失業をどう見るか?―――『日本人のための経済原論』を読んで②
経済学のエッセンスを理解するための本。
著者は小室直樹(経済学者)。
東洋経済。
三大経済学者
経済学者の中で、とくに3人を挙げよと言われれば、どの3人を上げるか。
大多数の人はこう答えるだろう。
この3人は、それぞれ失業について異なる考え方を持っている。
スミス
失業は出ない。
マルクス
必ず、失業は出る。
ケインズ
失業は出ることもある。が、失業を無くすこともできる。
古典派(スミス)のドグマ
古典派の教義(ドグマ)は「市場が自由であればすべてよし」ということだ。
「すべてよし」である以上、失業なんて悪いことが起こるはずはない。ゆえに失業はありえない。
高田保馬によれば「19世紀の経済学は失業の章をもたなかった」そうである。
あの時代に、「失業なんてあり得ない」という学説に対し反抗が出ても、制圧されるか無視されていたらしい。
マルクスの産業予備軍説
必ず失業は出る
マルクスは、資本主義に失業は必ず起きると主張する。これが産業予備軍説である。古典派とは正反対だ。
「市場を自由にしておくと、資本主義は必ず滅亡する」というのが彼の教義(ドグマ)である。
1930年代の大恐慌時代に古典派の説では大量の失業者が出たことを説明できなかった。失業の存在を説明していたのマルクス経済学だけであったらしい。
30年代の大恐慌において、悲惨きわまりない失業者の大群(労働人口の4分の1あるいは3分の1)を目の当たりにして、当時全盛をきわめた古典派の経済学者は、「こんな失業者は存在するわけがない」とうそぶいていた。当時の失業者は餓死寸前である。あるいは、人知れず餓死してしまった失業者がいたかもしれない。しかし、古典派の理論に失業なし、であった。
古典派理論は破綻していた。ケインズ理論は、まだ一世を風靡してはいなかった。
失業の存在を弁証していたのはマルクス経済学だけであった。
が、そのマルクス経済学は、その基礎理論たる労働価値説が不備である廉で学会から追放されていた。経済理論では、労働価値説は限界効用説にとってかわられていたのであった。
(P.170)
マルキストの誤解
「資本主義には、必ず失業が出る」という命題から、「失業がでないようにするためには、資本主義でなくしなければならない」という命題が導出される。
しかし、「資本主義でなくなれば失業はでない」という命題は導出されない。
すなわち、資本主義でなくなったとき、失業が出るか出ないかについて、マルクスは何も言っていないのである。つまり、理論的には、失業は出るかもしれないし、出ないかもしれない。マルキストが、必要条件と十分条件とを混同したことが致命傷となった。数学の効用これでしるべきのみ。
(P.174)
「社会主義では失業が出ない」というこの勘違いを、マルキストは理想的経済だと思ってしまい、社会主義は、どんなことがあっても失業を出すわけにはゆかなくなった。
そのため、社会主義の企業は必要でない労働者を無理にでも雇わなければならず、企業は破綻した。
破綻すべき企業の援助で、政府は経済的にとても苦しい状態に陥った。これが原因の1つとなってソ連は亡んだ。
ケインズの大発見
古典派VSケインズ
セイの法則
古典派は有効需要の原理を否定する。かわりに「供給が需要を決める」(セイの法則)という。
古典派の場合、その供給は労働力市場の均衡によって決まるのだと考えます。労働力の企業による需要を実質賃金率w/p(wは賃金率、pは物価)の関数であると考えます。労働力の企業による供給も、やはり実質賃金の関数であると考えます。労働力の需要関数(需要曲線)の交点に均衡労働力(の量)が決まる。
この均衡労働力を社会的(国民経済全体の)生産関数に代入すると、Yの均衡値Y0(国民総供給)が決まる。このY0を供給すると、セイの法則によって、全部めでたく需要されて、国民総需要も、この国民総供給Y0に等しく決まる。
(P.178)
古典派は、セイの法則を前提(公理)にしている為、失業は発生しないと考える。
ケインズは、セイの法則を必ずしも成立しないとする。ゆえに、国民需要(有効需要)は、すべての労働者を雇えるには十分なほど大きいとは限らない。ゆえに、失業は発生しうる。失業の原因は有効需要不足である。
この意味で、古典派理論は特殊理論にすぎない、これに対し、ケインズは失業がある場合も、完全雇用の場合も両方とも考えに入れてるから、一般理論である。
「有効需要の原理」が成立する条件
第2次世界大戦の勃発によってイギリスやソ連からの軍需品需要がアメリカに殺到し、有効需要は巨大となった。そして、当時の世界工業力の半ばはアメリカにあり、増産が可能であったため巨大な有効需要を供給しきることができたのであった。
一方、日本経済の場合、軍需品需要は激増していたにもかかわらず、生産力が小さかったため有効需要の大部分は供給できなかった。
このように、生産能力に限界があって需要に応じきれないことを閉め出し(crowding out)という。
有効需要の原理は、実は、供給側には何ら問題のないことを前提としているのである。
古典派とケインズ派、どちらが正しいか
研究がぐっと進むと古典派とケインズとの違いは、価格(賃金率を含む)の適応速度が「速い(古典派)」か「遅い(ケインズ派)」かの違いという解釈もある。
例えば、いま労働力市場に不均衡(労働力の需要と供給とが一致しない)があったとしよう。古典派模型では、賃金率が急速に適応して(さがって)、需要と供給は一致する。失業はすみやかに解消してしまう。
これに対し、ケインズ模型では、労働力市場で、労働力の供給が需要より大きいとしよう。賃金率は急速には動かない(賃金率の短期硬直性)。ゆえに、短期的には、労働力の供給が需要を上回って失業が存在することになる。
しかし、長期的には、ケインズ模型といえども、賃金率が適応して(下がって)、労働力の需要と供給とは等しくなる。つまり、失業は解消する。
(P.202)
このように、古典派とケインズ派の違いは、短期なのか長期なのかの時間のフレームの違いのようだ。