ウソツキ忍者の独断と偏見に基づく感想・考察

読んだ本や、見たアニメについての感想

物理学の発展―――『人物で語る物理入門(上)』を読んで

物理学に寄与してきた人物を取り上げながら科学の発展を見ていく本。
著者は米沢富美子(理学博士)。
岩波新書
2005年第1刷。




近代科学へ向けて

タレス(前580頃盛年)

自然学派の祖。
自然現象を説明する原理を探究する学派。

ピタゴラス(前570頃~前498頃)

「数」を存在説明の根拠とする。

デモクリトス(前460頃~前370頃)

師のレウキッポスの説を受けて「原子論」を大成した。
アトム(原子)はアトモン(分割不可)が語源。

プラトン(前428~前348)、アリストテレス(前384~前322)

物質は連続していると主張し、原理論に反対した。

エピクロス(前341~前270)

デモクリトスの原子論を受け継ぎ、修正を加える。

ルクレティウス(前99頃~前55頃)

エピクロスの説を『物の本性について』という著作によって伝える。

形而上学

形而上学とは「ものごとの真の本質や根本原理」を「純粋な思惟や直観によって」探ろうとする学問。

近代科学

近代科学とは、
①対象は「森羅万象の自然の営み」
②方法は「実証主義(与えられた事実のみを根拠として基本法則を見出すこと)」
つまり、形而上学と違って観測実験を拠り所としている。

アリストテレスの自然観

自然は到達すべき姿があり、そこへ向かって成長していく(目的論)。

天上と地上では、物質に対して異なる原理が働いている。
また、空気中の物体は地に向かって落下し、水中の物体は月へ向けて浮上すると考えた。

宇宙については、天球に恒星が貼り付いており、地球は天球の中心にあると考えていた。

アルキメデス(前278頃~前212)

アルキメデスは水の入った容器に物体を入れて押し出された水の量か体積を知ることが出来る事を発見した。
また、その固体が押しのけた液体の重さに等しいだけの浮力を受けることも発見した。
梃子の原理の発見者でもあり、3本マストの軍艦を1人で岸にあげたこともあるらしい。

プトレマイオス(2世紀前半)

天動説(地球中心説)を完成させ、逆行などを説明するために周転円(大きな円の軌道上で小さな円が回転する)を導入した。
著書は『アルマゲスト』。

コペルニクス(1473~1543)

地動説(太陽中心説)を『天体の回転について』という論文にまとめた。
これが出版されたのは死の直前だったという。

ガリレオ・ガリレイ(1564~1642)

軽い物体と重い物体の落下に関するアリストテレスの主張を覆して「物体落下の法則」を突き止める。
その関連として「振り子の等時性」も発見した。
望遠鏡を使って月の表面はなめらかではないことを示したが周囲からは反発にあう。
コペルニクスの『天体の回転について』を読み影響を受ける。

ティコ・ブラーエ(1546~1601)

望遠鏡発明以前における最大の天体観測者。
装置の大型化により観測の精度を上げ、長期にわたり継続的な記録を行った。
精度の高い膨大な観測記録を残し、ケプラーへと引き継ぐ。

ヨハネス・ケプラー(1571~1630)

ティコ・ブラーエから膨大なデータを引き継ぎ、天文学を発展させた。
第1法則「惑星の軌道は楕円である」
第2法則「面積速度一定の法則
第3法則「惑星の公転周期の2乗は、太陽からその惑星までの距離の3乗に比例する」

天上と地上の法則

アイザック・ニュートン(1642~1727)

物理学における業績
(1)微分積分法の発見
(2)力学の発展への貢献と万有引力の法則の発見
(3)光学に関する数々の発見

運動の法則
①「運動の第1法則=慣性の法則」静止または一様な直線運動をする物体は、力が作用しない限り、その状態を持続する。
②「運動の第2法則=ニュートン運動方程式」運動の変化、物体に働く力の大きさに比例し力が働いている向きに起こる。(「力」=「質量」×「加速度」)
③「運動の第3法則=作用反作用の法則」2つの物体が互いに力を及ぼし合うときには、これらの力は大きさが等しく向きが反対である。

万有引力
万有引力は距離の2乗に逆比例する」を発見した。
天上も地上も同じ原理に支配されていることが明らかになった。
これは、コペルニクスの地動説、ガリレイ慣性の法則、ブラーエの天体観測、ケプラーの3法則などが万全の形で整っていた準備態勢があったことにより結実した成果でもある。

光は粒子か波か

クリスティアンホイヘンス(1629~1695)

「振り子の等時性」は近似的なものではなく、厳密に等時性が成り立つことを見つける。
サイクロイド」とよばれる曲線がそれだ。平面内における一直線上を円がすべらないで転がった時、円周上のある一点が描く曲線がそれだ。
また、遠心力という言葉を最初に使ったのもホイヘンスだそうだ。

物理の研究としては、音響学、真空の本性、静電気の実験なども含まれている。

ロバート・フックが提唱して「光は媒質を伝わる振動だ」という考えを大きく発展させた。
2次波、3次波と次々に広がっていく原理を使って、波の直進、反射、屈折を説明した。

ニュートンがプリズムで白色光を分析し「粒子説」を唱えたのでホイヘンスたちの唱えた「波動説」は下火になった。

トーマス・ヤング(1773~1829)

ヤングの「干渉実験」によって光は波動であることが確認された。
波は山と山、谷と谷が重なると、より高くなったり低くなったりする。その結果あらわれる縞模様から光も波動の性質をもつことが分かった。


電気と磁気

ウィリアム・ギルバート(1544~1603)

『磁石について』で地球が大きな球形の磁石であるという考えを記した。
「磁石の引力」と「摩擦した琥珀のもつ引力」が異なるものであることをはっきり示した。

ミュッセンブルーク(1692~1761)

摩擦で発生した電気を蓄える蓄電器として、瓶型のコンデンサーの一種を作成。
電気にも「正の電気」「負の電気」の2種類があることが分かった。

ベンジャミン・フランクリン(1706~1790)

凧を使った実験で、雷の稲妻が電気放電であることを立証した。

シャルル・ド・クーロン(1736~1806)

電荷や磁極の間に働く力が「距離の逆2乗則」に従うことを発見する。
電荷間の力や磁極間の力は、電荷の符号や磁極の種類によって、引力になったり斥力になったりする。

ハンス・クリスチャン・エルステッド(1777~1851)

電気と磁気も「力」という概念で統一的に捉えられると考え、実験によって電流の周りには電流と「垂直な」方向に、磁力が働くことを発見した。
電気現象と磁気現象の両者が密接に関連することを示した。

アンドレ・マリー・アンペール(1775~1836)

エルステッドの論文を知ったアンペールは、大急ぎで実験装置をあつらえて、ある実験を行った。
その実験で、電流が流れる導線2本を互いに平行に置くと、導線間に磁力が働くことを確かめた。
「電流は、回転的な地場を作る」ことを示し、それはアンペールの法則と呼ばれるようになる。

マイケル・ファラデー(1791~1867)

他の人達の実験を参考に、世界で初めての「電動モーター」を作った。電気を運動に変えることに成功したのだ。
先にエルステッドによって「電荷が動いて」電流になった時に磁場が発生することが示されていたが、今度はファラデーによって「磁石が動いて」磁場が変動した時に電場が生まれることが示された。
本質的には、磁場と導体が「相対的に動いて」結果として、「回路を通過する磁場の強さが変動する」という状況が実現されればよいということだ。
磁場の変動が電場を生み出すこの現象を「電磁誘導」という。
ファラデーによって示された「磁場の時間的な変動は、回路に電場を作る」という電磁誘導現象を、マクスウェルは数式であらわした。これを「ファラデーの法則」という。
また、「遠隔力(途中の空間を飛び越えて物質に直接働く力)」に対して、力は「近接力」によって伝わると提案した。
電荷や磁石の近くの空間には電場や磁場が働いて、その力の線(力線)に沿って順に隣へと伝わっていき最終的に遠くまで伝わるといことだ。

カール・フリードリッヒ・ガウス(1777~1855)

「磁場に対するガウスの法則」は、閉じた曲面を出入りする磁力線の数の差し引きはゼロになる、と表される。
「電場に対するガウスの法則」は、閉じた曲面を出入りする電気力線の数の差し引きは、曲面の中にある電荷の総量になる、と表される。

ジェームズ・C・マクスウェル(1831~1879)

電気力線と磁力線で満たされた空間を電磁場と呼び、次の4つが基礎となると考えた。

①「マクスウェル-アンペールの法則」電場の変動と電流との和は、回転的な磁場を作る。
②「ファラデーの法則」磁場の変動は、回路に電場を作る。
③「磁場に対するガウスの法則」閉じた曲面を出入りする磁力線の数の差し引きはゼロになる。
④「電場に対するガウスの法則」閉じた曲面を出入りする電気力線の数の差し引きは曲面の中にある電荷の少量になる。

マクスウェル方程式の優れた点は、電磁気現象をすべて説明できただけではなく、この方程式から「電磁波」の存在を予言し、「光の本質は電磁波である」と結論できたことも重要である。

ハインリッヒ・ルドルフ・ヘルツ(1857~1894)

ヘルツは、1888年に電磁波の存在を初めて実験的に確かめ、光が電磁波の一種であるというマクスウェルの予言を実証した。


エネルギーとエントロピー

自然現象相互の関係

(1)化学反応と電気
<電流が化学変化を起こす>ことをファラデーが実験的に見つける。
また、ボルタの電池では<化学変化の結果、電流が流れている>ことを示す。

(2)電気と磁気
エルステッドは、<電流が磁場を作る>ことを発見した。
ファラデーは<磁場の変動が電流を起こす>ことを見つけた。

(3)電気と運動
ファラデーは、電動モーターによって<電気を運動に変える>ことに成功した。
また、電磁誘導を使って<運動から電気を得る>発電機も発明された。


こうして、熱、運動、電気、磁気、化学反応などは、互いに交換できることが明らかになった。

ジェームズ・ジュール(1818~1889)

条件を変えて実験を重ねた末「くわえられた仕事の量」と「得られた熱の量」との比が常に一定になることを見つけた。
4.2ジュールの仕事から1カロリーの熱量が得られ、この比は「熱の仕事量」と名付けられた。

自然現象を生み出す本質

「化学反応と電気」「電気と磁気」「電気と運動」それぞれの関係に加えて、ジュールによって「熱と仕事」の関係も解明されたことになる。
このように、ある自然現象が別の自然現象を生み出すときにも、本質的には不変な「何か」があるはずだと考えられていた。その「何か」として選ばれたのはエネルギーである。

サディ・カルノー(1796~1832)

蒸気機関の本質は「恒温槽から熱量をとって、その一部分を仕事に変え、残りの熱量を低温槽に捨てる」というサイクルの繰り返しであると見抜いた。
その理論的解析により「熱から仕事への変換効率には上限がある」ことを示した。

ルドルフ・クラウジウス(1822~1888)

エネルギー保存則とカルノーの原理とを並び立たせるために、エネルギー保存則を「熱力学の第一法則」と呼ぶことにし、<熱をすべて仕事に変換することは出来ない>というカルノーの原理を「熱力学の第二法則」とした。
クラウジウスは、可逆過程の場合に限れば、「低温槽に捨てる熱量」と「低温槽の温度」の比と、「高温槽から取り出す熱量」と「高温槽の温度」の比とが互いに等しいことを見出し、この比を「エントロピー」と名付けた。

ルートヴィッヒ・ボルツマン(1844~1906)

気体中の分子がすべて単一の速さで動いているのではなく、その速度分布が「正規分布」になることをマクスウェルが示したが、ボルツマンは分子をニュートン力学で扱ってマクスウェルの速度分布が導かれることを証明した。
また、運動エネルギーしか含まれていなかったマクスウェルの考察に対し、この分布則をあらゆる種類のエネルギーに拡張した。これを「マクスウェル-ボルツマン分布」という。

ボルツマンは熱力学第二法則をミクロな立場から証明した2大業績がある。
(1)エントロピー増大をミクロな根拠から示した「H定理」
(2)エントロピー統計力学的解釈を与えた「ボルツマンの原理」

ロシュミットから「時間逆転が可能な分子の衝突を踏まえて導出されたH関数が、不可逆な振る舞いをするというのは矛盾ではないか」という異議が唱えられたが、それに対する返事は「反対の過程が起こることはあるけれど、その確率は著しく小さいので、エントロピーは”ほとんどいつも”ぞうだいする」というものだった。

集団としてどのように振る舞うのかを記述したのが「分布」である。
「統計的扱い」をするというのは、自然現象の物理的解明の方法として1つのパラダイム転換だった。
ボルツマンが主張したのは「確率的に論ずる」べきだということだ。

エントロピーは、「マクロな1つの状態に対応するミクロな配置の数」の「自然対数」に比例することをボルツマンの関係式は表している。
エントロピーを「S」で示し、ミクロな配置の数を「W」で示すと、「S=klogW」となる。

特殊相対性理論

アルバート・アインシュタイン(1879~1955)

アインシュタイン以前では空間と時間は、独立した絶対的なものだと考えられていた。
しかし、光速あるいはそれに近い速度で動いているものに対しては「絶対時間の仮定」が通用しないことが特殊相対性理論で示された。
また、「絶対空間」についても、ガリレオが指摘した「どの慣性系に対しても、力学法則は同等である」ことにより、すべての慣性系は等価なるため特別な慣性系は存在しないということだ。
つまり、慣性系の親玉のような「絶対静止系」や「絶対空間」は成立しない。

光速度不変の原理は、マイケルソンとモーレーによって精密な実験により測定されていた。
また、絶対時間を捨てた特殊相対性理論では、エーテルの仮定なしに光速度不変の原理と抵触しない結論が得られる。

アインシュタインは特殊相対論を、
(1)特殊相対性原理
(2)光速度不変の原理
という2つの原理に基づいて構築した。

特殊相対性効果という次のような性質が導かれた。
(1)時間と空間とを独立に扱うことは出来ない。
(2)観測者に対して動いている物体の「長さ」は運動の方向に縮む。
(3)観測者に対して動いている時計の時間は遅れる。
(4)観測者に対して動いている物体の質量は大きくなる。
(5)エネルギーと質量は等価である。

文法、弁証法、無意識、欲望―――『思考の用語辞典』を読んで⑥

哲学に関する100の概念の内容を説明している本。
著者は中山元(哲学者・翻訳家)。
ちくま学芸文庫
2007年第1刷。



文法

グランマは「文字」というギリシア語だ。
ここからグランマティケー・テクネ―「文字についての技術」できた。
テクネ―の方を落としてグランマティケーで「文法」となる。

近代に入るとデカルトライプニッツがすべての人にすぐ理解できるような「普遍の学」を構想した。
すると言語学の方でも「普遍文法」があるのではないかという信念が広がり始める。
普遍文法、そんなものが本当にあるのか?

ニーチェは、人間が文法を信じている限り神はなくならないだろうと言ったそうだ。
ここでいう「文法」とは、日常で使う言葉の外側に正しい使い方を決める規則があって、それに照らして正誤が判別されるというようなもの。絶対に正しい外部の規範だ。
こういう考え方を否定するために、ニーチェは、それぞれの個人にただ一つのパースペクティブという概念を提示した。

ウィトゲンシュタインは、普段の言葉こそが最終の拠り所だと言っていた。
日常言語のどこか外に「正しい文法」とか」「正しい言葉」のようなものがあるわけじゃない。
ラッセルやフレーゲのいうような、日常言語は不完全で論理的な言語こそが理想的な言語であるとするような考え方とは逆だ。
どうも哲学には「隠されている本質」みたいなものを探究する傾向が強い。その傾向は危険だとウィトゲンシュタインはいう。
こういった本質への問いにたいし、彼は「家族的類似性」という似たような使い方を1つの家族のようなグループにまとめる「ゆるい定義」を提示した。

言語学の分野ではチョムスキーが昔の「普遍文法」の考え方を生かそうとした。
幼児が言語を習得するプロセスには、ある普遍的なものがあるはずだという確信があるようだ。
クワインの「翻訳は不可能だ」という議論やウィトゲンシュタインの「言語ゲーム」の理論と真っ向から対立している。

クリスティヴァは、テクスト自体の生成の力について考えた。
読むことのできるフェノテクストの背後に、そのテクストを生み出し続ける「ジェノテクスト」があるという。
彼女は、文を生み出すのは文法のようなものではく、文の構造に先立つもの、そして、「わたし」と語る主語の生成に先立つ力のようのものだと考える。これが文法的な規範を逸脱し、創造性を発揮するのだ。


弁証法

弁証法の語源は、分けて語る(ディアレゴー)というギリシア語の動詞だそうだ。
そして、ディアレクティケー・テクネ―(分けて語る技術)のテクネ―が落ちてディアレクティケーだけが残った。
この「分けて」には、語り手が分かれる、という対話的な意味と、1つの事柄を分解するという弁証法的な意味がある。

弁証法は分解と綜合の手続きに基づいた思考の道筋だ。
まず、ある事柄の特徴を示す「テーゼ」をおく。
次に、最初のテーゼに対立する否定の手続き「アンチテーゼ」をおく。
最後に、この2つのテーゼを包括できる第3のテーゼとして「ジンテーゼ」が考えられる。これが綜合の手続きだ。

プラトンはこの対話法を思考の技法まで高めた。
特に、考えるための最初の切り口、切断の手続きが大事だと考えていたようだ。
その最初の切り口をどのようにするかで、その後の議論が決定されるからだ。

第3の綜合の手続きを重視したのがヘーゲルだ。
この弁証法では、第3の綜合のテーゼに向かう「契機」として、テーゼとアンチテーゼはいずれも否定されながら存在する。
この「契機」をヘーゲルは「止揚」と呼んだ。
第3の項において、否定しあう要素は和解する。

レヴィナスは、ヘーゲル弁証法の世界が完結したものとして閉じられていることを指摘する。
そこに思考の他者は存在しえない。
ヘーゲル弁証法が同一性の原理の下に、他者の施行を放棄している点を批判しているのだ。

キルケゴールは、ヘーゲル弁証法止揚が、あまりにも簡単に成就していることに不満を感じていた。
世界の矛盾は、こんなに簡単に和解できるはずがなく、止揚も不可能だと考える。
弁証法とは、むしろ、この絶対的な対立関係を提示するためにあるのだという。

アドルノも、第2の否定の手続きを重視しながら、閉じた同一性の世界を構成しない弁証法を考えた。
これを「否定弁証法」と呼ぶ。
綜合という手続きによって、否定的な事態にある矛盾の輝きを覆い隠すのは、思考の整合性を求めるあまり、現実の事実から眼をそらせることだと考えたようだ。

メルロ=ポンティは、弁証法から閉鎖性を取り除こうとした。
ヘーゲル弁証法では絶対精神という終点が想定され、その位置から思考の運動が眺められている。
メルロ=ポンティは「俯瞰的な思考」を否定する。
それは、思考の運動を外側から眺める視点を想定し、思考の到達点を初めから「知っている」ことになるからだ。
彼の構想する「超弁証法」は、存在を定立、反定立、綜合によって再構築するのではなく、生成する場において存在を再発見することを目指すものだ。


無意識

心の中に意識には上らない何かがある。
そんな無意識を古代の人々は知っていた。
しかし、哲学の分野では長い間にわたってこの概念が顧みられることはなかったようだ。

無意識について本腰を入れて調べ上げたのはニーチェだろう。
彼は哲学の体系のうしろに様々な無意識があることを嗅ぎつけた。
特に、キリスト教社会の道徳の背後に隠された無意識に似たものの力としてはルサンチマン(怨恨)が代表的だ。
力をもたない弱者である人々が、怨恨にかられて屈従と忍耐の道徳を作り上げた。

フロイトはこのような無意識の仕組みを理論化した。
人の心の中には無人称のような動きがあり、これをニーチェのテクストを参考にしてエスと呼んだ。
無意識は、心の病として現れるだけではなく普段の暮らしの中で失錯においてもあらわれている。

近代哲学は、人間の意識に結ばれた像である「表象」の確実性を拠り所にしていた。
だから無意識という概念自体が、近代哲学に対し異議申し立てを行っていることを意味する。
言語学文化人類学、そして精神分析学などが、その大きな流れを代表するものだ。

例えば、言語学ではソシュールが、言語表現の背後に無意識のような「ラング」の体系があることを示した。
この構造主義言語学は、「語る主体」から主体としての権能を奪う意味を備えていた。

また、文化人類学レヴィ=ストロースは「社会の無意識」の構造を明らかにした。
社会は、その中の人々が意識していない構造で規定されているという。
いわば集団的無意識で動かされているのだ。
ここにもフロイト構造主義言語学の影響がある。

ユングは、フロイトとは違って個人の無意識を2つの層に分けて考えた。
まず、個人の歴史の中で抑圧されたり忘却された「個人的無意識」。
次に、人類に共通した歴史からくる「集合的無意識」。
後者は、私達の心の中にある共通のシンボルのようなものとして考えられていたようだ。

ラカンは、無意識という心的なメカニズムがあるのではなく、言語表現として現れるだけだと主張した。
無意識の構造は言語の構造と同じ形をしているということらしい。

無意識は1人で思索する者には現れない。それが意識化されるためには他者という回路を潜り抜ける必要がある。

現象学では、自己の意識を探究することだけが真理をもたらすと考える。
そのため、無意識の概念は現象学にとって大きな挑戦となった。
しかし、後に自己の意識を超えた部分を意識化する方法が求められるようになり、無意識的なものを探究する必要性が出てきた。
晩年のフッサールの概念「生活世界」がそれを示している。

メルロ=ポンティは、意識の手前に人間に共通した「肉」のような無人称の世界を想定した。
主体が主体として成り立つ前の共通の場、それが「肉」だ。
個人はこの「肉」を受肉した存在だと考えた。

レヴィナスは、主体の背後に存在の過剰な場があると考え、これを「イリア」と呼んだ。
主体がイリアという主体以前の場から誕生するためには、他者という時間的な存在が必要だという。
だから、無意識は単に主体の自我の内で抑圧されている部分にすぎないわけではない。
それどころか主体が成り立つ場なのだ。


欲望

プラトンによると、欲望とは自らに欠けているものを追い求めることだそうだ。
エロスが美を求める、それはエロスには美が欠けているからだ、と。

欲望はしばしば人間の生理的欲求として考えられている。
しかし、欲望と欲求は同じものではない。
ものを食べれば食欲はおさまる。欠如と充足のプロセスだ。
生理的な空腹を満たすのは単に必要に迫られてのことだ。
それだけではなく、手の込んだ調理法とか、ややこしい食事の儀式などのように欲望は単なる欠如を埋めるだけのものではない。

スピノザは、自らが存在するための目的にかなうものを欲望するのが自然であるとし、それを善と呼んだ。

さらにニーチェは、人間が道徳の体系や理性によって抑え込まれた生を回復する力は、理性や道徳を否定するような「欲望の力」からしか生まれないという。

スピノザニーチェは、拒んでいた。人間を精神と身体に分離することや、欲望を身体の領域に割り当てること、そして欲望を欠如という見方から考えることを。

フロイトは、人間の思考そのものが欲望とその制御の中にしか発生しないと考えていた。
人間から欲望を取り除くと社会そのものが成り立たなくなる。
人間の社会は最初から「欲望の体系」だという。

ドゥルーズは、フロイトの概念を拠り所に、赤子の口と母親の乳房、肛門と糞などが、「機械」のようなメカニズムとして働くと述べた。この機会が欲望すると考えたのだ。
ドゥルーズが目指したのは、ファシズムのような形で人々の欲望が組織されるのを防ぐ方法を見つけることだった。

ラカンも示した通り、欲望は他者との関係と分離できない。
単独では生まれずに、他者の「欲望の欲望」のような形で引き起こされる。

レヴィナスは、欲望が個としての主体を常に超越していくもであると考えていた。
欲望は過剰なものを求めていく。

生きるために死ぬ?―――『アポトーシスとは何か』を読んで

遺伝子にプログラムされた細胞の自死についての本。
著者は田沼靖一(薬学博士)。
講談社現代新書
1996年第1刷。




1.細胞の自殺(アポトーシス)とは

1.簡単にいうと

ある条件がそろうと細胞の自殺遺伝子にスイッチが入って、その細胞が自分から死んでしまうことだ。

実は、その細胞の自死のおかげで私達は生きることが出来ている。
「死」が「生」を支えているのだ。

2.アポトーシス

普段は細胞の自殺スイッチはオフになっている。でも、ある時、何らかの刺激情報によって自殺遺伝子にスイッチが入ると細胞自身が独特なやり方で死に始める。

ただし、この死に方には普通の細胞死とは大きく異なる特徴がある。
①細胞の表面が滑らかになる。
②サイズが縮小する。
③DNAが規則的に断片化され核膜周辺に凝縮する。

その後、細胞の断片化が起こる。この断片はアポトーシス小体と呼ばれる。
アポトーシス小体は、異物をかたずけるマクロファージや隣り合った細胞に取り込まれ除去される。
そのため炎症反応を起こすことはない。これがアポトーシスの重要な特徴である。


雑だが簡単にまとめると
断片化→取り込まれる→炎症なし

3.ネクローシス

ネクローシス(壊死)は、言ってしまえば普通の細胞死だ。
ケガや火傷や毒などの突発的なショックによって細胞が死んでしまう普通の細胞死。
細胞が死ぬとミトコンドリアが機能しないのでATP(エネルギーの通貨)が産生されず、細胞膜のイオン輸送系が崩れる。そのことにより浸透圧の制御ができなくなり、細胞外から水が流入し細胞小器官も細胞自身も膨らんでいく。
DNAは不規則に分解され核構造を失う。
さらに壊れたリゾソームから分解酵素が漏れ出し、細胞が内から溶解して内容物が細胞外へ流出する。
これが誘因となり白血球が集まってくるため、発熱、痛み、浮腫といった炎症反応が生じる


雑だが簡単にまとめると
バラバラになる→異物として白血球が処理→炎症あり

4.アポビオーシス

(一部の例外を除く)神経細胞や心筋細胞のような分裂・再生をしない細胞がある。
これを非細胞再生系の細胞という。
このような特殊な細胞の自死を、通常のアポトーシスとは分けて考える必要があると著者は主張する。
細胞再生系のアポトーシスとは異なるこの自死をアポビオーシスと呼ぶそうだ。

雑な要約だが
分裂・再生する細胞の自死アポトーシス
分裂・再生しない細胞の自死はアポビオーシス


2.細胞の自殺(アポトーシス)にどんな意味があるの?

1.病気

多細胞生物は、たくさんの細胞から構成されている1つの個体だ。
個体を構成する細胞のすべてが生き続けると、逆に不具合が生じてしまうこともある。
例えば、ガン細胞のような有害な自分の細胞が発生したとき、このような細胞には自死してもらった方が個体の生存にとっては有益だ。
制がん剤として用いられてきたものの中にはガン細胞のアポトーシスを誘発することが分かっているという。

2.発生

また、発生の過程で受精卵から胎児が形をなすとき、指と指の間の細胞がアポトーシス自死)してくれないと指同士がくっついたままの奇形となってしまう。
アポトーシスとは、正常に発生するためには欠かせない仕組みでもある。

3.免疫

免疫とは自己と非自己を区別して、非自己(異物)を攻撃することで体を守るシステムだ。
だが、免疫細胞が増えすぎると、そのうち自分の体を攻撃し始めることがある(自己免疫疾患)。
そのように、自己に強く反応して自己を攻撃してしまう働きを持った細胞を排除しなくてはならない。
そんな細胞を除去するためにアポトーシスが必要となるのだ。


3.具体的にどんな細胞の自殺(アポトーシス)があるの?

1.イモムシ

イモムシはやがて蝶になる。しかし実は、イモムシ型の胴体が蝶型の胴体になるわけではない。
不要になったイモムシ型の細胞に自死が起こり、取り除かれながら、同時に元からあった蝶型の細胞が成長・分裂していくのだ。
イモムシ→サナギ→蝶という変態の過程には、このようにアポトーシスが関与している。

2.オタマジャクシ

水中生活者のオタマジャクシには必要だった尻尾は、陸上生活者のカエルになる際にアポトーシス自死)によって速やかに消えていく。

3.ヒトの指

ヒトの指も、胎児のころから5本あるわけではない。
最初にミットのような塊が出来た後に、指の間の特定の細胞が、特定の時期に、決まった数だけ自死することによって、指の形が形成されていくのである。


4.死とは「生の更新」である

1.死の獲得とは性の獲得でもある

生命が誕生したのは約38億年前だといわれる。
そこから約20億年あまりの間は細菌の時代だった。
単なる細胞分裂(無性生殖)によって増えるだけの「生と在」だけの世界だ。
分裂した新個体は、突然変異でも起こらない限り元の個体と同じ遺伝子をもった同じ生物である。
その意味で「死」のない世界だと言える。

ところが、今から数億年前に現れた高等動物では、個体は必ず死滅する運命にある。
個体の寿命は性とも深い関係がある。性成熟が早い動物種ほど短命で、逆に遅い動物種ほど長生きなのだ。

下等生物のヒドラは、成長後に体の一部が分離して新個体をうくる。
しかし、ある条件下では、雄と雌に分化して有性生殖を行って増えるようになることがある。
そうなると不思議なことに寿命が現れてくるのだ。
生と死ではなく、性と死の間に密接な関係があるようだ。
つまり、生と死は共存し、性と死が実は裏腹の関係にあるということになる。

2.性と死が進化を可能にした

性を持ち、有性生殖が行えるようになったことで遺伝子の融合が可能になった。
そのため、新個体はバリエーションが広がり、環境に適応したものは生き残り、不適応なものは淘汰される。
そうやって進化が可能になった。

しかし、それだけではない。
突然変異を起こし有害となった遺伝子は、性と死によって種から取り除かれている。
受精した際の父親と母親からくる2組の遺伝子のうち両者がともに異常であると、その受精卵はアポトーシスを起こして死に、それによって有害な遺伝子を種から排除することができるのだ。

3.死=生の更新

アポトーシスの機能を獲得することによって、多細胞生物は、生体の中で不要になった細胞、つまり、老化した細胞や余剰に作り出されて細胞を除去したり、その生物固有の形作りが出来るようになった。
さらに、この機構を巧みに利用して、ガン細胞やウイルス感染細胞といった有害となる細胞を除去する手段が得られ、生命を守ることが出来るようになったのだろう。

一方、アポビオーシスは、種の保存・遺伝子の保存のための個体消去の機能だといえる。
アポビオーシスは、個体の寿命に直結しており、個体レベルでの死を担当していると考えられる。

細胞の死、個体の死、種の死といったような「死の階層性」があるのだ。


細胞の死→個体の生を更新
個体の死→種の生を更新

というように下位カテゴリーにおける、ある構成要素の死が、その上位カテゴリーの「生を更新」している。
「生きる」ということは「死ぬ」といことによって成り立っている。


著者は、現代社会が「死」をネガティブなものとしてとらえ、俗世間でも科学の世界でも「死」を見つめようとしてこなかったと指摘する。「死」から「生」を見直すことが必要なのだ。

光の中で光をみるより、闇の中から光を捉えた方がよりはっきりとわかるように、一生の終焉である死から生を捉えなおすことによって、これまで見えなかった生命の循環、宇宙の大循環なるものが理解できるようになってくるのではないか。
現代社会の大きな欠陥は、死をタブーとして遠ざけ、隠しているところにある。今こそ「メメント・モリ(死を想え)」を思い起こす必要があるのではないか。死が日常から遠のいてしまっている現代に、死からはじまる科学が、生の意味を深く考えるきっかけになればと思っている。
(P.236)

よく誤用されるあの画像―――寛容のパラドックスについて

今回は本ではなく、何となく気になって考えたことについて書いていく。
題材は「寛容のパラドックス」だ。



1.先に結論から

「寛容のパラドックス」とは、寛容な社会を維持するために、社会は不寛容に不寛容であらねばならないという主張のことだ。

しかし、ポパーは「不寛容な言論」を抑制せよと言っているのではなく「不寛容な実力行使」を抑制せよと述べている。
しかし、例の誤用されている画像では、「不寛容な言論」を抑制する権利があるかのように使用されている。
そのような誤用こそが「扇動」的な行為だと言わざるを得ない。
「不寛容な言論」自体は確かに下品で下劣ではあるが、言論の自由として許容されるべきものである。


2.「例の画像」と実際にポパーが述べた内容との比較

1.ネット上で拾った画像

https://i.imgur.com/zAcPNLV.jpg

この画像は、ポパーの「寛容のパラドックス」を本来の意味から捻じ曲げた解釈をして使用している。

内容

寛容な社会は不寛容も許容すべきか?
その答えはNOだ。
矛盾になるが、際限なき寛容は、寛容自らをほろぼしてしまう。
もし、不寛容な者にまで寛容であろうとすると・・・
・・・寛容な人々、寛容な社会も、彼らに壊されてしまう。
不寛容や迫害を説く、いかなる扇動も犯罪でなければならない
矛盾しているようだが、寛容性を守るには・・・
・・・不寛容に不寛容であるということが必要だ。

となっている。
イラストには不寛容な人として「ナチス」を連想させるような絵が描かれている。

私が問題にするのは「不寛容や迫害を説く」の部分であるが、これは後述する。

2.ポパーの主張

少し長いが引用する

哲学者カール・ポパーは、1945年に『開かれた社会とその敵』第1巻(第7章、注4)においてこのパラドックスを定義した。

「寛容のパラドックス」についてはあまり知られていない。無制限の寛容は確実に寛容の消失を導く。もし我々が不寛容な人々に対しても無制限の寛容を広げるならば、もし我々に不寛容の脅威から寛容な社会を守る覚悟ができていなければ、寛容な人々は滅ぼされ、その寛容も彼らとともに滅ぼされる。――この定式において、私は例えば、不寛容な思想から来る発言を常に抑制すべきだ、などと言うことをほのめかしているわけではない。我々が理性的な議論でそれらに対抗できている限り、そして世論によってそれらをチェックすることが出来ている限りは、抑制することは確かに賢明ではないだろう。しかし、もし必要ならば、たとえ力によってでも、不寛容な人々を抑制する権利を我々は要求すべきだ。と言うのも、彼らは我々と同じ立場で理性的な議論を交わすつもりがなく、全ての議論を非難することから始めるということが容易に解るだろうからだ。彼らは理性的な議論を「欺瞞だ」として、自身の支持者が聞くことを禁止するかもしれないし、議論に鉄拳や拳銃で答えることを教えるかもしれない。ゆえに我々は主張しないといけない。寛容の名において、不寛容に寛容であらざる権利を。
引用-Wikipedia

3.比較検討

一見すると画像での主張とポパーの主張は同じようにも感じられてしまうが、実際には違う。
注目すべき相違部分はここだ。
画像:「不寛容や迫害を説く、いかなる扇動も犯罪でなければならない」
wiki:「私は例えば、不寛容な思想から来る発言を常に抑制すべきだ、などと言うことをほのめかしているわけではない。」


まず、画像の文言「扇動」についてだが、何が扇動で何が扇動でないのかは曖昧ではっきりしない類のものである。
例えば、ツイッターやブログ、ネット掲示板などでの書き込みや発言でも、それを「扇動」であると見なすか見なさないかは”解釈”しだいでしかない。
そして、そのような書き込みや発言を封じようとする際に使われているのが上に挙げた画像だ。
「扇動」とは言うが実際には単なる「言論」でしかない場合の方が多い。
(念のため断っておくが「ヘイトスピーチ」というものが下品で下劣なものであるのはその通りである、それが本当にヘイトスピーチであるならば。)


しかし、wikiの記述によると、ポパーは「発言」を抑制すべきだと述べているわけではない。
「我々が理性的な議論でそれらに対抗できている限り、そして世論によってそれらをチェックすることが出来ている限りは、抑制することは確かに賢明ではないだろう。」
とのことだ。

そして、「力によってでも、不寛容な人々を抑制する」場合というのは、

「彼らは我々と同じ立場で理性的な議論を交わすつもりがなく、全ての議論を非難することから始めるということが容易に解るだろうからだ。」
「彼らは理性的な議論を「欺瞞だ」として、自身の支持者が聞くことを禁止するかもしれないし、議論に鉄拳や拳銃で答えることを教えるかもしれない。」

といったように議論ができる可能性が閉ざされ、実力(暴力)によって行動を起こした時だと言っているのだ。
つまり、不寛容が「言論」である限り、それは許容されるべきであるという趣旨になっている。

不寛容な者達に対する反対者の自由を「鉄拳や拳銃」で禁じようとしたときについて、「不寛容な者達を寛容しない”権利”を要求するべきである」と述べているのである。

3.不寛容な者達に対して

1.マルクス主義


『開かれた社会とその敵』で自由の敵として想定されているのはヘイトスピーチではなく、マルクス主義による共産党独裁である。
つまり、当該部分を援用して言えるのは、暴力革命を引き起こすような思想に対する不寛容であって、ヘイトスピーチ(言論)のことではないのだ。
ポパーは暴力革命が強い現実感を持っていた時代に生きていたため、それが実行される段階であるならば「たとえ力によってでも、不寛容な人々を抑制する権利を我々は要求すべきだ」と主張したのだろうと考えられる。

2.私の立場

表現規制言論の自由への抑圧としてよく対象とされるのは「ヘイトスピーチ」だと思う。
まず、何を持ってそれを「ヘイトスピーチ」と判断するかも恣意的なものになっているのが問題だ。
このような類のものは”解釈”しだいでどのようにも意味付けができてしまう。
ひとまず、本当にそれが「ヘイトスピーチ」だとするなら私はそれを軽蔑されて然るべきものだと思う。
当然、私はそのようなものに与するつもりはない。
しかし、そうであっても彼らが議論(対話)の可能性を開いており、暴力的な実力行使に及んでいないのならば、その「言論」自体は抑圧するべきではないと考える。

存在、他者、超越、独我論、表象―――『思考の用語辞典』を読んで⑤

哲学に関する100の概念の内容を説明している本。
著者は中山元(哲学者・翻訳家)。
ちくま学芸文庫
2007年第1刷。



存在

パルメニデスは、「存在するものだけがあり、無はない。そして、あるものについてしか考えることはできない。」
何が何だかよく分からないけど、これはとても大事な問題だ。
アリストテレスでさえ「哲学は存在についての学だ」と考えていたほどだという。
長い中世を通じても、この問題はさまざまに検証されてきた。

大きな転換がもたらされたのはデカルトからだそうだ。
中世哲学の体系には、その真理性を保証する重要な柱が欠けていると考えた。
デカルトはそれを保証する根拠として「思惟する精神」を提示している。
考えている自分を疑うとしても、そこには疑ている自分の存在の自明性が示されると。
我思う、ゆえに我あり」というあの有名な言葉だ。
ここから、哲学の真理性は神から自我へと移行していくことになった。

デカルトの考えは2つの方向に受け継がれた。
1つはバークリーの考えだ。
思惟することだけが存在を保証するとなると、知覚する<心>なしでは物質そのものは存在しない。
バークリーは明言していなものの、ここからは独我論が出てくる。
この強いかたちの独我論はカントの『純粋理性批判』の中で観念論論駁としてあらわれているらしい。

デカルトのコギトを引き継いだもう1つは、ハイデガーの考えだ。
それは人間の実存についての問いとして存在が考えることだった。
彼は、人間が存在とはなにかという問いを問えるためには、どういう条件が必要かを分析した。
人間の自由とは、自己が存在しなくなること「死」について問いながら、自らの外へと脱する特異な存在者のありかたであるという。

バタイユは、「自分が存在していると生々しく感じられるのは、思惟においてではなく、ある特殊な体験においてだけだ」だと主張する。この特殊な体験を、彼は「内的体験」と呼んだ。
人間の<企て>は、欲望を先送りして後で実りを得る行為だが、内的体験は<ある>ということを今ここで問う。
先送りせずに、その場で存在を充実させる。そうして存在の閉域を内側から破砕し、他者との交感を達成する。

レヴィナスは、「ilya(ある)」を哲学概念として、存在することの無人称性と抽象性を示そうとした。
ハイデガーの「死への恐怖」や「無への不安」とは違い、存在そのものが人間に恐れをもたらすことがあるという。これは存在の不安だ。
自分が過剰なまでの孫座に取り囲まれている豊饒な闇から己を切り離し立ち上がる必要がある。
どのように立ち上がるのかというと「主体は他者との関係を構築することで主体として成立するのだ」とレヴィナスはいう。


他者

コギトの明証性は、懐疑を打ち消す強力な手段ではある。けれどここからは、損愛するのがたしかなのは自分だけという独我論がでてくる。

フッサールの「超越論的な自我」というのがあって、これために現象学独我論の疑いにさらされてきた。
ここでフッサールが試みたことは独我論のうたがいを晴らすことではなく、自我の存在そのものを根拠づける他者との共同世界というのを考えた。自我の主観が生まれてくる前に、すでに存在しているはずの「地平」みたいな共同性。この共同世界の概念は「間主観的な世界」と呼ばれた。

この共同世界の問題を引き継いで、メルロ=ポンティ独我論はその前提が間違っていたと考える。
他者も同じく身体を持つ存在者として理解し合える共通性がある。この共通性を世界の<肉>と呼んだ。
そして、すべての人々に共通した世界を「野生の存在」とも呼んだ。

レヴィナスは、他者を他なる我、他我であるが他者にはなお、それをこえる何かがあると考えた。
このこえでるものを「顔」と呼ぶ。
他者は自我から演繹できない絶対的な他なるものだ。

バタイユは、愛する相手は自我の認識からつねに逃げ去るという。
愛するという経験において、相手は常に変貌するからだ。
そして実は自我においてもそれまで理解していた自分ではなくなるので同じように逃げ去るものなのだ。


超越

超越という概念は、いつ哲学のテーマになったのかというと、それはおよそ中世からだ。
カテゴリー(範疇)という考え方と関係が深く、当時の超越概念は「カテゴリーを超えてしまう概念」のことだった。

アリストテレスが示したカテゴリーは主語になる実体についての述語の種類の事だった。
「実体」「量」「性質」「場所」「関係」などの10種類を挙げていたようだ。

ところが、中世の研究者たちはカテゴリーで表現できない述語があることに気が付いた。
「存在」「真」「善」「1であること」などだ。
こうした諸々のカテゴリーを超えてしまう概念が「超越」と呼ばれる。
この概念がアリストテレスに基づく形で問題になったのは神について思考する必要があったからだ。
神は存在であり、真であり、善であり、1なるものであり、そして人間の思考を常に「超え出て」しまうものだった。

哲学の中心が神から人間に移っていくのに大きく貢献したのがカントだ。
彼は、「人間の経験を超えたもの」を超越と呼び、「人間の経験を可能にする条件」を超越論的な、ものと呼ぶ。

フッサールはこの考えに近いところで超越を「内在」に対立するものとして示した。
だから「主体に内在するもの」と「主体の外部にあるもの」の区別が大切になる。
フッサールは意識に内在しない超越者をすべて還元して、「超越論的な領域」を懸命に分析した。

ハイデガーは人間が実存する構造を考え、人間は「つねに自己を超え出ていく存在」だという。
現存在は世界の内に関係として生きる。

ユクスキュルは「環世界」という概念を使って、動物は自然の中に存在するっだけじゃなく、自然という世界との関係性のなかに生きると言っている。

レヴィナスは、人間が自我の同一性を保ちながらも自我と絶対的に異なる「他なるもの」を望み求めるとし、これが超越の構造だという。
人間は、存在の声を聞く特別な存在者ではなく、他者との関係ではじめて自己を確証できる、実に無力な存在だ。

独我論

近代哲学はデカルトの「我思うゆえに我あり」から出発した。
あらゆる存在を確認する根っこが自己というコギトだと独我論がどうしても出てきてしまう。

独我論には「強い独我論」と「弱い独我論」などのヴァリエーションがある。
「強い独我論」だと、バークリーの主張のように、この世界も他者もすべてが自己の意識の像にすぎないと考える。

「弱い独我論」だと、フッサール現象学のように、世界の存在は認めるが、「他なる我」の存在はそのままでは認めない。
フッサール独我論者というわけではなかったが、中期の『イデーン』の純粋自我の概念にはそういう含みがある。
意識は対象に向かう志向性の形で示されるから、対象になる世界が存在することは疑わない。
現象学では意識が世界の中で素朴に生きているありかたをいったん棚上げして、還元を積み重ねる。
その積み重ねから最後に得られるものは超越論的な主観性、純粋な自我だとされる。
ここでの問題は自我が他者も構成しなくてはならないところにある。主体の自我からの「移入」として他者の自我を構成しなおすのだ。
他者のの存在を主体の自我の機能からしか理解できないところに「弱い独我論」が発生する。
 
ウィトゲンシュタインは初期の頃、独我論に正当な根拠があると考えていた。
ただし独我論はそのことを他者にむかって「示す」という自己矛盾に陥っている。
彼は言語も同じ構造をしていると考える。言語は言語そのものについて語るのを放棄することで、世界について語れる。
そもそも他者が存在することで、自我にとって世界が開けるのだから、この世界を自分だけの世界だと他者に向かってい言うことは矛盾したことなのだ。
彼に言わせれば、いわば独我論は哲学の「病」なのだ。
独我論は正しい、だが無意味だ。世界が自分の世界だということは自明だけど、他者との間で生まれる世界なしでは自分そのものが不可能だから。

バタイユは、人間が他者から切り離されており、それだけに他者との接触を回復しようと望むことをエロティシズムだと考えた。
独我論はこの孤独に根差しているのだ。

フロイトは、こうした他者との一体感を回復しようとする衝動は究極のところ死によってしか可能でないと指摘していた。
人間はつねにタナトスという死への衝動に脅かされている。このように見るとエロスもタナトス独我論の裏返しとして存在することになりそうだ。
 

表象

ギリシア哲学で表彰は、ものの実相でも人間の思考でもない中間的なもの、幻想的なものという位置をあたえられていた。

しかし、近代哲学が登場すると表象の地位も大きく向上した。
デカルトの主張として「人間は表象によってしか事物を把握できない」というものがあったからだ。
明晰で判明な表象を拠り所に確実な推論を行う真理のための最終根拠は「我思う、ゆえに我あり」というコギトにあった。
このコギトは自己についての表象だ。

ヒュームは「自我とは知覚の束にほかならない」と言った。「知覚の束」自体が主体が表象するものの集合だ。
これは自我が表象の舞台だと主張していることになる。

カントは人間が認識できるのは物自体じゃなく、現象だけだと言っている。そして現象とは人間が表象するものに他ならない。
つまり、彼にとっては直観も知覚も思考も、どれも表象だ。

ハイデガーは、主体という形で表象の主権を想定するのは「存在」を忘却することだ。人間がほかの事物や自然とかかわるありかたを無視することだという。

フーコーは、事物がその歴史的な奥行き、深さにおいて認識されるまで、西洋の知はすべてを表象の体系として理解しようとしてたという。

ニーチェは、人間は表象する以外い認識は出来ない、表象だけが確実なものだ、だが表象は過つという。
人間の表象は誤謬をもたらすので常に存在の本質を誤認する。だが、そこにこそ思考の可能性が生まれると考える。
人間は真理という名の誤謬を必要としているとニーチェは言うが、表象もこれと似ている。

中国人の行動規範―――『小室直樹の中国言論』を読んで

中国人の行動規範を分析した本。
著者は小室直樹(法学博士)。
徳間書店
1996年、第1刷。



帮(ほう)、帮会(パンフェ)

帮の内の関係

中国では人間関係が大切である。しかし、その「大切である」の意味が日本ともアメリカとも全然違うから理解するのが困難だという。

その人間関係で刮目すべきが帮(ほう)である。自己人(ツーチーレン)とも呼ぶらしい。
利害、争いから完全に自由であり、絶対に信頼でき、完全に理解しあい、生死を共にする。
帮の中の規範は絶対なのだ。


帮の外の関係

その一方で帮の外の人間関係では何をしてもかまわない。全く気にする必要などないのだ。

では帮外の人間関係は、どういうことになるのだろうか。
一言でこれをいうと―――。
なにをしてもよろしい。窃取強盗ほしいまま。りょくだつ、強姦、虐待・・・・・・何をやっても少しもかまわない。いや、かまわないどころではない。それが、倫理であり、それが道徳である。
(P.23)

倫理・道徳は自分たちの集団の中にだけ存在するのであって、集団の外には存在しないのだという。
つまり、中国人と帮を形成することができたら、その中国人は絶対に信用できる。
もし、帮を形成することが出来なければ、中国人を少しも信用することはできない。

帮の外では義を守るかどうかは相対的なものなので、帮の内の絶対的なものとは対照的である。
例えば、三国志関羽赤壁の戦い曹操を見逃すことで以前の恩義を返した。これは裏切りを繰り返していた呂布とは対照的であるが、恩義が守られるかどうかはその人の資質によるのであって絶対的なものではない。
これに対して帮の内の関係(義兄弟の契り)であった劉備は、曹操を逃がした関羽が軍法に照らして裁かれそうになった際にこれを止めた。後に「泣いて馬謖を斬る孔明にすら信賞必罰をさせなかったのだ。帮の関係は法律よりも絶対的なものなのである。

どうやって帮を形成するのか

帮の形成は簡単に行えるものではない。
どのように帮の人間関係を作っていくのかは「刺客」の例を見るとよい。
中国における刺客とは、お金で雇ったビジネスとしての単なる殺し屋とは違う。
刺客とは義侠の行為(暗殺)を行う人であるから悪人というよりも、むしろヒーローとして尊敬を受けさえする存在なのだ。

まず、刺客と引き受けてもらうには帮を形成しなくてはならない。
では、どうやって引き受けてもらうのか?


1.ひたすらお願いする

やることは「雇う」のではなく「頼む」のだ。
ひたすら礼をつくしてお願いする。拒否されても文句は言えない。
身分が下の者にたいしても頭を下げてお願いするのだ。


2.国士として扱う

予譲は智伯から国士(一国でとくに傑出した人物)として扱われことで帮が形成され忠義の名分を立てた。
「士は己を知る者のために死す」という古いことわざもある。

3.自ら訪ねていく

身分の高い者が、身分の低いものへと訪ねていくことは中国で大きな意味をもつ。
三国志劉備孔明の「三顧の礼」などがそれだ。


4.お金自体ではなく「志」

韓の元大臣であった厳遂は、下層民である聶政を訪ねて驚くべき大金を送った(その時は断られたが)。
問題はお金自体ではなく、それほどの大金を出してまで深い交わりを結びたいという「志」なのである。
大金は飽くまでも触媒にすぎない。


5.時間をかけて何度も何度も

身分の高い者が大金を用意して訪ねてきたからといって受け入れなければならない義務はない。
実際に彼らは何度も拒否されている。
しかし、それでも時間をかけて何度も何度も繰り返すお願いや贈り物をし続けることで「志」を分かってもらわなければならない。
つまり、帮を形成するには時間も手間もお金もかかるし、そこまでしてようやく心が通じるというものなのだ。
絶対的規範である帮は、上記に挙げたいくつもの必要条件をそろえなくてはならない。
何回失敗してもあきらめずに繰り返し続ける。こうしないと深い人間関係は結べない。


帮以外の人間関係

帮の外でも、相対的に人間関係が深かったり、浅かったりする。
この人間関係を情誼(チンイー)である。
情誼(チンイー)が深いか浅いかで、物の値段が上下したり、法の解釈がきつくなったり緩くなったりする。
帮のような絶対的なものではないが、帮の外の人間関係として相対的に適用されるものだ。

人間関係の中心に帮があり、その外に情誼の深い関係がある。さらに外に情誼の浅い関係があり、その外に情誼がない人間関係があるといった感じだ。

このような人間関係の輪の内側にいるのか外側にいるのかで適用されるルールや扱いが変わってくる。
いわゆる二重規範(ダブルノルム)だ。これは共同体の必要条件ではあるが、これだけでは十分条件ではない。
共同体であるためには更に、
「敬虔が支配的感情であること」
「社会財の二重配分」
が必要となる。

帮と情誼の違いとして
帮では利害関係を超越した、絶対的な人間関係であるのに対し、
情誼では利害関係による相対的な人間関係なのだ。
つまり、情誼が深いか浅いかによって、賄賂における金額の多寡や法の適用における解釈の仕方も変わってくる。


宗族

宗族とは

中国には2つのタイプの共同体がある。1つは上に記したヨコの関係の帮であるが、もう1つがタテの共同体である宗族だ。

宗族とは父と子という関係を基にした父系集団である。
特徴として、
①父子関係で集団を作り姓を同じくする。
②同一宗族の中では絶対に結婚できない(部外婚制)。
がある。

宗族は世界中に散らばっていたとしても同祖意識が失われないところに宗族結合の観念的基礎がある。

また、集合論的にあらわすと
(1)中国人はいずれかの宗族に必ず属している。
(2)2つ以上の宗族に属することはない。
となり、直和分解されている。

姓と苗字

ちなみに、日本人は父系集団でも母系集団でもなく、また、苗字は姓とは違うものだ。

中国人は姓を変えることはできない。
例えば高祖劉邦は、若い無頼者→大漢皇帝に出世していく段階でも、やはり劉邦であった。
それに対し、日本の秀吉は、木下藤吉郎羽柴秀吉豊臣秀吉と出世するごとに変わっていった。

「姓」は人間そのものに付いて離れないもの、すなわち、この人の属性である。
「苗字」は、その場その場の状況によって変わり得るもの。「場」の最たるものが社会的地位。

かつては母系制だった?

ずっと古い時代の中国は、母系制だったらしい。

文献からの推定だと「神農の世、民そのははを知りてその父を知らず」(『荘子』盗跖)。
神農とは超古代の帝で三皇の1人である。

もう1つ大切なこととして、その時点で「姓」があったということである。
その上、「姓」という文字は「女」へんに「生」と書く。
これをもって超古代の中国は母系制であったと推定する学者もいる(例:宇野哲人博士)


異姓養わず

自分の先祖を祭る行為は、その子孫しか出来ない。つまり他の宗族から養子をとっても祭祀ができないので、養子として機能しないのだ。
だから中国では同じ宗族の中からしか養子をとらないのだという。


中国の法律

事情変更の原則

近代資本主義社会においては事情変更の原則は認めない。
そうでないと合理的な計画ができず、資本主義がうごかなくなってしまう。
しかし、中国ではビジネス上の契約でも、法の解釈や運用においても事情が変われあ変更されてしまうのだ。

「法律」というものに対する考え方が根本的に違うことが原因となっているようだ。
それを知るためには「法家の思想」を理解しなくてはならない。

儒家と法家

中国における統治機構は二重構造をしていた。
表向きは儒教で国を治め、実際は法家の思想で統治してきた。
これを「陽儒陰法」という。

法家の思想では、政治の要諦は法術によって決まる。
「法」とは、法律を作る事。
「術」とは、法をしこうするための役人の操縦術。

これらは、人間というものは道徳的には動かないという人間観を根本においている。

優先順位

儒教と法家思想では優先順位が異なっている。

儒教
①道徳②経済③軍備

法家の思想
①経済②軍備③道徳

どれも大切ではあるけれど、優先順位をつけるならこうなるそうだ。

法家の言い分によると、儒教が理想とする尭、舜、禹の倫理規範では、何から何まで変わってしまった今の時代に適用しても上手くいかないのだという。
だから、法家の思想の根本には「信賞必罰」が置かれている。

法家の思想では、律法だとか、法の行使だとかの点については進んでいるが「法律とは政治権力から国民の権利を守るものである」という考え方まるでない。
法律とは、統治のための方法なのだから為政者・権力者のものとなる。
統治のために都合が悪くなれば、解釈を変更したり廃止してしまってもよいということになる。

歴史

歴史に名を残す

刺客の行う暗殺とは義侠の行いであり、刺客は義士とされ代表的中国人と見なされる。
暗殺を決行して生命を失うが、その報酬は歴史に名を残すことである。
これが個人の救済となる。

中国人のすべては歴史にある

著者は「歴史を見れば中国が分かる」という。
貞観政要』のエッセンスを一言で要約するなら「よい政治をするためには如何にするべきか。答えは歴史を学べ」と言うにつきると述べる。

歴史法則は変わらない

国史は比較歴史学的データとして十分使用に耐え得る。
1つは、中国史の記述が驚くほど正確だからだ。
もう1つは、中国史が反復に反復を繰り返しているからだ。

中国の歴史は時代を下るにつれて面白くなくなる。それは同じことの繰り返しばかりなので飽きてしまうのだ。
面白く読めるのは『漢書』や『三国志』『後漢書』くらいまでだという。
似たような事件を整理できず記憶は混沌とする。
司馬光はダイジェストとして『資治通鑑』を編集した。19年をかけて294巻からなる史書を書き上げた。
大傑作として絶賛されるものの「お立派でござる。恐れ入りました」とみな申し合わせたように、それに続く言葉を口にしなかった。絶賛するだけで誰も読んではいなかったそうだ。
ただ1人、親友の王勝之だけが読んでくれた。司馬光が忌憚のない批評を求めると親友は「うむ、たしかに読むには読んだ。だが実は、何が書かれていたか申し訳ないがまったく覚えていない」とのこと。
その理由は「類似の事件」「延々たる繰り返し」である。
しかし、そうであるからこそ科学者にとっては格好のサンプルとなる。繰り返し起こる現象には法則性があるのだ。

中国の契約

中国では破ってよい契約と破ってわるい契約とがある。
「破ってよい契約」に契約としての意味があるのか?
近代資本主義社会での契約を交渉の行きついた結果としてあるのだが、中国では契約は交渉の始まりである。
「これから一緒に仕事をしましょう」といった意思表示が契約なのだ。

知人→関係(クアンシ―)→情誼(チンイー)→帮(パオ)

これらの人間関係のどの段階にあるかで「契約」の意味も異なってくるのだ。

大衆が官僚制を要請している?―――『官僚の反逆』を読んで

官僚批判が実は官僚制の強化を(無自覚に)推進していたことを指摘した本。
著者は中野剛志(経済産業省の官僚)。
幻冬舎新書
2012年、第1刷。



外圧を引き込む

TPPの参加に関して日本側から、こちらへ圧力をかけるようお願いしていたということが東京新聞朝刊、2012年12月4日に出ていたようだ。アメリカからは「自分で決めてくれ」と諭されたようだが、これは恥ずべきことだろう。ここでは、その日本政府関係者が誰なのかまでは分かっていない。
その2か月後、元外務審議官田中均は日本記者クラブでTPPについて講演した際、アメリカの外圧を利用することが悪いことだとはまったく思わないと断言している。

外国の要求に応じて国内の政策を変更することは、当然、あってもよいだろう。しかし、その場合であっても、国内政策はあくまで時刻の自主的な判断によるものであって、決して外圧に屈したとみられてはならない。
(略)ところが、この「美学」も、もはや過去のものとなった。つい最近まで官僚だった者たちが「外国の力を国内に意図的に引き込んで、日本の政治を動かしてやるのだ」と公然と言って憚らない世の中となったのである。
(P.14)

官僚の大衆化

上記のような出来事と理解するにはオルテガのいう「大衆」と「エリート」の概念を知ることが役に立つ。
よく誤解されていることだが、オルテガのいう「大衆」とは社会的地位が低いとか、収入が低いとか、学歴がないなどといった特定の階層に属する人達のことを指しているのではない。
自分が「みんなと同じ」だと感じることに少しも苦痛を覚えず、かえって良い気持ちになるような人々全部のことだ。
そして「エリート」とは自分よりも優れた価値ある規範に易々と身をささげ、自らに特別の事を要求する人々のことだ。

そもそも、自由民主的な国家で官僚となった以上は、自由民主政治の厄介なプロセスからは逃れられない「運命」のはずだ。外圧の利用という安易な手段に走るのは、自由民主政治における官僚としての「運命」からの逃避である。自分の運命から逃走することを、オルテガは「反逆」と言うのである。
(P.31)

自分の運命を容認せずに逃走することは、自分自身にたいして反逆しているということなのだ。



官僚の非人間化は「美徳」である

集団や組織が大きくなると莫大な情報を扱う事務処理や実務が必要になってくる。
これは国でも企業でも同じことだ。そこで国家にも企業にも官僚の必要性が生じるのだ。

ウェーバーによると近代社会の官僚制には「非人格的な没主観的目的(だれかれの区別せず)」に奉仕する義務がある。
つまり、官僚は特定の誰かに尽くすのではなく非人格的な抽象化された国家や企業に尽くすということだ。

また、作業を迅速かつ精確に行うために「計算可能な規則」という価値を信じるということも必要になる。
この「計算可能な規則」は近代社会を支配している価値観でもある。

「非人格的」、「没主観的(=客観的)」、「計算可能性」といった性質は自動化されたマシーンのような振る舞いを要求してくるものだ。

例えば、ある失業者が母親の急な体調不良により書類提出が1時間遅れたとしよう。
そこで「母親の病気はやむを得ない事情だ、失業手当がないとこの人は困るだろう」などと融通を聞かせてしまうと中立・公平な事務とはいけなくなってしまう。
時間という数字によってあらわされた提出期限は「計算可能な規則」である一方、個別的・具体的に融通を聞かせた対応は主観的かつ感情的な判断である。
一般にお役所仕事として嫌われている融通の利かなさではあるが、この「非人間化」こそが近代資本主義社会が要求する美徳だとウェーバーは言っているそうだ。


成果主義は官僚化を要請する


高橋伸夫の『虚妄の成果主義』で、かつての日本的経営に競争原理が働いていなかったわけではなく、長期的には意義のある制度だったと主張している。

第1に、勤続年数で横並びではなく昇進・昇格・昇給に差があった。「年功制」ではあっても「年功序列制」ではなかったと指摘している。

第2に、従業員が生活の不安を感じることなく長期的な視野にたって仕事に打ち込めるものだったという指摘。

第3に、成果主義で能力を客観的に測ろうとしても数値化できない部分は測定不能であり、総合的評価ができないのだ。

成果主義における人間の能力を客観的な数値で計測し、それに従って組織を運営しようという成果主義は、まさにウェーバーのいう「計算可能な規則」の支配を特徴とする官僚化現象そのもだ。

高橋は、企業の成果主義というものが短期的な利益の追求に走り、人件費をカットするための口実として使われているという述べる。
これは不況になったがゆえに「切る論理」としての経営論が流行したことを示している。

すなわち短期的に成果が表れやすく、しかも数値で表現しやすいような仕事しかしなくなる。成果がでるまでに時間のかかる難しい事業や、成果を定量化できない複雑な仕事からは、たとえそれが必要であっても逃げるようになるのだ。
(P.54)


民であれ官であれ、成果主義的な官僚化は長期的視野を失わせ、複雑なものに対する総合的判断からの逃避を引き起こすということのようだ。


回転ドア方式が官民の癒着を生む

経済の関する真の知識は、経済の中で生計をかけて働くことで得られる。その意味で官僚が「経営の現場を知らない」という批判はその通りなのだ。
民間の知恵の活用を名目に、民間の人材を政府が登用するという「回転ドア方式」は一見すると良いもののように見えてしまう。
だが、実際はただでさえ専門知識において優位にたつ民間の利害関係者を政府内に大量に招き入れることになった。
その結果、行政が利害関係者にからめとられ、規制や規制緩和が恣意的に行われ私的に利用されてしまう。
これは、アメリカのワシントンとウォール街の間だけでなく日本でも起こっていることだ。


予測能力や定量化の限界


フォード社で社長を務めた後、マクナマラは国防長官に抜擢された。
彼は統計的データを重視し計量的手法を駆使した合理化を得意としたことから「足のついたIBMの機械」と呼ばれるほど極めて高く評価されていたからだ。
しかし、ベトナム戦争では、その合理的経営手法は通用しなかったのだ。
マクナマラ定量的データに依存した合理的な分析に頼りすぎたために、ベトナム人たちの抵抗の動機、希望、怨念、そして勇気といった定量化できないデータを見過ごしていたことで失敗した。

未来は不確実であり、社会は複雑である。それに対し人間の予測能力や知識には限界があるのだ。
政治とは、理性の限界の中で未来の不確実さと社会の複雑さと格闘する難しい営みである。
このような社会をあらかじめ定めた計算可能な規則、定量的な目標、工程表、検証体制などで管理できるはずはない。


グローバル化とは官僚化である

ウェーバーは市場における利潤追求行動は、実は官僚制化と極めて親和性が高いと述べていたらしい。
近代資本主義社会では国家組織や企業組織のみならず市場も官僚制化している。
官僚制の特徴である没主観的と計算可能性によって推し進められたのは、世界を合理的で効率的で画一的な1つの市場として完成させようとするグローバリズムである。
よく言われる「マクドナルド化」はその典型例であろう。
どこでも、いつでも、同じものが、同じ値段で、同じようなやり方で提供される。要は画一的にマニュアル化されているということだ。
これは普遍的な市場としてのグローバリズムを象徴的に示している。


国際機関も官僚化している

開発経済学者の大野健一もまた、スティグリッツと同様の立場に立って、国際援助機関の画一的な手法を批判している。
開発途上国の歴史や個性的な社会構造を無視して近代的な市場経済を導入しても上手くいくわけではない。
主流派経済学の特徴として、
①「人間は自己利益を追求するように行動する」ということを前提にしている。
②数学的な定式化を目指している。
③仮説の検証は統計データによって行わなければならない。
という3つがある。
これをもって経済学は科学的であると見なせると信じられているのだ。

人間は利他的にも行動する存在でもあり、利己利益を追求するという前提は現実との乖離がある。
また、数学的定式化は各国の文化や歴史の違いを捨象するか極端に単純化・形式化しすぎている。
更に、統計では検証できない事実を分析の対象から排除することで検証可能性を確保するようなことをしている。
これらの点を考えると主流派経済学は科学的と言うよりも、むしろ官僚制的なものであると言えるのではないだろうか。


大学の官僚化

前近代的社会における教育は、教養あるとみなされた生活様式や文化的資質を身につけることだった。
これに対し、近代的社会における教育は、専門知識の習得が目的になり、専門教育が教養教育を滅ぼしていく。

このようにして生み出された専門家をオルテガは大衆的人間の典型とみなした。
自分の狭い専門領域については細部に至るまで知っていながら、専門外のことについてはまるで無知な専門家である。
自分の知識や愚かな判断に満足して、高い権威に従おうとせず、人の意見に耳を貸さない「慢心したお坊ちゃん」だとオルテガは評していた。


民主政治の破壊

国際機関のエコノミスト達は「政治的圧力からの隔離」をスローガンに新自由主義的な経済政策を資金援助の条件として持ち出した。
しかし、これは経済政策の決定と執行権に関する国民主権の剥奪を意味している。
主流派経済学者が勝手に定義した「良き経済政策(緊縮財政、競争促進、自由化、民営化など)」は、失業者の増大、実質賃金の低下、福祉施策の廃止などの痛みを伴うため、反対が起こり実現は困難である。だからこそ経済政策を民主政治から「隔離」する必要があり、国の経済政策における事実上の国民主権の剥奪を行ったのだ。
1980年代のペルーの債務危機や1997年のアジア通貨危機の際における韓国の金融危機に乗じて、新自由主義的な「良き経済政策」の美名の下に経済に関する国民主権を事実上の剥奪(=「政治的圧力からの隔離」)を行ったのだ。

このような危機的な出来事に便乗して新自由主義グローバリズムによる経済政策を押し付けてくることがある。
カナダのジャーナリストであるナオミ・クラインの『ショック・ドクトリン―――惨事便乗型資本主義の正体を暴く』はこのことを最も雄弁に明らかにしている。


ユーロ危機

2008年の世界金融危機の後、ギリシャアイルランドにおける債務危機ではユーロという官僚制的支配は機能しなかった。
通常、経済危機に陥った国は金融緩和と同時に国債を増発して不況対策を講じる。また、債務危機国の通貨は下落するが、その結果として輸出が拡大するので立て直しの可能性は開かれている。
ところがユーロ加盟国は、財政政策の裁量権がきびしく制限され、金融政策や為替政策については裁量権がまったくないため、不況対策を講じることが出来ない上に通貨の下落による輸出拡大という選択肢も閉ざされている。
そこでギリシャなどの危機に陥った国々はEUなどに支援を求めるのだが、その条件として緊縮財政を強いられることになっている。
不況下でのそれは、マイナス成長や失業者の増大など国民生活に苛烈な負担を強いるものであり、国民主権国家ではありえない政策でもある。
ユーロという官僚制的支配のシステムを維持するために、被支援国の民主政治をほぼ完全に否定しなければならないのだ。
これは、新自由主義から導かれる官僚制と経済統合(グローバル化)が国民主権を破壊する例だと見ることが出来る。


トリレンマ

アメリカの経済学者ダニ・ロドリックは、このような経済統合(グローバル化)、民主政治、国民国家の矛盾した関係をトリレンマと呼んでいる。

1.もし、グローバル化を徹底し、各国の制度的障壁をなくそうとするならば、各国の民主政治を制限せざるを得ない。

2.もし、各国の民主政治を守ろうとするならば、グローバル化を制限しなければならない。

3.もし、グローバルな民主政治を実現しようとするなら、国民国家という枠組みは放棄しなければならない。


「民主政治」と「国民国家」は密接に結びついているため、実質的には「グローバル化」をとるか「国民国家+民主政治」をとるかのジレンマということになるだろう。



自由民主政治」対「大衆民主政治」

言論の府たる議会を介した間接民主的な「自由民主政治」に対して直接民主的な「大衆民主政治」はグローバル化を支持することで国民主権を破壊する。

「大衆民主政治」は効率化、画一化、合理化、数値化などの近代合理主義を称賛し、その遂行のために官僚制を要請する。
つまり「グローバル化」と「官僚制化」と「大衆社会化」は結び付いて一体となっているのだ。
日本における官僚叩きは実のところ官僚の官僚らしからぬところを非難しており、その結果から導かれるのは更に強化された官僚制なのだ。そして、この官僚制化は世界中に広がっている。
著者はそのことに警鐘を鳴らす。

官僚制の本質は、ウェーバーが喝破した通り、「だれのかれの区別をせずに」「計算可能な規則」に従って事務処理を遂行するところにある。「官僚制的なもの」とは、画一的であり、それゆえ効率的、迅速、グローバルであり、非政治的であり、そして非人間的である。
そのような「官僚制的支配」が日本中、そして世界中を覆いつくしているのだ。
(P.189)