ウソツキ忍者の独断と偏見に基づく感想・考察

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相対論?対称性?―――『アインシュタインの発想』を読んで

相対性理論自然法則の対称性に関する理論として考えている本。
著者は小野健一(理学博士)。
講談社現代新書


(私の頭が悪いせいで)理解できなかった

現代新書には理科系でない読者も多いと聞くので、予備知識を期待しないように、じゅうぶん注意したつもりである。ただし、内容には一点の妥協もない。読みやすくするためと称して、曖昧な書き方をして、かえって難解にするような愚行は、いっさいしてない。
(P.5)


一般向けに書いてあると断りがあるが、私はこの本をあまりよく理解できなかった。もちろん悪いのは私の頭の方である(泣)。しかし、自分に分からないことへぶつかってみるのもいい経験だと思って、一応最後まで目を通してみた。いつか理解できるようにはなりたいとは思う。



対称性

著者は相対性理論を対称性に関する理論だとして話を進めていく。

鏡に関する話は面白く読めた。

鏡に映った像は、よく「左右が逆」だと言われているが、実際は前後が逆に映っている。

左右が逆に映るというのは右にあるものが左に、左にあるものが右に映ることだが、鏡には右手は右側に映り、左手は左側に映っている。

では何が逆に映っているのか?

鏡に映った自分の像は、自分と向かい合って立っている。もし同じ方向を向いているとしたら、こちらには背中が向いてないといけない。つまり前後が逆なのだ。

なるほど、それなら、この問題はもう解決ということでいいのかというとそうではない。

前後が逆になるのは鏡が立っている場合であって、もし水平に置いてあると(例えば床に置いてある場合)、今度は自分と向いてる方向は同じだが上下が逆になり、頭が下で足が上に映っている。

自分の横に鏡を立てると、鏡の面に垂直なのは、自分にとって左右方向であるから、鏡の中の像は左右が逆になる。

つまり、鏡に映すと、鏡の面に垂直な方向が逆になるのである。



鏡像変換

本物の自動車の任意の点から、鏡の面に垂線を下ろし、その点と鏡の面との距離に等しく、垂線上で反対の側に点をとる。

Mを鏡、Pを門物の自動車の任意の点、点Pから面Mに下した垂線の足をO、POの延長上にOからPOに等しくとった点をQとする。

この例で自動車を鏡像に変えたように、一定の約束に従って、ある対象を別のものに変える操作を、数学では一般に変換と呼ぶ。

自動車は面Mに関する鏡像変換に対して、不変であると称する。

不変であることを、その図形はその面に関して対称であるといい、その面をその図形の対称面とよぶ。

回転に対する不変性

正方形などを回転させるとズレた分だけ動いたことが分かる。これを回転にともなう変形という。

ところが90度、180度、270度、360度の回転では同じようにしか見えない。このような操作そのものをみていない限り回したか回してないか分からないことをその操作に対して不変に保たれたという。

変換の積と対称群

ある図形に2つの変換を続けて行ったとすると、結果としてその図形は、ある1つの変換と同じものを受ける。この変換をはじめの2つの変換の積と呼ぶ。

ある図形を不変に保つ変換全部の集合は、それに属するもの同士の積が、また同じ集合に属するという性質をもっている。言い換えると、その内部で掛け算のできる集合である。このような集合を数学ではと呼ぶ。

質量とエネルギーは同じ

エネルギー保存則

エネルギーそのものを追加する以外の方法で、エネルギーを増やすことは出来ない。これをエネルギー保存則という。

質量保存則

何シュル化の物質の間に、化学変化だ起きて、別の何種類かの物質に代わっても質量の総和は変化しない。これを質量保存則という。

同一物

一方に質量保存則があり、他方にエネルギー保存則がある。どちらも例外なしに成り立つ保存則であるとすると、それらを無関係のまま放っておきたくない。この問題に平明な回答を与えたのが相対論である。

相対論によると、質量とはその物質の持っている全エネルギーにほかならない。質量とエネルギーは同一物である。

換算比

100万キロワットの発電所が24時間連続運転して発生する電力が、約1グラムと記憶するのがよい。

要するにエネルギーというものはおそろしく軽いのである。


保存則の内的必然性

質量とエネルギーとは同じものだとして、①それは一体なんなのか?②それが保存することになるからくりは何か?
著者はこれに対して「代数的説明」を求めているらしい。

ドイツの数学者ネーター女史がいうように「XとYとが等しいことをいうために、XはYよりも大きくはない、またXはYよりも小さくはない、という2つの事実を証明して、ゆえにXはYに等しいというのでは不十分である。XがまさにYに等しくなる積極的理由を、内的必然性を示さなくてはならない。それが現代数学である」という意味において、質量すなわちエネルギーが保存する積極的理由を、内的必然性を示したいのである。
(P.55)

慣性系

慣性の法則

「外界から何の作用も受けない物体はその運動状態を変えない」これが慣性の法則の内容となる。

位置

位置というのは何ものか準拠するものがあって、はじめて意味を持つ概念である。
ある準拠すべきものに対する相対的な位置と考えてはじめて意味を持つ。

この物体の位置というとき準拠するもののことを物理学では座標系という。

とすると、慣性運動は等速直線運動であるといっても、ある座標系では直線運動である運動が、別の座標系では曲線運動になる場合がある。となると、慣性の法則は全ての座標系で成り立つわけではない。


光速不変の原理

エーテルは存在しない

光速度の不変性をマイケルソンの実験と結び付ける人がよくいるが、それは違うと著者は述べる。

マイケルソンの実験は、光波の伝播には媒体としてのエーテルのようなものは存在しないことだけを証明したのであり、そのことと光速度の不変性とは直接には結びつかない。

光だけが速度不変

波の伝播速度が、振動数によって違うことを分散と称する。伝播速度が振動数に関係なく一定である場合は、その事実を「分散がない」という言葉で表現する。真空中の光には分散がない。つまり、真空中の光速度は、振動数に無関係である。これは、すべての放射線中で、光だけが持っている特徴である(正確に言うと、光のほかに中性微子線が同じ性質を持っている)。この真空中の光には分散がないという事実が、光速度の不変性の原因をなしているのである。
(P.95)

感想まとめ

このあとローレンツ収縮や双子のパラドックス、「相対性理論は対称性理論」などの説明が続くが理解できなかった。またいつか挑戦してみたい。