達とは距離を置いていたユウキ達であったが、アスナとの出会いが彼らを変えたのだろうか?多くのプレイヤー達と交流するようになっていた。ALOではバーベキューやボス攻略、トーナメント戦(またユウキがキリトに勝った)を行い。現実では通信プローブをアスナの肩に乗せ、学校の授業に参加したり、女の子同士で旅行にも行くなど充実した日々を過ごしていた。そんなある日、ユウキの容体が急変したと連絡を受け急いで病院へ駆けつけると、本来なら入室禁止であるはずの無菌室の中へと招かれる。そこで、医者からは40分前に心臓が停止し除細動と投薬によって脈拍は戻ったが、おそらく次はないと言われる。この日がいつ来てもおかしくない中で、ここ3ヵ月、医者も驚くほどの頑張りを見せ絶望的な闘いを日々勝ち続けて生きていた。これまで世間からの偏見や投薬の副作用、メディキュボイドの臨床試験による計り知れない苦痛をユウキは耐え抜いてきた。手を握るアスナは、ほんの微かに唇を動かすユウキを見て仮想世界へ行きたがっていることを悟る。「最期は機械の外で」と言っていた医者もアスナの目を見て理解を示し、初めてユウキと出会ったあの木の生えた小島へと向かう。ユウキは力を振り絞って太い木の幹に11連撃を放った後、スクロール(巻物)として出現したオリジナル・ソードスキル「マザーズ・ロザリオ」をアスナへと託す。そこへスリーピング・ナイツのメンバーもやってくると別れの挨拶をすることになる。泣かないという約束をしていたので気丈に振る舞おうとするが、この世界では涙を隠すことは出来ない。皆、ユウキの「ちゃんと待ってるから、なるべくゆっくり来るんだよ」という言葉に泣きながらうなずく。何とその後キリト達に続き、多くのALOプレイヤー達までもが姿を現した。夕焼け空にたくさんの妖精たちが舞う、その夢のような光景は壮大な美しさを湛えていた。みんなが祈っている、この世界に降り立った絶対最強の剣士、絶剣のユウキの新しい旅がここと同じくらい素敵なものとなるように。苦しみの中で生きる意味を自問してきたユウキはようやく答えが見つかったと語る。「意味なんてなくても生きてていいんだって、だって最後の瞬間はこんなにも満たされているんだから、こんなにたくさんの人に囲まれて大好きな人の腕の中で旅を終えられるんだから」アスナの涙がユウキのまぶたに落ちると、ユウキはうっすらと目を開きかける。ぼやけた視界の中では亡くなった姉(母?)の面影がアスナと重なる。夕日の色と同じ輝きが潤んだ瞳に揺れると、ユウキの頬を伝って涙が落ちる。この世界では泣くことを、涙を隠すことは出来ない。口元にやわらかい笑みを浮かべながらユウキは心の声を、この世界に響かせる「僕がんばって生きた、ここで生きたよ」
アスナに大事なもの(スキル)を託すにはこの世界でないと出来なかった。
スリーピング・ナイツのメンバーと別れの挨拶を行うのもこの世界でないと出来なかった。
キリト達やたくさんの妖精たち(ALOプレイヤー)に囲まれながら旅立つことも、この世界でないと出来なかった。
この世界でユウキはアスナと出会った、ここでユウキは生きた。
出会いと別れの場所となった「木の生えた小島」についても、こじつけじみた私見を語らせてもらう。あの小島はユウキ達スリーピング・ナイツを象徴しているように思える。小島には1本の細い橋が架かっているだけのわずかな繋がりがあるだけで、大きい陸地からは離れたところにあったわけだが、この距離感はユウキたち難病者と健康体の人たちとの間にある物理的距離と心理的距離を表している。物理的距離については現実世界での入院生活や行動範囲の制限といった空間的な彼らとの隔たりであり、心理的距離については、仮想世界での最初のユウキ達は、一般プレイヤーとは深く関わることを避けていたという心の隔たりである。仲良くなるほど別れが辛くなるから彼らはほとんど身内だけで活動していた(後にアスナとの出会いで変化が生じる)。そして小島に生えている太い木は、短い人生ながらも太く生きたユウキの生き様に似ている。
桜の木が淡いピンクに身を纏うその季節、ユウキの告別式は行われた。ベンチに腰掛けるアスナは、右肩に一片の花びらが乗っていることに、ふと気が付く。それを手のひらに取ると花びらはヒラヒラと空へと舞い上がっていった。アスナは目を閉じるとユウキが胸の奥深くに刻み付けていったものを確かに感じる。この場面の描写も味わい深い。一片の花びらはユウキの命のメタファーとなっているように見える。桜は散るからこそ美しい。ユウキの命も桜の花と同じように、はかなく散ってしまうからこそ懸命に咲いていた。花びらが付いたアスナの右肩は通信プローブを乗せていた場所でもあり、いわばユウキの特等席であった。手のひらに取った花びらが空へと舞い上がっていく様子も、天に召されるユウキの旅立ちを思わせる。人はいつか死ぬからこそ今を精一杯に生きたいと願うし、うまく伝わらないからこそ自分の想いを伝えたいと願う。人に気持ちを伝えるのも人の気持ちを知るのも怖かったアスナは、ユウキとの出会いによって、自分からぶつかって、触れ合う強さを学びとり成長した。

2.VR技術は人間を救う希望なのか、それとも人間を惑わす絶望なのか

1.母と娘、それぞれの言い分

アスナと母親は仮想世界の是非を巡って対立していた。
母視点から見ればVRゲームのせいで食事の時間に遅れるなど現実での決まり事を疎かにすることもあったし、何よりSAO事件では、自分の娘が仮想世界に2年間も閉じ込められた上に本当に死ぬかもしれない危険を背負っていたのだ。母親は仮想世界のことが「よく分からないから嫌い」という感情を上回る危惧を抱いていたように見える。20話ではアスナが時間に遅れて戻らなかった為、アミュスフィアのコードを引き抜いて強制終了させていた。「声をかけたり体をゆすれば気が付く」というアスナに対し、前にそうしても起きてくるまで5分もかかったことを責める。たったの5分かもしれないが、呼びかけに応じないその時間はSAO事件を思い起こさせ不安に襲われるには十分のように思える。移動や挨拶があること、ナーヴギアとアミュスフィアは違うことなど頭では分かっていても、この恐怖心が入り混じった嫌悪感は理屈ではどうしようもない感情なのだ。
娘視点から見ればVRゲームは確かに危険な側面もあるけれど、現実世界だからといって絶対に安全というわけでもないし、仮想世界なら遠くに住んている友達とも会えるから便利だ。現実的な制限を超えた体験ができる。それは空を飛んだり,モンスターを相手に戦ったりということだけではなく、本来なら出会うこはずの無かった人と知り合ったり、その人達と共に苦楽を共有し、互いを認め合う経験なのだ。アスナにとって仮想世界は現実のオマケなどでもなければ現実逃避の場所というわけでもなかった。自分自身の心を作り上げる大切な場所、実存に関わる<生>の場となっている。いわば大好きな仮想世界に自己同一化しており、母親にそれを否定されるようなことを言われると自分のことを認めてくれてないと感じられたのではないか。「私が剣士でいられたのはあの世界でだけだった」「現実世界の私には何の力もない」という無力感は母親との関係に起因するように思われる。

2.生き方や在り方の可能性を広げる

ユウキ達のように難病を抱えている人にとって、仮想世界は生き生きとした活動が行える1つの救いの場になっているのではないだろうか。現実世界での身体は寝たきりで、あまり動けない彼らの生活はあまりにも制限されている。そんな彼らに新しい生き方の可能性が開かれたのだ。自由に動き回ることなんて仮想世界くらいでしか出来ない。そして、バーチャル・ホスピス「セリーン・ガーデン」で知り合った9人がスリーピング・ナイツを結成する。しかし、仮想世界は全てを解決してくれるわけではない。病気が治るわけでもないし、そう遠くないうちに死を迎えて辛い別れがやってくる運命も変わらない。ギルドメンバーを3人も亡くし、誰よりも別れの辛さを思い知る彼らは、ギルド外のプレイヤーと距離を置いていた。身内以外の人間と仲良くなりすぎることに怯えたり尻込みしていた彼らに変化をもたらしたのはアスナとの出会いである。ここからまた彼らの<生>の可能性は広がりを見せた。たくさんのALOプレイヤー達と交流するようになり、更に充実した日々を過ごすことが出来た。スリーピング・ナイツ(眠りの騎士)が見たのような素敵な世界。そこは、かけがえのない<生>の場でもあり、また、<出会い>の場でもあった。仮想世界だったからこそ現実世界では出来ないような生き方や在り方を示すことが可能になったのだ。
私達もネット上での自分の在り方と現実での自分の在り方は、どうしても異なってくる。良い意味でも悪い意味でも、面と向かっては言えないことをメールやチャット、あるいは匿名掲示板だと伝えられることもある。リアルでの自分とネットでの自分、どちらが本当の自分なのだろうか?結論から言えば両方とも「(本当でも嘘でもない)自分」なのだ。私が私であるということは決して自明でもなければ、確固たるものでもない。「私」とは具体的な他者との関わりや、具体的な状況に置かれることによって「このような私」として在り方を変化させるものだ。ネット上では自分の身体性が削ぎ落された上での他者との関わりや、ネット独特の状況に置かれることによって「このような私」は形成されていく。良い可能性も悪い可能性も共に開かれている。

3.茅場晶彦の功罪

アスナは告別式に参列していたユウキの主治医から、メディキュボイドに関する臨床試験データが十分に取れたおかけで病気と闘っている多くの患者の助けになることや、あの機械をテストした最初の人間としてユウキの名はずっと残ることを聞かされる。剣士の碑と同じようにユウキの生きた証は現実世界にも刻まれているのだ。その時メディキュボイド初期設計の外部提供者の名前が神代凛子だと知ったキリトは驚く。キリトはその人を知っているし会ったこともあった。ダイブ中のヒースクリフの体の世話をしていた彼女は茅場晶彦と同じ研究室でフルダイブ技術の研究をしていた。つまり本当の提供者は茅場晶彦ということらしい。仮想世界のもつ可能性へと情熱をささげる茅場晶彦の純粋な、あまりに純粋なその狂気はSAO事件を引き起こす原因にもなったが、その一方で闘病患者を救うメディキュボイドの開発にも貢献していたのだ。
ユウキ達のように現実のやむを得ない事情によるのではなく、ただ純粋に仮想世界へと強く惹かれる類の人もいる。茅場晶彦のような狂気を孕んではいなくとも、キリトにもその素質はあるのではないだろうか?気になるのはユウキがアスナに忠告したキリトのことである、「気を付けたほうがいいよ、あの人も僕とは違う意味で現実じゃないとこで生きている感じがするから」この先、キリトの未来がどうなるか分からないが、アスナの支えが必要となる日がいつか来るのかもしれない。

3.生きる意味

結論から入るとユウキが言っていた通り「意味なんて無くても生きてていいんだ」ということになる。意味はない、それでいい。しかし、生きることは無価値だと言っているわけではない。これは裏を返せば人間は意味に縛られない自由な存在であるという事でもある。「人の生きる意味とはこうだ」「私の生きる意味とはこれだ」と初めから何かが決まっているわけではない。このようにも在り得る私、あのようにも在り得る私という風に可能性は開かれている。ユウキ達は仮想世界のおかけで新たな<生>の在り方が可能性として開かれ実現したし、仮想世界でアスナと出会ったことにより多くのプレイヤーと交流し、更に充実した<生>の在り方が可能性として開かれ実現した。大事なのは主体的に自分自身を<生>の場へと投げ出すことによって可能性を切り開くことである。ユウキは仮想世界の中へ飛び込み、対戦者を募ってボス攻略の助っ人を探すことでアスナを見つけた。アスナは教えられてもいない病院を見つけ出しユウキの真実へとぶつかり、母親へ想いを伝えるためにもぶつかって行き心を通い合わせた。「生きる」ということは現在の自分の在り方を足場として未来の新しい自分の在り方を作っていくことではないだろうか。