肌の触れ合いって大事?―――『子供の「脳」は肌にある』をよんで
肌で触れあう感覚が子供の成長に与える影響について書かれた本。
著者は山口創(臨床発達心理士)。
光文社新書。
- 優先順位
- 触れない育児がもたらした結果
- 出産しただけでは「母」にはなれない
- 哺乳動物は肌を舐める
- 肌着とストレス
- 未熟児へのタッチケア
- 異なる文化
- 身体と記憶
- くすぐり
- 法の違い
- 心の傷にも有効なマッサージ
優先順位
著者は子育てにおいて「体」「心」「頭」には優先順位があるという。
重要性が高い順に「体」→「心」→「頭」だと主張する。
その理由は
知識というものは、それが本当に生きた知識として身につくときには、必ず何らかの具体的で情緒的な事物の操作を通じての感覚・感動を伴うものである。
(P.13)
知識(頭)を鍛えるとき、その前に感情(心)の働きが必要となる。
何かに驚いたり感動したりする心の体験があって知識として身につくということだ。
知性は感性という土台によって支えられているということだろう。つまり、「心」→「頭」だ。
さらには、感情(心)に先立って、感覚(体)の働きがあるという。
ウイリアム・ジェームズやカール・ランゲはおよそ同時期に「我々は悲しいから泣くのではなく、泣くから悲しいのだ」という趣旨の主張をしており、これは現在「ジェームズ=ランゲ説」と呼ばれているそうだ。
感情的な変化に先んじて身体的な変化がみられるという。
本書には出てこなかったが「身体化された認知(エンボディード・コグニション)」という分野でも、この主張の裏付けを示唆するような実験結果がいくつかあった。
つまり、「体」→「心」だ。
厳密な科学的実証とは言えないかもしれないが、感覚(体)が感情(心)をつくり、感情(心)と事物が結び付くことで知識(頭)が鍛えられるという説に対しては、私は納得できると考える。
触れない育児がもたらした結果
アメリカの行動主義心理学の先駆けでもあるワトソン(1876~1958)も触れない育児法を推奨した。
その結果、5年~10年ほど経つと、子どもを巡る社会問題があらわれはじめた。
アメリカの心理学者プレスコットによると不安や抗うつが非常に強く、また他人と良好な人間関係を築けない子や、感受性に乏しく周囲のことに関心をもてないような子どもが増え、成長してからも多くの問題を次々に起こすようになってしまったと指摘しているそうだ。
すべての原因が行動主義にあるわけではないとしても、深く関わっていたことは推察される。
出産しただけでは「母」にはなれない
チンパンジーの観察になるが、アイは出産したアユムを最初は抱き方が分からず逆さに抱いたり、腹と太もものあいだに挟んだりしていた。アユムがむずがり嫌がるので、抱き方をいろいと変えているうちに、次第に上手に抱けるようになったそうだ。
赤ん坊の側から「しがみつく」「吸いつく」などの働きかけを受けながら母と子の相互作用によって<育てる-育てられる>という行為が作られていくようだ。
アイの研究パートナーの松沢哲郎は「子育ては種族繁栄の基本的な行為なのに、本能に組み込まれていない。それは、子育ては子供の個性に柔軟に対応してやる必要があるから、あらかじめ決められた1つの方法ではかえって不都合が生じるからかもしれない」と考えているようだ。
チンパンジーですら子育てが「本能」ではないのだから、人間なんて尚更である。正しい子育てという1つの方法がないからこそ、どう子育てするのが良いのか分からないという悩みも尽きないのだろう。
母とのスキンシップ・父とのスキンシップ
スキンシップととることは良い影響を与えるが、父と母でその内容が異なっているらしい。
母親という最初の他者から暖かく受け入れてもらったということで、「人というのは信頼できるものだ」という想いを強くする。
一方、父親とのスキンシップの結果は少し異なるものだった。父親とスキンシップを多くすると、(略)人と協調して何かをしていく能力が伸ばされている傾向がうかがえたのである。
(P.51)
母とのスキンシップは「他者への信頼感」を育て、父とのスキンシップは「他者と協調する力」を育てるようだ。
それぞれ内容は異なっているが、良い影響が与えられている。
母子のスキンシップは、子供を依存的にするという批判が時折あるそうだが、調査の結果では、むしろ定説とは逆になったという。
母子のスキンシップの量と子供の依存性とは、負の相関を示しており、依存的になることを防いでいたというわけだ。
この結果は統計的にも十分に意味のある数値が得られているそうである。
哺乳動物は肌を舐める
犬や馬などの哺乳類は出産した赤ん坊を舐めてやることで、羊水などを拭うのと同時に全身にマッサージを行っている。それは赤ん坊の循環器系、消化器系、泌尿器系、免疫系、神経系、呼吸器系などあらゆるシステムを正常にさどうさせるために必要なことのようだ。
人間の場合は舌で舐めるかわりに、出産のときに子宮でマッサージをしていると主張する学者もいるそうだ。
長時間続く陣痛による子宮の収縮が、胎児の全身に皮膚刺戟を与える。すると胎児の皮膚の抹消の感覚神経が刺戟され、それが中枢神経に届き、自立神経系を経てさまざまな器官を刺激するという。ゆえに産道を通らずに帝王切開で生まれた子どもは、後に情緒不安定など、上道面での問題が生じる可能性が高いとの指摘さえある。
(P.57)
肌に与えられる感覚刺激は子供の成長に様々な影響を及ぼすことが窺える。
ジャンバーグの実験によると、ラットの赤ん坊を母親から離すと免疫系にかかわるオルニチン脱炭素酵素(ODC)が約半分に低下したそうだ。そして母親のもとに戻すとそれらは正常に機能し始めた。
ジャンバーグは母親のラットが舌で舐めていたことに注目して筆を濡らし赤ん坊をなでることで疑似的に母親の行動を再現してみると効果があったため、皮膚への柔らかい刺激が免疫の機能を正常に働かせていることを示している。
これは人間の新生児にもあてはまると著者は主張している。
赤ん坊の皮膚は全体重の20%もの重さを有し、2500平方センチもの面積をしめているそうで、また、「皮膚は露出した脳である」といわれているように体性感覚(触覚と温痛覚)は視覚や臭覚とは異なり直接脳を刺激しているという。
肌着とストレス
3歳~5歳の幼児を対象に硬い肌着と柔らかい肌着を着せて、採取した唾液と尿から免疫機能に違いが出るのかを九州大学の綿貫茂貴らが1999年に実験を行っている。
結果は柔らかい肌着を着たグループの方が「免疫グロブリンA」の量が2割以上も数値として上がったそうだ。
肌着は慣れてしまうと硬さや柔らかさをほとんど意識しなくなってしまうが、皮膚を通して無意識の内に脳に影響を与え続けているようである。
未熟児へのタッチケア
マイアミ大学の小児科医教授のティファニー・フィールドらの研究では、未熟児で生まれた赤ん坊のうち、マッサージを受けたグループは明らかに体重が増加し、その増加率は31%も高かったという。
接触によって迷走神経が刺激されインスリンなど食物吸収ホルモンが増加したからではないかと考えられている。
著者は、皮膚が発生学的には、脳や中枢神経系と同じく外肺葉から形成され、外界からの刺激を知覚する器官であることを指摘している。
異なる文化
文化人類学者のマーガレット・ミード(1901~1978)はニューギニアの異なる子育て方法を持った部族を調査した。
一方は、母親が首から下にぶら下げた網に赤ん坊を入れ肌を触れ合っている部族。
他方は、母親が赤ん坊をバスケットに入れて、肌を触れ合っていない部族。
前者は穏やかで優しく争いごとが起こらなかったが、後者は攻撃的で争いごとが好きということが分かったそうである。
このことに関しては科学的な水準には達してないと思われるが、無視できない示唆的なものでもあると私は思った。
身体と記憶
『記憶する心臓』の著者シルヴィア・クレアは難病の治療として、バイク事故で脳死状態になった若者から心臓と肺の提供を受けた。しばらくするとその臓器に提供者の意識や記憶が宿っていることを発見したと主張しているという。
同じように、臓器移植をした多くの患者に、ドナーと似た性格が現れたり、コノミヤ嗜好がドナーとそっくりに変化するという話はあるそうだ。
動物実験でも、ラットの脳にサメの脳を移植しても性格や行動に何の変化も起こらないが、内臓を移植するとそれがかわってしまうという結果が得られているそうだ。
これらの現象は科学的な裏付けが十分ではないものの、簡単に無視してしまうわけにはいかないものだと思える。
心という現象は身体と切り離して考えることは出来ない。
くすぐり
くすぐったさを感じるか否かには、刺激がいつ来るかを予想できるかどうかが重要である。自分で自分をくすぐってもくすぐったくないのは、刺激が来るのを予測できているので、あらかじめそれを抑制するようにニューロン活動が抑制されているからだそうだ。
赤ん坊をくすぐったときに、赤ん坊がくすぐったがればそれは「他人からくすぐられた」という感覚をもっていることになる。実験の結果だと、赤ん坊にくすぐったいという感覚が芽生えるのは、生後7か月~8か月であることが分かったそうである。
鏡を見て自己意識が確認されているというものよりももっと早い時期から自他の意識は確立されているようだ。
法の違い
アメリカの多くの学校では、先生が生徒に触れることを法律で禁止しているようだ。カウンセラーやセラピストがクライアントに触れることも多くの学派で倫理的に禁止されている。
州によっては、子どもと一緒にお風呂に入ったりプロレスごっこをするだけで、虐待だと扱われることさえあるという。
実際にあったことだそうだが、ある日本人の父親が子供とプロレスごっこをしていたときの写真を現像してもらったところ、写真屋の店主が警察に通報し、この父親は逮捕されてしまったそうである。
特にアメリカでは児童虐待が深刻な問題となっているため、社会全体が過敏にならざるを得ないという事情もあるようだ。
心の傷にも有効なマッサージ
PTSD(心的外傷後ストレス障害)という「過去の嫌な体験を頭の中で追体験してしまう病気」がある。
そのような病気をもった子ども(今回の場合はハリケーンの被害者)たちを対象にマイアミ大学のフィールド博士らによって研究が行われた。
1つめのグループは、種に2度ずつマッサージを施した。
もう1つのグループにはリラックスのためのビデオを同じ時間みせた。
1か月後、比べてみるとマッサージを受けたグループではPTSDの症状も抑うつも非常に軽くなっていたが、ビデオを見せたグループは症状が軽減していなかった。
この結果について、フィールド博士は、心に傷を負った子供は身体的愛情を普段より強く求めるのであり、マッサージはその欲求を十分に満たしてあげることが出来る、と述べているそうだ。そして、同じ傾向が大人にもみられたという。
別の研究では、虐待を受けた子どもをマッサージを施すグループと絵本を読んであげるグループに分けたところ、絵本グループよりもマッサージグループの方が睡眠時間が長くなり、注意力も増し、抑うつは軽くなったそうだ。
肌の触れ合いによる身体的な作用は傷ついた心を癒すのに有効な手段のようだ。