ウソツキ忍者の独断と偏見に基づく感想・考察

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労働条件をどうする?―――『まんがで読破 蟹工船』を読んで

劣悪な労働環境と労働条件の下で働いていた人達の話。
原作は小林多喜二、漫画はバラエティ・アートワークス。
イースト・プレス


1.あらすじ

昭和初期、貧困に苦しむ家族を助けるためだったり、周旋屋にだまされて連れてこられたり、その日暮らしの荒くれ者たちがお金を稼ぐために蟹工船に乗りこむ。厳しいなんて言葉じゃ生ぬるい労働条件や労働環境のなかで地獄のような作業を強いられる。彼らは労働者の権利や労働組合に関する知識を持っていないため経営者や資本家たちにとっては、都合よくこき使える存在だった。異臭漂う船首にすし詰め状態で寝泊まりし、極寒の荒れ狂う海の上でも作業しなくてはならない。労働者の命よりも収穫量や製造量の方が優先された。利益を高める目的で労働者を更に働かせるために見せしめのリンチなども行われ、成績の悪い者や反抗的な態度をとる者に対しては暴行を加えウインチに吊し上げたり、熱した棒を当てて火傷を負わせるなど虐待は日常茶飯事であった。実働16時間、休日なし、風呂にもめったに入れず、ケガや病気になっても診断書すら出してもらえない。カムカッサの洋上で孤立する船の中では権力のある監督がやりたい放題である。追い詰められた労働者たちは行動を起こし始める。団結してストライキを行ったのだ。要求条項と誓約書を突きつけ改善を求めた。しかし、代表者9名は翌日、蟹工船を護衛していた海軍の駆逐艦に乗る水兵たちに叩きのめされ連行されていった。ストライキは失敗に終わったのだ。翌日からは今回の件の復讐として「過酷」よりも酷い労働を強制されるようになる。それでも彼らは諦めなかった。今度は労働者300人全員が団結したのだ。「海軍に全員を引き渡したら、誰がカニを獲る?誰が詰める?誰が働く?」と監督へ迫る。2度目のストライキは見事に成功する。「組織」「闘争」という偉大な経験が彼らに残された。




2.蟹工船とは

この漫画に登場するのは白光丸という船で日露戦争で病院船として活躍したものが民間企業に売却されたようだ。

第一次大戦時にはサケ・マス・カニなどの缶詰類が保存食として需要が増すが、北洋でタラバガニを大量に水揚げしても陸の工場へ運ぶまでに鮮度が落ちてしまう。その問題を解決するために船の中に加工場をつくり、船内で缶詰を製造している。つまり、蟹工船とは「船でもあり、工場でもある」というわけだ。




3.なぜ好き勝手できたのか

蟹工船はあくまでも「工船」であり「航船」ではなかったため航海法が適用されなかった。

さらに、純然たる「工場」であるにも関わらず工場法の適用も受けられなかった。


つまり、法の整備と、その適用や運用面に問題があったため悲惨な状況が作り上げられてしまったということだろう。






4.資本主義VS共産主義という見方について

この作品のテーマは搾取する資本家と、そのせいで貧困に苦しむ労働者、という資本主義に対する反乱といったところだろうか。

あの時代は日本だけでなく世界的に労働者の置かれた環境は過酷なものだったようだ。その原因としてやり玉にあがっていたのが「搾取」という資本主義に内在するシステムだったようだ。

搾取とは、資本家が労働者から剰余価値を取得することである。生産手段を所有する資本家が、生産手段をもたない直接生産者(労働者)から労働の成果を不当に取り上げる。

問題なのは労働者が不幸な境遇に置かれ続けていることであるが、「資本主義が悪い」というのは短絡的すぎる。労働者たちが不幸なのは、いくら働いても貧しいままだからである。その原因は「搾取」のシステムそのものではなく、資本家たちの「搾取」の取り分が大きすぎてバランスが取れていないことにある。

私達は現代を生きているので冷戦の結果、つまり資本主義と社会主義の戦いがどうなったかを知っている。私達は資本主義経済の中で比較的に恵まれた暮らしをしている。少なくとも蟹工船の労働者や、あの時代の世界中の労働者階級の人々に比べればずいぶんと安楽な生活を送っている。

当時の未来予測ではこのまま資本主義が続くと労働者を不幸にする、もっと悲惨な状況になるというものだったようだが、実際はそうならず、むしろ資本主義国の労働者の方が社会主義国の労働者よりも豊かな生活を勝ち取った。

どうしてこうなったのだろうか?

資本主義国は労働者にまつわる法整備や適用・運用規定などを改め、労働者の条件や環境を改善した。「搾取」の割合も(酷かった時代よりは)小さくするようにしたからだろう。

なぜ、そうしたのか?

それは労働者たちの「団結」や「闘争」によってそうなったのではない。資本主義のシステムを効率的に機能させるために行われたものだった。

商品は売れなければ利益が出ない。つまり、買ってくれる人が必要なのだ。たくさん売って、たくさん利益を出すためには買ってくれる人もたくさんいなければならない。

実際に商品を購入できるだけのお金を持っている消費者たちが大量にいなくてはならない。一部の資本家だけがお金を持っていても資本主義経済は稼働しない。だから大量の労働者たちには同時に消費者にもなってもらわなくてはならなかったのだ。購買力のある消費者に。

つまり、彼ら(というか私達)労働者から「搾取」する割合を適正な水準にまで調整することで、私達を購買力のある消費者にした。資本主義経済を機能させる歯車の一部として取り込んだのだ。

結果、私たちは現在のような生活水準を享受するに至ったのだ。

はい、では、めでたしめでたし…といっていいのだろうか?



5.資本主義は理想的なシステムか

結論から言えば、そんな理想的なシステムなんてあるわけがない。

過去にだって、誰もが幸せで理想的な世界なぞ存在していたことはないし、現在だってもちろんそうだ。そして、おそらく未来でも。

現代ではグローバル化、自由化、規制緩和などが過剰なまでに進み、資本主義経済もますます繁栄しているかのように見える。

しかし、格差の拡大や、早すぎる変化(技術や制度に関するイノベーション)によって揺さぶられ不安定化する価値観。効率化、合理化を推し進めることで世界は均一になり多様性が失われている。

多様性がないということは、突然の変化があった際には、1つのものがダメになると他のものも全部がダメになってしまうということである。

例えば、効率よく農作物を収穫するために遺伝子組み換えなどで生育が早い品種を作ったとして、ほとんどすべての農地をその作物の畑にすれば、同じものを同じように扱えばいいので効率よく運営することが可能なので大規模な利益が期待できる。

だが、その作物を殺してしまうウイルスなどが突然発生してしまうと、同じ遺伝子をもっている作物である以上、すべてがダメになる。均一でなければ、生き残ってくれる作物もあったかもしれないのだ。

これは農業だけに限ったことではない。近代資本主義の美徳でもある目的合理性は、必然の帰結として多様性を非効率的なものとして排除せざるを得ないのだ。

その上、合理主義は目先の利益だけを見る、つまり近視眼的になりがちである。なぜなら予測不可能な遠い未来のものを扱おうとすることは合理的ではないため、予測がある程度可能な近い将来のことばかりに意識が向くようになってしまうからだ。

資本主義経済を成り立たせている近代合理主義は一見すると理想的に見えなくもないが、危機管理の点で大きな問題を抱えているように思える。

問題は「搾取」にあるのではない。効率化・合理化の弱点に無自覚でいるところにあるのではないか。