ウソツキ忍者の独断と偏見に基づく感想・考察

読んだ本や、見たアニメについての感想

愛とは何か?―――ヴァイオレット・エヴァ―ガーデンを見ての感想

原作は暁佳奈による小説。
制作は京都アニメーション
監督は石立太一



1.愛を知りたい

ギルベルト少佐が残した最期の言葉「心から愛してる」
この言葉がヴァイオレットの新しい生き方、自動手記人形としての人生を始めさせた。
戦争の道具としてしか生きてこなかった少女は、少佐の命令がないと何をしていいのかも分からなかった。少佐が世界の全てであった。少女はそんな少佐が残した言葉「愛してる」が一体何なのか理解できなかったのだ。
戦争が終わり戦闘人形として生きる必要がなくなった頃、少佐の友人でもあり、少女の後見人でもあるクラウディア・ホッジンズが社長を務めるC.H郵便社で働くことになる。はじめは配達業務につくも、ある事をきっかけに自動手記人形として代筆業務につくことを望むようになる。それは田舎にいる幼馴染への手紙の代筆を依頼しにきたお客の気持ち「愛してる」を、カトレアが自動手記人形として見事にすくい上げ手紙に書き表したのを目の当たりにした時だった。ヴァイオレットは少佐の「愛してる」を理解したいという思いから、自動手記人形として働けるようにホッジンズへ頼む。今まで少佐の命令に従うことしか出来なかった少女は初めて自分から「望み」を持った。


2.心が分からない

1.感情を持たない戦闘人形

戦争の道具としてしか生きてこなかったヴァイオレットは新しい環境で周囲との大きなズレを引き起こす。日常生活の立ち居振る舞いからは、まだまだ軍人っぽさが抜けず、何よりも致命的なのは他者の気持ちが絶望的につかみ切れないことだ。そのため代筆の依頼者を怒らせるような失敗を繰り返していた。ただ、その描写はそれほどシリアスに描かれているわけではなく、どちらかというとコミカルなもので私は小さな笑いさえ誘われた。「人の感情が分からない」「まるで本当に人形のようだ」といったヴァイオレットの個性を上手く表現できていると思う。
とはいえ、やはり周囲からは向いてないことを指摘される。それでも自動手記人形でなければならないとヴァイオレットは諦めない。少佐の「愛してる」を知りたいのだ。

2.周囲とズレる

いくつか取りあげてみる

第1話では幼馴染への手紙の代筆の依頼者がやってきたとき靴を履いたまま(おそらく待っている客が座るであろう)椅子に上って窓を掃除しており、ドールさん?という問いかけにも「私はヴァイオレットです」と答えていた。手紙の代筆を依頼したいと言われると、その場で(プライベートな)内容を聞こうとする始末である。

第2話では感情が高ぶって泣いてしまう依頼者に「業務が滞るので直ちに泣くのをやめて下さい」と言ったり、エリカに苦情を言ってきた「何様だ!」と怒る客に「エリカ様です」と答えたり「金は払わんぞ!」とすごまれると「違法行為です」と見事な格闘技術で押さえつけたりした。ホッジンズから「大丈夫?ドールの仕事の方は…」(おそらく「そんなんで上手くやれるの?」という意味)と聞かれると軍人らしい言葉遣いで「鋭意訓練中です」と元気よく答えている。
その後、ある女性に交際を申し込んできた男性への手紙の代筆では、依頼人の望む「恋の駆け引きや、感情の機微」をすくい上げられず大失敗をやらかしてしまう。

物語が進み、成長するにつれて初期の頃よりは改善されていくが後半になっても、ちょっとした(?)ズレはまだ残っていた。

第10話ではヴァイオレットのことを本当に人形だと思い込んでいた少女から「飲んだ紅茶はどうなるの?」と聞かれ「いずれ体内から排出され大地に還ります」と答えていた。このズレは、もはやヴァイオレットの個性であり、愛すべきものなのだ。


3.本当の心を伝える

1.一言でも伝わる本当の心

ヴァイオレットは自動手記人形育成学校に通うことになり、語彙も文法も成績はトップをおさめ、タイプも速いが、決定的な弱点があった。言葉の裏に潜んだ「心」を読み取れず、報告書のような文章しか書けないため教官から「これは手紙とは呼べない」と言われてしまう。第2話での失敗も、言葉には裏と表があり口に出したことが全てではないことが理解できてなかったのが原因であり、言葉の中から本当に伝えたい心をすくい上げることができずに卒業を認められない。ヴァイオレットの生い立ちを考えれば仕方ないとしか言えないが、乗り越えなくてはならない壁である。そこで、同じ学校に通うルクリアとの出会いにより変化が訪れる。ルクリアは兄であるスペンサーに想いを上手く伝えられない悩みを打ち明ける。伝えたい想いはあるのに、どうしても言葉にできないのだ。人は自分にとってデリケートな部分のことになると複雑に絡み合た感情が湧きあがり整理がつかずに身動きがとれなくなるものだ。他人から見ると大したことの無いようなものでも本人にとっては深刻だったりする(ヴァイオレットも第13話で同じ経験をする)。スペンサーは自分の所属部隊が守る戦線を突破されたことが原因で貿易に行っていた両親が死亡したと思い、自分を責めてばかりいた。ルクリアは、それでも兄が生きてるだけで嬉しいのに上手く言葉に出来ずにいたのだ。ヴァイオレットの中にある、大切な人(少佐)に生きてて欲しいという気持ちが共鳴したのだろうか。ヴァイオレットは、そんなルクリアの想いをすくい上げ、代筆した手紙をスペンサーに渡す。内容はシンプルなものであった「生きててよかった」。しかしヴァイオレットは、ルクリアの心をしっかりとスペンサーに伝えたのだ。たくさんの美しい言葉を並べるより一言だけで大切な気持ちを伝えることができる事を学んだヴァイオレットは見事に卒業を認められる。少しだが人の心が分かり成長したのだ。

2.ウソの中に潜む本当の心を伝える

C.H郵便社の同僚であるアイリスに故郷から指名で依頼がきた。浮かれるアイリスはエリカから「ドールとしての品位を忘れないように」とたしなめられると「分かってる」答える。ここでヴァイオレットが成長したところを見せる「それは本当は分かってないという意味の”分かってる”ですね」と。言葉の裏腹が少しは分かってきたようだ。そう裏腹、正反対のことや背中合わせのことを意味する言葉。アイリスは故郷の家族に実際とは反対のウソをついていた。ライデンシャフトリヒで一番の人気ドールだと。その一方で、指名依頼も故郷の家族がアイリスに結婚相手を見つけてもらうための誕生パーティーへ参加させるように仕組んだウソだったのだ。アイリスと両親は互いにウソをついていた。これらのウソは実際とは正反対ではあるが、同時に背中合わせのウソ、隣りあわせのウソでもある。アイリスは人気ドールではないが、その裏側にはいつかライデン一番の人気ドールになりたいという願いが背中合わせに貼り付いている。両親のウソの裏側にも結婚して幸せになってほしい、帰ってきてほしいという願いが背中合わせに貼り付いている。口に出しては言えない想いをアイリスは両親に手紙で伝えた。謝罪と感謝、そして人気ドールを目指してがんばる決意を。ウソの中に込められた「願い=本当の気持ち」は手紙だからこそ伝えることができた。裏腹にはこんな形もあるのだ。さて、アイリスは故郷への到着と出発の時、合計2度ほど泥の水たまりに足を突っ込んでしまうが、この描写について勝手な解釈をさせてもらう。この「泥の水たまり」はアイリスのついた「ウソ」のメタファーとなっているように感じられたのだ。到着と出発で比較してみると、到着時には水たまりを踏んで嫌そうな表情を浮かべるが、出発の際には水たまりに映った空や雲を見て、微かな笑みをも浮かべている。前者の方では水たまりの表面に空や雲が映り込む描写はなかった。これはウソの中にある本当の気持ちを打ち明けられていない状態を示しており、嫌そうな表情はウソをついていることへの無意識な後ろめたさを表しているように思える。後者の方では水たまりに空や雲が映っていた、いや、水たまりの表面に貼り付いていたというべきか。空や雲は高いところにあるものとしてアイリスの目標(人気ドールになる)を象徴しており、それが泥の水たまり(=ウソ)の表面に貼り付いているということは、裏腹であること(つまり、ウソに対して背中合わせに貼り付いている「本当の願い」)だと言える。あの2度の水たまりを踏む描写は「ウソと背中合わせになっていた本当の願い」を両親に手紙で打ち明けたことによる変化を表現していたように私は見えた。故郷を出発した列車の窓からはアイリスの花々が満開に咲く光景が広がっていた。両親に本当の気持ちを伝えたことで、ウソではない自分本来の在り方を取り戻した”アイリス”と同じように、アイリスの花々も本来の姿を満開に咲かせて、”アイリス”を祝福し応援しているかのようだ。

3.自分の言葉で伝える

ドロッセル王国のシャルロッテ王女とフリューゲル王国のダミアン王子の政略結婚のための公開恋文の代筆依頼があった。①美しい文章で綴られ②多くに人々に素晴らしい婚姻だと認めさせる、そのような気品あふれる恋文ができ、同じように気品あふれる恋文が返ってきた。しかし、シャルロッテは不満なようだ。「一度だけ会ったダミアン王子は手紙のような言葉は使わない」。月下の庭園で出会ったダミアンは、ふるまいも洗練されてはいなかったが本音で語りかけ、シャルロッテの本心を理解してくれた。ダミアンに心を奪われたシャルロッテは自分なりに調べ勉強し、この政略結婚が成就するように根回ししていたのだ。ダミアンの本当の心が知りたい、自分の本当の心を知ってほしい。それがシャルロッテの望みだった。相手側のドールがカトレアだと察したヴァイオレットの機転によって、互いに代筆ではなく本人が恋文を書くこととなった。手書きで言葉遣いも決して美しいとはいえない手紙だったが、そこには本当の心が記されていた。生き生きとした本当の心を記した公開恋文は多くの国民を惹きつけ巻き込んでいった。

さて、この公開恋文の話にはシャルロッテの葛藤と、それを乗り越えることによって生じた変化(成長)がある。その葛藤とは、結婚が成就されれば宮廷女官のアルベルタと離れなくてはならないということだ。宮廷女官である以上、アルベルタは宮廷のものであってシャルロッテのものではない。しかし、この2人の結びつきは親子以上のものであるように窺わせる場面があるのだ。シャルロッテの「おまえはは私のものよ」「少なくとも私はおまえのものだわ」というセリフや、アルベルタが王女の気持ちを知り尽くしている様子(返ってきたダミアンの手紙が代筆されたものだったから不満で王女は泣いた、しかしヴァイオレットも含め他の人々には美しい恋文に恥じらっているように見えたであろう場面でも)「思い通りにいかないときに見せる泣き方です」と気持ちを理解していた事や、王女に「出て行って!」と言われても「いいえ、お傍におります」と本当は傍にいてほしいことを理解している様子、機嫌を損ねた王女が隠れている場所もすぐに見つけ出してしまうなどである。
アルベルタと離れてしまうことは不安だが、手紙を通じて、ダミアンとの間で本心をぶつけ合っていくうちにシャルロッテは成長していく。それを上手く描写していた場面がある。結婚が決まった王女の部屋へアルベルタがやってくると王女は隠れていた、今までなら「お隠れになっても分かっていますよ」とすぐに見つかってしまっていたのだが、この場面ではアルベルタの予想外の場所から姿を現す。これは王女がアルベルタの理解を超えた存在にまで成長したことを表しており、いつも傍にいてくれた彼女の手から飛び立っていくことを象徴する出来事でもある。


4.体が燃えている

1.多くの命を奪ったその手で

公開恋文の依頼を大成功させ、また少し成長したヴァイオレットではあるが、新たな試練が待ち受ける。港で船を降りると、少佐の兄であるディートフリート大佐からキツイ言葉を投げかけられるのだ。「多くの命を奪ったその手で人を結ぶ手紙を書くのか」と。大佐の言葉はただの嫌味や意地悪ではない。ヴァイオレットが真の意味で「新しい生き方」を歩むためには「過去の生き方」と向き合うことは避けて通れないのだ。大佐の言葉は物語の進行において重要な役割を果たしている。第6話の天文台からの依頼でも、ヴァイオレットは自動手記人形の仕事の素晴らしさを再確認するが、自分は、この仕事にふさわしい価値があるのだろうか?と自問するようになる。大佐の言葉はヴァイオレットに過去と向き合うキッカケを与えている。それは苦痛を伴うことではあるけれど真の意味で自由に生きるためにはどうしても必要なことなのだ。

2.いつかきっと

第7話では劇作家のオスカー・ウェブスターからの依頼を受け、見事に新作完成の手助けができた。オスカーは新作の結末において、主人公オリーブを無事に父の待つ家へ帰してやることで作品を完成させた。亡くなった娘がかつて父に話した言葉、傘を差して風に乗って湖を渡る姿を「いつか見せるね」。今、ヴァイオレットがオリビアに代わり湖を飛んだのだ。そのことがインスピレーションとなりオスカーは物語に結末を迎えさせることが出来た。ヴァイオレットがオリビアの「いつかきっと」を叶え、オスカーは作品の中でオリビアの「いつかきっと」を叶えた。父は現実の娘オリビアを失った悲しみを作品の完成によって昇華させることが出来たのだ。
娘を失った父の「二度と会えないことの寂しさや辛さ」という心に触れ、ヴァイオレットは共感し涙を流す。また一つ人の心を知った。

3.気付くことは、傷つくこと

ヴァイオレットは代筆の仕事を通して様々な経験を重ね、少しずつ人の心が分かってきた。そしてようやく気が付くことになる、自分が過去に、誰かの「いつかきっと」を奪っていたことに。今まで多くの「いつかきっと」を奪ってきたこの体が燃えていることに。ホッジンズが第1話で語ったように「多くの事を学び知ることによって、過去にしてきた行為のために自分の体に火が付き、燃えていることに気が付く」が現実になったのだ。学ばない方が、知らない方が楽たったのかもしれない。でも、この苦しみは新しい生き方を創り出すためには必要な心の痛みでもある。


5.和平反対勢力=過去の生き方

1.和平反対派をどう見るか

(第1話にて)ギルベルト少佐の頼みで親戚筋のエヴァ―ガーデン家にヴァイオレットが預けられることになるが、その場面で「どうしてここに置くのか、腕がなくなったから?武器としての価値がないなら処分してくれ」という趣旨のセリフもあったように、ヴァイオレットは自身の存在価値を戦争の道具としてしかあり得ないと信じ切っている様子が窺える。これは和平反対勢力が「戦争がないと生きられない人達」である事との相同関係でもある。和平反対派の生き方は、まさにヴァイオレットの過去の生き方そのものであり、彼らとの対決は象徴的な意味で「自分の過去の生き方」との対決でもある。

2.なぜ敵を殺さないのか

和平反対勢力は、また戦争が起こるようにする目的で、和平書簡の取り交わしを行う使節を襲う。つまりテロリストでしかない。合理的に考えるなら、殺してでも彼らの行為を止めなくてはならない。しかし、ヴァイオレットは「誰も殺しません」と言った。ディートフリート大佐も「今も命令が欲しいだけの道具なのだろう」「俺が敵を皆殺しにしろと命令したら平然と殺すんだろう」となじりはしたものの、そんな命令を出してはいない。(ヴァイオレットはもう軍人ではないとか、指揮・命令系統上それは不適切だとかの指摘はここでは無意味だ)。大佐は、こう指示しただけだった「オレがこの列車をとめる」「お前は中にいる人間を守れ」と。ヴァイオレットの戦闘能力を考えれば敵を皆殺しにすることは可能だし、そう命令してでも彼らの目的を阻止する方が合理的に思える。しかし、物語上それではダメなのだ。なぜなら、これはヴァイオレットが「<ヴァイオレット>として生きる」という実存の次元での闘いでもあるのだから。つまり「敵を殺しても少佐を守れなかった過去」と「敵を殺さずに南北を結ぶ鉄道(平和の象徴)を守ろうとする現在」との対比関係がある。

6.機械の義手=新しい生き方

1.<義手=新しい生活>に慣れてない

インテンス奪還作戦で両腕を失ったヴァイオレットは機械の義手つけて生きることになった。はじめの頃はまだ上手く動かせず、ホッジンズからのぬいぐるみのプレゼントを義手で持てずに口でくわえたり、エヴァ―ガーデン家でお茶をこぼしたりしてぎこちなさがあった。これは<義手=新しい生き方>にまだ上手く慣れてないことを象徴的に表している。

2.次第に馴染んできた義手

自動手記人形として様々な体験を通し、少しずつ人の心を理解してきたヴァイオレットは、新しい生き方にも慣れてきて、そして義手も自分の腕として自由に動かせるようになり馴染んできたように見える。かつて、戦闘人形として多くの命を奪ってきた腕とは対照的に、新しい腕は人の心を結ぶという新しい生き方を実現させている。
しかし、第9話でホッジンズが言っていたように「境遇がどうであれ経緯や理由が何であれ」過去は忘れることも消すことも出来はしないのだ。人の心を結ぶ手紙を書くための新しい腕は、過去の行為によって燃えているヴァイオレットの体に分かち難く結ばれている。新しい<腕=生き方>を真に自分のものとするためには過去との決着をつけなければならない。<ヴァイオレットの過去=戦争がないと生きられない和平反対勢力>と向き合い、対決することで<平和の象徴=南北を通り人々の心を結ぶ鉄道=人の心を結ぶ新しい生き方>を「機械の義手」で守らなければならない。表層的には武装勢力との戦いでしかないが、深層においては象徴的な意味で、「殺さずに守ることができる自分になりたい」というヴァイオレットの<実存>をかけた次元の異なる闘いでもある。だから誰も殺してはいけない、もし殺せば昔の自分に逆戻りするだけなのだ。

3.「機械の腕」に与えられた試練

鉄道周辺で確認されただけでも7件の火災があり、それは徐々に近づいてきているとの報告が上がってきていた。鉄道は南北を結び人や物を行き来させることで戦後の人々の心を結ぶ平和の象徴でもあり、人の心を手紙で結ぶヴァイオレットの新しい生き方とも通じるものがある。そこに火災が何件も起こり徐々に近づいてきているのはヴァイオレットの過去<燃えている体=火災>と、現在<手紙で心を結ぶ生き方=人々をつなげる鉄道>の対決が迫っていることの象徴的な描写ともいえる。
敵側にも全く正義がないというわけではない。敗戦国という立場もあり政府の上層部は相手のいいなりになり、命を懸けて戦った軍人は役立たずだと罵られる。和平反対勢力は無念のうちに死んでいった仲間たちの想いを背負って戦っているのだ。ヴァイオレットは敵のメルクロフ准将から投げつけられた言葉「お前の中で戦争は終ったのか?」に揺さぶられ、怯んでしまい、大切なブローチを奪われた上(これはインテンス奪還作戦で「少佐の瞳」が撃たれた事と重なる)、捕らえられ殺されそうになるが、間一髪のところを大佐に助けられる。ほんの一瞬ではあるが、大佐にギルベルト少佐の面影が重なる。このとき這い上がってきたイシドルに大佐が撃たれそうになるがヴァイオレットは銃弾を機械の腕で受け止め大佐を守った。この場面は、かつて腕を失い少佐を守れなかった自分と、新しい腕で大佐を守れたという自分「過去⇔現在」の対比関係にもなっている(ヴァイオレットが助けられた時に大佐が少佐と重なって見えた描写もこのためのように思える)。
メルクロフ准将の放った弾丸を受け止め続けたヴァイオレットの右腕は破壊される。無傷では済まない闘いだ。インテンス奪還作戦でもヴァイオレットは敵の銃撃で先ず右腕から失っていた(第9話)。まるであの時を、やり直しているような演出だ。
准将は、仕掛けた爆弾が作動したことを確認すると川の中へ落ちていった。<過去=和平反対派>との闘いは簡単には終らない。爆弾を取り除くためにヴァイオレットは橋へ飛び乗り、残った左腕でそれを引き剥がそうとする。軋みを上げる指は千切れ、関節ははじけ飛ぶが、爆弾は何とか取り除かれ南北を結ぶ「平和の象徴」は見事に守られた。ヴァイオレットの「機械の腕」が守ったのだ。銃弾を受け止めた右腕は破壊され、爆弾を引き剥がすために左腕はバラバラになったが今度はちゃんと守れた。これは<機械の腕=新しい生き方>に与えられた試練の乗り越えを象徴するものだ。


7.少佐の兄

1.一言多い

少佐の兄であるディートフリート大佐は嫌な人物に見えた人の方が多いと思われる。しかし彼は悪人ではない、他者に気持ちを伝えることに関して不器用で、どこかひねくれたところがあるだけなのだ。大佐の言い方は確かにキツイものがある。「戦争の道具」を少佐に与えるときにも「あくまで武器として使え」と言っていたり、軍人にふさわしくない髪型について、弟である少佐から「父が生きていたら軍刀で切られていたぞ」と言われると「死んでくれてよかった」などと心にもないこと言ってしまう(「今のは言い過ぎた」とすぐに撤回するが)。基本的に一言多い人物ではある。
和平書簡を取り交わす使節団を反対派から守るよう任務を任される際にも「厄介ごとは弟がいないのなら兄に頼む、か」との当て擦りもあったので、これは性格なのだろう。


2.弟ギルベルトへの想い

大佐と少佐の母、ブーゲンビリア夫人は、大佐からギルベルトのことは諦めろと言われていたらしいが「あの子だって出来はしないのに」、「2人はね子供の頃からそれは仲のいい兄弟だったのよ」とヴァイオレットに話していた。大佐は弟ギルベルトのことを心から大切に思っていたようだ。ヴァイオレットにキツく当たっていたのも、弟を失った悲しみや怒りを持て余してのことだと思う。和平反対勢力との列車の屋根で戦った時にも、誰も殺さないと決めたことで自分自身を危険に晒したヴァイオレットに対し「自分すら守れないくせに不殺とはおこがましい、おれの弟ギルはそんな奴を守ろうとしたのか」「戦わない殺せない戦闘人形などただの足手まといでいしかない、だからギルベルトも守れなかったんだ、お前がギルを殺したんだ」と理不尽な物言いではあるが、今まで表に出していなかった弟を失った悲しみと怒りという感情を爆発させている。


3.大佐が弟へ贈った「武器」

大佐がヴァイオレットを「武器」としてギルベルト少佐へ渡したのは、弟に死んでほしくなかったからではないだろうか。私は原作を読んでいないので詳しいことが分からず憶測でしか書くことが出来ないが、職務に実直な弟はそれ故に危険度の高い任務を命じられることが多かったのではないだろうか。第12話で話が出た「陸軍の解散した特殊部隊」はおそらく少佐の部隊だと思われる。そんな弟に対し「危なくなったら逃げてでも生き残れ、死ぬな」とは大佐の性格上も、そしてギルベルトの軍人としてのプライドを傷つけないためにも素直に言えなくて、せめて弟を守る「強力な武器」を与えるくらいのことをした、と。しかし、その甲斐もなく少佐は未帰還兵となってしまい、自分は弟を守るために何もしてやれなかったという悔しさと、大切な人を失う理不尽さへの怒りと悲しみをどこにぶつければいいのか分からず、半ば八つ当たりにも近い形でヴァイオレットにむけて感情を爆発させたように見える。ここで指摘したいのはディートフリート大佐とヴァイオレットは「少佐への想い」を共有しており、「少佐を守れなかった」後悔も共有しているという点だ。列車の屋根で「お前がギルを殺したんだ」と罵られたヴァイオレットは「守りたかった、私守りたかったんです」と答えている。同じなのだ。「お前がギルを殺したんだ」も大佐が自分自身に向けていた言葉なのではないだろうか。弟を守るために何もしてやれず自分が殺したようなものだ、と(大佐は家督をギルベルトに押しつけ、代々の慣わしに逆らい陸軍ではなく海軍へ士官した。もし陸軍に所属していたら少佐を危険な任務につかせないよう手を回せていたかもしれない、など)。
2人はやり直した「守ること」を。
取り押さえられ殺されそうになったヴァイオレットを大佐は守った。
銃弾を受けそうになった大佐をヴァイオレットは義手で守った。



8.ブローチ=少佐の瞳の「美しい」

1.少佐から頂いたブローチ

メヒティヒの感謝祭で少佐の瞳と同じ色をしたブローチに目が止まったヴァイオレットはこう言った。

「これを見た時の・・・こういうの・・・何と言うのでしょう」

店の人から「美しい」という言葉を教えてもらった後には

「言葉が分からなかったので言ったことはありませんが、少佐の瞳は出会ったときから美しいです」

と少佐へ伝えた。

ヴァイオレットには感情がなかったのではない。すでにあるのに気づいていなかったのだ。
「何か」があるのに、それが「何なのか」が分からない。それを何という言葉で言えばいいのか分からなかっただけなのだ。

列車爆破テロとの戦いで、一度ブローチを奪われる場面がある。これはインテンス奪還作戦で少佐の右目が撃たれて失われることと重ね合わせた描写だと私は思った。列車での戦いは象徴的な次元で「過去と向き合う」という出来事であり、少佐を守れなかったインテンス奪還作戦の「やり直し」でもあるように感じられる。ここで試されているのはヴァイオレットの新しい生き方だ。

列車から立ち去ろうとする准将をヴァイオレットは蹴り上げるが、その時ブローチが宙を舞う。先んじて大佐が掴み取り、ヴァイオレットに放って渡す。<ブローチ=少佐の瞳>をメタファーとして見るなら、これは少佐を守れずに失ってしまった2人が、象徴的な意味で少佐を「守ることをやり直し」また「取り戻す」ことをしたように感じられた。

2.ヴァイオレットの名前

まだ名を持っていない少女にふさわしい名前を、と思案する少佐。
その時、不意に少女の背後から1匹の蝶がひらりと現れる。
その蝶に目をとられ視線を導かれると、そこには木の根元で木漏れ日に照らされる紫のスミレがあった。
表面的には、単に少佐の目にたまたま映ったスミレの花にちなんで「ヴァイオレット(=スミレ)」という名をつけたようにみえるが、この場面で表現されているのは、それを上回るものだと思う。

まず、ヴァイオレットの背後から不意に一匹の蝶が現れる。「背後」は自分には見えないところである。これはヴァイオレット自身には見えていない自分の心、それに気が付いていないことを象徴しているのではないだろうか。

そして「蝶」は変容を象徴するメタファーとなっているように思える。なぜなら蝶は、サナギ→成虫へと変化する生き物だからだ。

その蝶に視線を誘導されるようにして少佐が見たものは木漏れ日に照らされる「紫のスミレの花」だった。紫のスミレの花言葉は「貞節」「愛」だそうだ。花の傍には大砲のような「戦争の道具」もあった。

つまり、自分でも<気が付いていない感情=背後>を持った少女は、「蝶」のように<変容>することで<大砲=戦争の道具>から「スミレ=ヴァイオレット」の名前にふさわしい<花言葉=愛>を知る人間へと成長していくということが表現されていたのではないだろうか。

人は名前をつけるとき、そこに願いを込める。その名前が似合う人になるように、と。

ヴァイオレットは「少佐の瞳は出会ったときから”美しい”です」と感謝祭で言った。
その少佐の瞳には別の「美しい」が映っていた。
<スミレ=ヴァイオレット>という「美しい」が。