100%正しいことなんてない?―――『99.9%は仮説』を読んで
科学も含め、全ては仮説であるということを述べた本。
著者は竹内薫(科学作家)。
光文社新書。
1.科学理論も仮説
1.飛行機はなぜ飛ぶ?
この本のテーマは「仮説」。思い込みで判断しないための考え方として「仮説」について考えなおす。
私達は「科学的理論」なんて言われると、すぐに正しいと信じてしまうが著者は「科学はぜんぜん万能ではない」と主張する。
いきなりプロローグから驚かされる。何と「飛行機が飛ぶ仕組み」なんてものは案外よく分かってないという。
①「わかりやすい説明」として流布されている飛行原理は、完全なウソであること。
②「渦理論」を使った専門家による飛行原理の説明にも、微妙な問題が残ること。
①について
飛行機の翼は下の方が平坦で上の方が曲がっている。そのため上下に分かれた空気が同時に合流するためには、上を通った空気の方がスピードが速くならなければならない。そこにベルヌーイの定理(空気のスピードが速くなると、その部分の圧力は下がる)をあてはめると、上の空気の方がスピードがはやくなるわけだから圧力は下がる。すると、翼の上下で圧力差が生まれて、気体は圧力の高いところから低いところ、つまり下から上へともちあがる。
これが「分かりやすい説明」として流布されているものであるが、理屈がおかしいところがある。
そもそも翼のところで上下に分かれた空気が同時に合流する必要があるのかが問題なのだ。
実際に実験を行って空気の流れを調べると、ぜんぜん同時ではなかったそうだ。
とはいえ「翼の上を通った空気のほうが速くなる」という点はホントだったそうだ。
でも、翼の上の方が距離が長いから速くなるといった説明は、その前提である「同時に合流」という条件は間違っている。
ではなぜ翼の上を通った空気の方が速くなるのかは誰も説明できないままだという。
②について
専門家は①とは違って「飛行機は渦で飛ぶ」と理解しているそうです。
回転してるボールは周囲の空気に流れの変化をもたらすため、回転に引きずられてボールの周囲の空気の流れに速いところと遅いところが出来る。その差が揚力を生んで変化球が可能になるのだ。
しかし、飛行機の翼は回転していない。渦なんて無いと思うのだが「おそらく渦はあるはずだ」ということらしい。
どういうことだろうか?
おもしろいことに渦というものは勝手にポツンで出来たりするものではないそうだ。時計回りの渦が1つ出来れば、それを打ち消すような反時計回りの渦も出来なくてはならない。それで飛行機の話だが、空を飛ぶとき、その翼の後ろには必ず反時計回りの渦が出来ることがわかっている。
ところが「本体」である翼の方の渦は観測することが非常に難しい。
つまり、専門家の言い分は、反時計回りの渦が実在するので翼には時計回りの渦があるにちがいない。
「そうなるはずだ」というレベルの確実性しかないということだ。
結論を言えば「分からないけど、きっとそうに違いない」である。
2.その他の仮説
例えば、狂牛病などでは異常型プリオンの量は必ずしも狂牛病の感染率とは一致しないようだ。だから異常型プリオンが蓄積されていないからといって狂牛病に感染しないとは言い切れない。
また、地球温暖化が起こる理由も、実はよくわかっていないという。
二酸化炭素が増えたから温室効果で地球が温暖化するといった説明がなされているが、それも仮説にすぎない。もしかしたら逆に、地球温暖化によって二酸化炭素が増えたのかもしれない。
温暖化のデータも何が原因で何が結果なのかを実証するものではないということだ。
さらに、自身が起こる理由もプレートのずれ込みが原因とされているが、もしかしたら微生物が引き起こしているかもしれない(『地球の内部で何が起こっているのか?』の著者の1人の平朝彦の談話が出典)。
3.科学も1つの見方
科学は絶対的なものごとの基準ではなく、1つの見方にすぎないと著者は言う。
科学の歴史をさかのぼると、科学的に検証されたと思われていた定説が、きれいさっぱり覆ること事例に事欠かない。
科学はすべて仮説であり、この世の中に定説はひとつもないということだ。
2.仮説とデータ
1.仮説=枠組み
ピエール・デュエム(1861~1916)という人がこう言ったそうだ。
「データが仮説をくつがえすわけではない。データが理論を変えるということはない」
「理論を倒すことが出来るのは理論だけである」
ここで言われている理論とは仮説といってもいいので、こう言い換えられる。
「仮説を倒すことができるのは仮説だけである」と。
つまり、こういうことです。
仮説というのはひとつの枠組みですから、その枠組みからはずれたデータはデータとして機能しないわけです。
(P.71)
例えば、ガリレオ(1564~1642)は自作の望遠鏡で遠くの森や建築物を見せて、人々を驚かせ称賛されたが、天体のときは月の表面などを実際に見せても「それ(望遠鏡)は、下界においては見事に働くが、天上にあってはわれわれを欺く」と非難された。当時の常識として天上界と下界では異なる法則が働いていると信じられていた。そのような思考の枠組みだったのだ。
つまり、望遠鏡で見える実際の天体の像(データ)を見せても、「天上界は完璧である」という思考の枠組み(仮説)をくつがえすことは出来なかった。
世界の見え方自体が、自分の頭の中にある仮説によって決まっているわけなので、「裸の事実」などないということだ。
2.データ改竄でノーベル賞
ロバート・アンドリュー・ミリカン(1868~1953)は1923年にノーベル物理学賞をもらったアメリカの物理学者で、彼は「電気素量(電気の最小単位)」というものを発見した(素電荷ともいう)。
実験者がコントロールする「電圧」「油滴の落下速度」「油滴に帯電した電気の大きさ」の3つが互いに影響しあっている装置で、電圧と落下速度を測定することにより油滴がもっている電気の大きさを割り出した。それにより、あらゆる電気(正確には「電荷」)は電気素量の整数倍になることが分かった。
しかし実は、集めた油滴のデータは170個もあったのに、ミリカンはそのうちの58個しか論文には載せていない。
つまり、残りの112個のデータは電気素量の整数倍ではなかったので都合の悪いデータは省いてしまったのだ。
こんなことが許されるのか?
著者はこう述べる
結果としては、それでもいいんです。
つまり、仮説と会わなかった112個のデータについて、ミリカンは実験がうまくいかなかったと解釈をしているわけなんです。
(略)でも、べつにそれは悪いことではないんです。そういった直感に裏付けされた人間的な実験から世紀の大発見がうまれることもあるのです。
もちろん、その後に、いろんな人がべつの実験を行って、理論を検証し、徐々に精度を高めていって、ようやくミリカンの仮説が生き残るわけですが。
(P.90~P.91)
実験によって仮説(理論)が導き出されるのではなく、まず仮説(理論)が先にあって、それを確かめるために実験がある。実験はいつでもうまくいくとは限らないので「都合の悪いデータは、実験が上手くいってなかったからだ」と解釈したわけだ。
結果として、ミリカンの仮説は正しかった(というか信憑性が高かった)から良かったものの、もし仮説が間違っていた(というより信憑性が低かった)ら、これはインチキということになっていただろう。
3.仮説はくつがえる
1.白い仮説・黒い仮説
著者はいろいろある仮説を整理するために、こう分類する。
誰もが信じていて、実験などでも正しいと何度も確認されているを「白い仮説」
かぎりなく嘘に近い仮説、実験や観察と合わない仮説、それを「黒い仮説」
完全な白でも、完全な黒でもない。その間を行ったり来たりして濃ゆい白や、濃ゆい黒になったり、灰色になったりするのが仮説だ。
4.科学の定義
1.反証
科学の定義は、たったこれだけである。
「科学は、常に反証できるものである」
これを言い出したのは、カール・ポパー(1902~1994)という科学哲学者。
反証とは、その理論が上手くいかないというような事例が生じることである。
つまり、100万回実験を行って理論を支持する結果が出ても、次の1回だけでも上手くいかなければ、その時点でその理論は通用しなくなるということである。
となると、決定的な証明などということは永遠に出来ないということになる。
2.近似
物理学者のリチャード・ファイマン(1918~1988)は、こんなことを言っている。
「科学はすべて近似にすぎない」
精密科学と呼ばれる物理学や化学でさえ例外ではなく、限りなく白に近い仮説であっても真理にはなれないということだ。