挫折から立ち上がるには?―――『「わからない」という方法』を読んで
「わからない」を方法にして物事に取りくむということを書いた本。
著者は橋本治(作家)。
集英社新書。
わからないを方法にする
著者の本業は小説家であるが、セーターの編み方の本や、古典の現代語訳、時評や演出家など、いろいろなことをしている人である。
なぜ、そんなにいろんなことを出来るのか?
それは、気が付いたら「わからないからやってみる」と、「わからない」を「方法」にしてしまっていたというのだ。
断片的に「わかる」部分がまとまらない。
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それは全体像が「わからない」からだ。
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「自分にはどのようにわからないのだろうか?」と考える。
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その断片をまとめる方向が「わからない」から全体として1つにまとまらない。
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散乱する方向を1つにしてしまえばまとまりうる。
ここで、重要なのが「自分にはどのようにわからないのだろうか?」と考えることだそうだ。
わからないからやってみる
著者が言っているのは「わからないけどやってみる」ではない。
「分からないからやってみる」なのだ。
一般的には、「わからないけどやってみる」という逆接のほうが自然に感じられるだろう。
しかし、著者はそこに疑問を呈する。
なぜ「わからない」と「やる」は素直に結びつかないのか?
それはつまり、「わからない」が「恥ずかしいこと」だからであるということだ。
20世紀は「わかる」時代、21世紀は「わからない」時代
著者は20世紀が「わかる」と当然とする時代だったとみている。
だからこそ「わからない」が「恥ずかしい」こととされる。
しかし、21世紀にはもう「正しい答え」がないという。
どこかにあったはずの自分の現実をどうにかしてくれる「正解」はもうない。
自分がぶち当たった壁や疑問は、自分オリジナルの挫折であり、疑問である。
結局のところ、自分で切り開くしかない。
「わからない」時代を生きていくのは度胸の要ることでもある。
なぜなら、失敗の可能性が非常に高いからだ。
自分の知らない”正解”がどこかにあるはずだとう20世紀病を克服するためには、「バカと言われることを顧みない度胸」によって突破していくしかない。
いろいろなこと=挫折の数
著者はいろいろなことをやってきた人であるが、それは挫折の数でもあるという。
小説家として一作品目を書き上げた著者は、すべてを吐き出したため、もう書くことがなくなったそうだ。
次の作品を書くためには新たな視点が必要となる。
しかし、それが「わからない」。
これが挫折である。
そこで、自分はどのようにものを見ているのかを整理しながら
「わからないからやる、やれるところからやる」を行っていただけだという。
それが、「自分はどのようにわからないのだろうか?」を考えることだったようだ。
そこには悲壮感がある。なぜなら孤立無援の状態に置かれているからだ。
「わからないからやる」とは「覚悟する」の別名でもある。
挫折の克服
挫折を克服するためには、単純に力をつければいいというものではない。
なぜなら、挫折というのは自分のふるおうとする力と、その自分を取り巻く現実との空回りによって生まれるものだからである。
そのとき本人を取り巻いているのは「わからない」という状況である。
現実と空回りしているとき、自分は周囲から「へん」という評価を受ける。
このとき「自分はへんじゃない」という批判の拒否は、自分自身を見つめなおす視線を硬直させてしまう。
「へん」であることは他人と違うということであり、自分の「特性」でもある。
視点の違いで、つまり、こちらから見ればあちらが「へん」でこちらが「へんじゃない」。
あちらから見ればこちらが「へん」であちらが「へんじゃない」。
「へん」と「へんじゃない」は視点が違うだけで同じものなのだ。
つまり、「へん」をひとまず認めることが「新しい視点」を獲得するために必要なことである。
「わからない=挫折」→「わかった」へ移行するために、「へん」を認めて「新しい視点」を獲得するということだ。
「へん」と「へんじゃない」はイーブンである以上、180度ひっくり返される。
この「硬直した常識」のひっくり返しが、「わからない=挫折」の克服となる。
情報収集
著者は自身の情報収集の特徴についてこう述べる。
何かを収集しているが、何を収集しているのかは、収集している当人にもわからない。
つまり、情報の収集は無意識を動員してするものなのである。そうして、脳の中になんでも囲い込む。整理とは、その記憶のゴミの山に入り込んで、ゴミの山から、ある道筋に従って、意味のあるものを拾い出す作業である。
(P.159)
「わからない」なりに「何か」を集めて、それを自分なりに整理しながら筋道を作り出していく。
そこには「無意識の動員」が必要とされるようだ。
そして、知識をストックするために必要なのは一旦、忘れることだそうだ。
膨大な知識量をストックするために必要なのは、「一旦忘れる」という収納作業なのである。ぼんやりしていれば忘れられる―――「忘れる」ということが、実はこの私にとって、「記憶するための最大の方法」なのである。
(P.236)