ウソツキ忍者の独断と偏見に基づく感想・考察

読んだ本や、見たアニメについての感想

老いと死を受け入れられるか?―――『命と向き合う』を読んで

日本における癌の治療と緩和ケア、それと死との向き合い方について書かれた本である。
著者は養老孟司(解剖学者)、和田秀樹精神科医)、中川恵一(東大医学部付属病院緩和ケア診療部長)。
和田秀樹と中川恵一の2人は養老孟司の教え子だそうで師弟による共著ということだ。

1.私達は意識から「死」を排除している

養老孟司の指摘によると今の日本では社会も自分も「死なない」ということを前提にしているそうだ。
中川恵一は、その背景に「ものとお金」にだけ価値を見出すあり方があると見る。(P.23要約) 

「死ぬのは当たり前です、わかってますよ」とたいていの方はおっしゃるんだけども、果たしてどこまで本気でそう思っているのか分からないと養老孟司は言う。(P.56要約)

実際、普段から死につい本気で考えている人はそんなにいないと思う、私も含めて。


2.薬を減らすと元気になる

約10年前(この本は2007年に初版発行なので2020年現在だともっと昔ということになる)保健医療の大幅な改定が行われ、老齢者の入院医療に関しては1か月程度までの短い入院以外は、診療報酬が出来高制から定額制というのが導入され、いくら治療をして薬を使っても病院の収入が増えないようになった。薬が減ったおかげで、それまで寝ていた患者さんが歩くようになったり、しょべれるようになったということがあったらしい。著者によれば多くの医者がそう言っているから多分、本当だと思うとのこと。これまで過剰診療が行われていたのか、それ以降、過少診療が誘発されたのか、そこのあたりはよく分からないと断りは入れてある。(P.138要約)

3. 白か黒かではなく根治治療と緩和ケアの両立を

養老孟司によると人間の体は全体がぼろぼろになっていくのがいいという。解剖をやっててそう思ったらしい。面白いたとえ話として「車だってガタガタになっているのに立派で強力なエンジンを付けたら全部、分解しちゃうでしょ」と言う。それをうけて中川恵一は(患者側に)健康に対する潔癖さがあるため体に何の問題もつくりたくないという気持ちによって治療法を間違って選び、結局は不幸になることがあると言う。(P.50~P.53要約)

完全な治療だけが全てではなく、ある程度の症状は受け入れた方が良い場合もあるようだ。

中川恵一によると日本のがん患者はモルヒネ(がんの痛みを和らげる)の使用率が低いらしい、つまり、それだけ激しい痛みを耐えている。一般にモルヒネに対する悪いイメージがなかなか払拭されておらず健康に対する潔癖さから、少しでも体に悪いものは避けたいという気持ちあるようだ。しかし、口から飲む分には安全な方法であり、痛みがなければ食事もとれ睡眠も確保できるため心身の負担が減り、それが長生きにつながるかもしれないと言う。(P.27要約)

4. 無理して老いにあらがう必要はない

和田秀樹は言う、結局がんも認知症も、どちらも老化現象だから「この薬を飲めば治る」というような類のものでもない。老化は止められないと。(P.100~P.101要約)

中川恵一によると”健康のため”に塩分を控えたり、飲みたいもの食べたいものをがまんしたり、血圧をコントロールしたり、なんてやってると突然死が回避できる分、やっぱり「がん」や「認知症」になる可能性が高くなるとのことだ。(P.102要約)

「がんと闘う」のはいいけれど、「一生闘う」「なんとしても闘う」となってくるとバランスが悪い。結局、死や老いを受け入れる時期を遅らせるのはいいけれど、いつかは受け入れなければならない(和田)。(P.113要約)

老化プロセスのどの段階にあるかの理解と自覚が出来ることが大切。(和田)(P.114要約)

かんというのは治せる人がいる一方、治らない人もいる。なのに治らない人への全人的ケアの問題には関心が集まらない。(中川)(P.117要約)

がんの進行に伴い治療と全人的ケアの比率がかかわってくる。(中川)(P.118要約)

「老い」にまつわる医療というのは、「寝たきりになってもいいじゃないか」「それでも幸せな生き方もある」というようなスタンスがとれるよにお手伝いする仕事だっていいと思う。(和田)(P.120要約)

5.「違い」が分かる動物、「同じ」だと思う人間

感覚の世界の特徴とは何かというと「違う事」、概念の世界の特徴とは何かというと「同じこと」違いをとらえる能力を「感性」と呼ぶ。1人ひとりが違う人生をおくるっても言葉(概念)にするとただ「人生」であり、それぞれ違うリンゴが100個あってもリンゴであることには違いない。(養老)(P.59~P.61要約)

「同じ」という機能が人間では強く、動物では弱いから動物には絶対音感の持ち主だと言う。おもしろいのは訓練したサルにある曲を1音ずらした同じメロディーを聴かせるとサルは反応しない、絶対音感だから元の曲と音のずれた曲は違う曲だと思うようだ。味覚についてもネコに今日買ったサンマと3日前に買ったサンマをちゃんと焼いて両方とも上げると今日買ったサンマしか食べないらしい(実際にやってみたらわかると書いてあったので著者は多分やったのだろうと思う)、亭主に3日前のサンマを出しても「なんだかまずいな」とか、せいぜいそのぐらいだから男性の平均寿命が短いんだろうと示唆的に匂わせる(経験則としては確かに男のほうがそういう感覚的なものに鈍いかもしれないとは私も思う)。とにかく動物は感覚の世界が強く、人間は「同じ」の世界が強い、そのために人は言葉を成立させることが出来たのだと言う。発音にしても文字にしても3億人のアメリカ人がいるとして全員に「Apple」と言わせたり書かせたりすれば全員が違う音、違う文字を書く。音の大きさ、高さ、速さ、文字の大きさ、曲がり具合、とめ・はね・はらい、などなど。動物はこれらを感覚的に違うと認識するのに対し、人間はこれらを概念的に同じだと認識するから言葉が成立するというわけだ。(養老)(P.63~P.66要約)

しかし問題は何かというと「同じ」と「違う」のバランスが崩れ、現代では「同じ」に重点を置きすぎているということだ。(養老)(P.89要約)

ヒトは動物としては5億年の体(感覚)を持ち、人間としては5万年の脳(意識)を持つという。養老孟司は5億年の体を、たった5万年の意識が考えて立派な答えは出ないと述べ。「同じ」と「違う」のバランスを取り戻すためには感覚の世界に立ち戻り、意識で一律の世界を作るのではなく、感覚で自然の世界を見ることを勧める。(養老)(P.94~P.96要約)

動物と人間の違いを「感覚」と「意識」の重点の置き方から捉え言葉の成立を見る視点は面白いと思った。現代社会は意識中心主義に傾きすぎることで歪みが生まれているのかもしれない。


6.一元的な扱い

「がん」と一口に言っても治癒率が95%以上もある精巣がんと5%に満たない膵臓がんを同じ「病気」として扱ってよいかどうかには疑問もあるようだ。(中川)(P.36要約)<<

一般に若いほど進行が早く、お年寄りは進行が遅いといわれるが、経験からお年寄りでも進行の早いひともいれば、そんなに年をとってなくても進行が遅い人もいる。(和田)(P.98要約)

原因となるピロリ菌を抗生物質で除去して治療する血液がんも、手術や移植を治療手段とするようながんも、みな「がん」です。(中川)(P.99要約)

1人ひとりの違いを把握し、病態に応じて適切なアドバイスをしていくことのほうが重要ということか。


7.感想まとめ

病気との付き合い方に関して完全に健康か完全に病気か、白か黒かではなく、1と0の間のどこか適切な位置でバランスをとり、折り合いのつけ方を探していくべきなのだろう。
食べたいものなどを無理に我慢してまで若さや健康を保つことにだけ価値を認めるのではなく、老いの価値も認め受け入れられる社会を作ったほうが人は幸せになれるはずだ。
上記がこの本の趣旨であるように思う。